episode44:音羽は、僕のファン第一号だから


♯♯♯


 大会まで残り一週間を切った翌日の朝のことだった。


 硝子越しに意気揚々と囀っている三羽の小鳥たちと、カーテンの隙間から日が差し込む眩しい光に眉間に皺を寄せながら、僕は目が覚めた。


 瞼を擦りながら携帯スマホ画面をタッチして時間を見ると、時刻は午前十時を指していた。


 僕は、一瞬で目が覚め「まずい、仕事に遅れてしまったっ!」と、布団から飛び起きると同時に「あっ、今日休みじゃん……」と、なんだか得したような損したような、そんな気分のまま一息つく。


 先日、音羽に自分の過去を打ち明けたあと、再び演奏会を白雪と共に無事やり遂げた。

 月の兎での演奏会は無事、大成功という形で幕を閉じた。


 その後は、店長含めて四人で軽く打ち上げをして楽しんだ後、帰宅し、二人で演奏について語りあったあとは、いつの間にかうつらうつらと瞳が重くなり、白雪と共にベットで寝落ちしていた。


「腕は……うん。大丈夫そうだな」


 指や腕を軽く回したり、横に動かしたりしてみるが、そこまで痛くない。

 というより、全く痛みはなかった。

 どうやら音羽の適切な応急処置のおかげだろう。


 視線を横目でずらして、さっきまで隣で寝ていたであろう白雪も微かな温もりをベットに残したままいなくなっていた。どこに行ったのか辺りを見渡すと、ドア越しから楽しそうなピアノの音色が聞こえてくる。


 止まらない欠伸を手のひらで抑えながら演奏している隣の部屋に向かうと「おはようございます、パパっ!」と、途中で演奏を止めてパタパタと走って僕の腰に抱きついて見上げてくる。


 今日もあざと可愛い白雪さんは、癒しパワー全開のようだ。

 マイナスイオンならぬシラユキイオンは相変わらず健在だった。

 これ、商品化したら絶対売れると思う。


 ほら、あれだよ。CMのキャッチコピーで「一家に一人、シラユキイオン!今なら特典で腰に抱きついて可愛く見上げてくるサービス付き!てへっ!」みたいな……って、我ながら馬鹿みたいなことを考えてしまっているが、やっぱり他の男に抱きついている姿を想像したら、少し嫌な気分になった。


 ……ふむ、これがテレビドラマや小説でもよく出てくる嫉妬って感情なのだろうか、覚えておこう。(※父親としての、ただの嫌悪感です)


 嫌がるうちの娘に抱きつく野郎がいたら、背後から音もなく近づいて、ナイフで殺ってしまうかもしれない。


 いや、確実に殺る!まさに、音殺しサウンド・キル

 うん、我ながら上手いこと言ったな、CRSの点数で言えば九十点レベル。


「ロリ人君、それは二十点くらいじゃないかしら。残念ながら赤点だわ、落第ね」


「いやいや、結構上手いこと言ったと思うんだけど。それに僕の名前はロリ人じゃなくて、優人って……音羽!?」


「おはよう、優人君。ふふっ、寝癖ついているわよ」


 そう言って、バックから手持ちのくしを取り出して、僕の髪を綺麗に直してくれる。「はい、できたわ……。これで、いつもの早見君ね」と微笑む音羽。


 空いていた窓から入る風に乗って、僕の鼻孔を擽る。

 彼女の仄かな甘い香りに胸の鼓動が早くなるが、首を横に振って冷静さを保つ。


 「どうしてここに音羽がいるんだ?」と疑問に思った僕の表情を読み取ったのか、音羽は申し訳なさそうに謝ってくる。


「勝手に部屋に上がってごめんなさい。一応チャイムを鳴らして訪ねたのだけれど、白雪さんがリビングでパパが起きるまで待っていて下さいって言ってくれて、それで……」


「あ、ああ……そういうことか。直接出迎えが出来なくてすまないな、いつもは早く起きるんだけど、今日は寝過ごしてしまったみたいだ。コーヒーと紅茶、それと牛乳くらいなら出せるけど、何か飲むか?」


「ありがとう、それじゃあ、紅茶をいただくわ」


「了解、白雪はいつものホットミルクでいいか?」


「ありがとうございます、パパ!淹れ終わったら呼んでくださいね、運ぶのをお手伝いします!」


「ああ、ありがとう」


 そう言って、僕は電気ケトルに水を入れて、スイッチを押す。

 待っている間に何の用事かを聞いておくことにする。


「……それで、僕に何の用事だったんだ?」


「ええ、今日は昨日の演奏会でお店自体もお休みだから、この間の約束を果たしてもらおうかと思ってお邪魔させてもらったのだけれど、向かっている途中で、その……大丈夫かしら?もしよかったら、別日でもいいのだけれど……」


