episode45:もう少しだけ、夢から覚めないでほしいな……。


「そうね……。エリックサティ、なんてどうかしら?」


「エリックサティさん?」


 白雪がキョトンと、可愛らしく首を傾げる。


「白雪は知らないのか、エリックサティ。意外だね」


「触れたことないですね……。どんな人なんですか?」


「一言で言えば、変わり者かしら?」


「変わり者なんてレベルじゃないって。彼は、異端児って言葉がふさわしい」


「異端児、ですか?」


「ああ……。不思議な世界観の曲が多いんだよ」


 フランスの作曲家、エリック・アルフレッド・レスリ・サティ。

 音楽界の異端児なんて称される変わり者として歴史に名を残している。


 何故、異端児と呼ばれているのか。

 

 それは彼が作曲した作品の多くは、不思議な世界に迷い込む感覚のものが多く、ドビュッシーやラヴェルも彼の音楽に影響を受けているのだ。


 異端中の異端。彼の音楽人生は一体、どういう人生だったんだろう。

 否定され、非難され、それでも作曲し続けた人生だったのではないだろうか?


 エリックサティの人生を歩んできたわけでもないからどうにも言えないが、豊かな人生だったことを祈るとしよう。


「それにしても、エリックサティなんてよく知っているな。てっきりショパンとかモーツァルト辺りかと思っていたけれど、ひょっとして、店長の影響か?」

 

 僕が言い当てたことに少しバツが悪そうに頬を赤く染めながら、目を逸らす。


 恥ずかしさを紛らわすようにため息をつきながら、淹れた紅茶に口をつけてコホンッと、咳をひとつ入れて質問に答える。

 

「……ええ、誠に遺憾ながらそこは否定しないわ。彼の曲はなんていうか、こう……。不思議な魅力を感じるのよ」


「それについては、同感だな。アレンジで行き詰った時、彼の曲を聞いたり弾いたりすると、アイデアがどんどん湧き出ることが多いんだよな」


 人それぞれ意見があって、正統派なCRSピアニストからしたら、逆に余計なイメージにしかならないから、聞きたくないと言って毛嫌いする人も数多くいる。

 

 十人十色、意見としては賛否両論ってわけだ。


「えっ!?パパ、アレンジで行き詰まることってあるんですか!?」


「おいおい白雪、僕を何だと思っているんだ」


「大好きなパパですっ!」


「えっと、うん……。そうなんだけど……あれ?今、僕ものすごく消化不良」


「ぷっ、早見君あなた……くくっ。白雪さん、ナイスアシストだわ……っ」


「……へ?私、もしかしてパパを滑らせました?」


「ヨイショアシスト、ありがとう」


「パ、パパ!そんな光のない目で私を見ないでくださいよーっ!ごめんなさーいっ!」


「あははっ、冗談だよ」


 ふむ……。一応、僕の考えていた流れでは「何でもできるピアニスト」だとか「なんでも出来そう」みたいな言葉を期待していたんだが、思っていた以上に素直で可愛い意見を言ってくれた白雪さんだった。


「さて、そろそろ始めようか。曲は、そうだね……。『ピカデリー』なんてどうかな?短い曲だけど、始まりの曲としては、いいスタートだと思うんだが」


「ええ、いいわよ。白雪さんもそれでいいかしら?」


「私は曲自体聞いたことないので、なんでもいいですよっ!」


「ふふっ、あなたの奏でる曲がこうして聞けるだなんて楽しみだわ」


「素直かよ……。まぁ、いいけど」


 それにしても、あの音羽がエリックサティが好きだとは意外だったな……。

 変わり者といえば音羽もなかなかの変わり者だし、言われてみれば、なるほどなぁ……と、納得する。


「変わり者同士、互いに惹かれ合うってやつなのかね……」


「あら、何か言ったかしら?」


「怖いっての。その普段見せない笑顔の裏に、今にも人を殺せそうな雰囲気を出すのをやめてもらってもいいかな?……ったく、それじゃあ、始めるよ」


 深呼吸をして、八十八鍵の白黒モノクロの鍵盤が僕の指先と共に重なり、音を鳴らす。


 この曲に数々の傑作コメディ映画を作り上げた「喜劇王」の異名を持つチャップリンがイメージできてしまうのはなんでだろう。


 僕だけかな?なんて、どうでもいいことを考えながら、僕は曲を奏でる。


 同じパターンを繰り返す伴奏と旋律のシンコペーションが特徴のこの曲に対して、途中から音羽も合わせながらテンポよく綺麗な声で、鼻歌をこぼす。


 白雪も目を閉じ、僕の音を一つ一つ理解しようと首を楽しそうに揺らしながら聞いている。




 ああ、いいなぁ……。


 瞳を閉じて、今まであったことを思い出すと、この時間は貴重だ。


 色々あったけれど、こういう時間が一番いい。


 何も考えずに、ただその人のためだけに音を奏でる。


 演奏家は、やっぱり観客が多ければ多いほど輝きも増していくけど、僕はこっちの方が好きだ。


 ただ大切な人のために奏でるピアノ、素敵だなと思う。


 僕は将来、詩人にでもなれそうだなんて、苦笑いしながら次の曲に繋げた。



「次は、君たちに魚の夢を見せてあげるよ……」



♯♯♯



【~白雪Side~】



 そう言って、パパは一分半程の短い曲から、同じエリックサティさんの「夢見る魚」を続けて奏でた。


 音羽さんの為に奏でるパパのピアノは、純粋で優しく、温かい不思議な音だった。

 パパのピアノを毎日聞いている私ならわかる。


 いつものパパならもう少し自分に厳しく、少し尖った音を出すけれど……。

 

 音羽さんの為に奏でている音は、本当に大切で、支え合って共に歩みたいと願う、聞いていて、本当に安心する音だった。


 ――――イメージは、海。


 海の中に住む魚たちも私たちと同じく生きて、眠り、夢を見ているような想像をさせる旋律、そんな不思議な世界にパパは私達をいざなっていく。


 滑らかに、曲と共に体を僅かに揺らし、指を躍らせる。


 幾層の音色で作り出したパレットに音で出した色付きの絵の具で、一面の大きな真っ白い紙に青い綺麗な深海を描いて作り出す。


 音を想像して、創造する。

 音で、魚たちの夢を描いていく。


 それは、不思議と人の生活にいつの間にか溶け込む家具のように――――。

 そんな、当たり前で当たり前ではない、そんな揺れ動く温かい夢の足跡。



 ――――こんな夢がいつまでも続くように、私は願う。



 青く光り輝く満天の空。

 小さな光が僅かに反射し交差して、絶対に交わるはずがない空と海が唯一交わる場所。

 神様が唯一くれた海の表面上でしかない揺れる曖昧な狭間の世界。



 ――――それが、魚の見る夢のような綺麗な世界。



 そんな温かい夢から覚めるのはいつだろうか。

 涙が出そうで、憂い、悲しい世界がもし存在するのであれば、私はずっと夢の中でいい。



 いつまでもずっと、ずっと続いて欲しい夢。


 そう願う私は我侭だろうか。


 ううん……。

 今だけは、我侭でいたい。


 旅をしない音楽家は不幸になるんだから。


 いつまでも、いつまでも。


 進んで、進んで、前を向いて。


 走り出す先に光があるなら、私は走りたい。





「もう少しだけ、夢から覚めないでほしいな……」



 


 私は小さく呟いていたことに気が付かず、再びパパのピアノの音色に身を置き、瞳を閉じた。





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