 気を遣いながら心配そうに、僕の腕に視線を僅かに移す。

 向かっている途中で僕の腕のことに気が付いたんだろう。


 僕は両腕を回しながら、痛みは全くないことを体を使ってアピールしながら言葉を返す。

 ホッとした表情を浮かべ「そう、それじゃあ約束を果たしてもらおうかしら」と、いつもお店で浮かべている堂々とした音羽に戻る。


 ……うん。優しくて気を遣う音羽も悪い気はしないけど、やっぱりこのくらい堂々とした態度でいてもらったほうが、僕も安心する。


「パパ、約束ってなんですか?」


「白雪もあの場にいたから覚えているはずだよ。音羽に僕たちのことを話したときに(episode23参照)、僕のピアノを聞いてもらう約束をしただろ?」


「そういえば、そうでしたね!えへへっ、凄く楽しみです!」


「昨日も一緒に弾いたし、いつも聞いているだろう。そこまで珍しいことでもないじゃないか」


「一緒に弾いて聞くのと、集中してパパの演奏を聞くのは全く違いますよ」


「そんなもんかな?」


「そんなもんですっ!それで、パパは何を弾くんですか?」


「リクエストがあれば、なんでも弾くぞ?」


「おおーっ、流石はパパです!」


「いやいや、白雪もリクエストがあれば、なんでも弾けるでしょうに」


「もうっ!パパ、それは言わない約束ですよ?私のを見事に潰さないで下さいっ!」


「ああっ、ごめん、ごめん……って、ヨイショアシストって何だよ。いや、意味はわかるんだけどさ」


「ふふっ、本当にあなたたちは仲がいいわね。羨ましいわ」


「馬鹿か、僕と音羽も負けず劣らず仲がいいじゃないか」


「そうですよ、音羽さん!」


「……っ、あなたたちね」


「ん、どうかしたか?」


「……はぁ、いいえ。なんでもないわ」


「「……?」」


 白雪と共に互いに首を傾げるが、音羽がなにを言おうとしたのかはわからない。

 けれど、悪いことではないことはわかったから気にしないことにした。


 音羽は僕の恩人であり、今でもこうして僕をしっかり救ってくれている。

 口に出しては言わないが、かけがえのない大切な人だ。


 瞑目し、僕の答えを一言一句聞き逃さず聞いてくれる彼女に僕は感謝してもし切れない。

 だから、僕はそれに求められる限り、何度も応えようと思う。



 ――――音羽は、僕のファン第一号だから。



「……っと、話している間にお湯が沸いたね。それじゃあ、三人でティータイムを楽しみながら、僕の演奏を聞いてもらうとしますか」


 少しばかりの高揚感、指が思っている以上に軽いのが弾いていなくてもわかる。

 今日は間違いなく調子がいい、思わず口元が緩んでしまう。


「ふふっ、ありがとう。それじゃあ、何を弾いてもらおうかしら?」


 楽しそうに考えているその姿を目に、僕は自室に入って、演奏の準備を始める。

 座椅子を二つと小さな丸テーブルを並べて、部屋に案内する。


「そういえば、音羽を部屋に入れたのは初めてだよな?」


「……~っ、あなたね!それわざとなの?緊張している私をからかいたいのね、そうよね?」


 顔を真っ赤に染める音羽。


「くくっ、ごめんごめん。肩に力抜いて欲しかっただけだよ。そこまで緊張されると、心配になっただけさ。それじゃあ、音羽」


 僕はピアノ椅子にゆっくり座る。

 両手の指をいつものように曲げ伸ばしして、大きく深呼吸。

 

 鍵盤に両手を置き、右足にペダルを軽く乗せてアップテンポで指を走らせ、ピアノを弾く前の準備運動をしていく。


 ただ頭に浮かんだ好きな音をひたすら拾って鳴らしながら頭に浮かんだ音を一つ曲として組み合わせてアレンジしていく早見流即興曲。


 やはり、これをしないと指が上手く動くのに時間がかかってしまうからね。

 すぐに動かせられたらいいんだけど、如何せん僕の指はスロースターターという何とも情けない話である。



 ――――さぁ、音羽のためだけの演奏会を始めよう。



「さて、準備万端だよ。曲のリクエストはあるかな?」






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