第七楽章 -灯の音-

episode43:僕は彼女の強さに、これからも惹かれ焦がれ続けるのだろう


♯♯♯


 頬に少しだけ柔らかい風が触れる。

 今も奏でられる白雪の音色に身を任せ、そのままどこかに旅立ってしまいたい。

 そんな気分になるのは、音羽に自分の過去を全て喋ってしまったからだろう。


 目を瞑って見ても、あの瞬間、あの時間だけは一秒たりとも忘れたりはしない。

 鮮明に思い出せる過去の記憶であり、僕の罪だ……。


 何も言わない沈黙に息が詰まりそうになる。

 上手く音羽に話せただろうか、伝わっただろうか。


 所々思い出すだけでも涙が出そうになった時もあったけれど、今は自分でも不思議なくらいに決して悪い気分ではなかった……。


 誰にも話したことのない、僕自身が感じたありのままの本当の気持ち。

 音羽は、軽蔑するかもしれない。

 もしかしたら、今このことを聞いて失望したのかもしれない……。


 この関係が終わるのが嫌であれば、もっと上手い言い訳すればいいのに。

 なぜ、僕はそれをしないのか……。


 決まっているじゃないか、聞いて欲しかったんだ、僕が音羽に。

 聞いてくれてありがとうと、彼女に伝えたかった……。


 時間が経つにつれて、みるみるうちに僕の胸に灯った僅かな不安。

 チクリと痛むどこか切ないこの気持ちは、言葉にできない何とも言い難い感覚だ。


 ……って、うだうだ考えるのはもうよそう。

 横にいる音羽に視線を巡らせながら、深呼吸を何度かして、過去の話を締め括ることにした。


「……それからは、この前に話しをした通りだよ。音羽と出会って、白雪と出会って、今こうしてまた僕は音を奏でている。もう、二度とこの世界に戻ることはないと思っていたのにな」

 

 苦笑いしながら、僕は横で聞いていた音羽の表情を伺うが、顔を伏せてその表情はよく見えなかった。先ほどまで僕の手の甲に触れていた指先が離れ、彼女自身の両手を包み込んでいた。


「軽蔑した、かな……」


 ……ああ。

 この関係も、終わりかな。


 チクリッ、と胸が痛むが仕方がない。

 これはいわば、僕が実の母を見捨てたようなものだ。


 その代償として長時間ピアノを全力で弾くことができない。

 壊れかけのポンコツピアニストである僕と一緒にいたら、迷惑がかかるかもしれない。


 いつか話さないといけないことだった。

 遅かれ早かれ、きっとこの瞬間が僕と彼女の間には訪れただろう。

 

 そう……。

 この関係が終わろうとも、音羽は悪くない。


「それじゃあ、音羽。僕との関係はこれで」


 ――――……終わりだと、この関係を清算しようとした瞬間。


 「……早見君、ダメよ」と、両手を包んでいた彼女の手が再び、僕の手の甲に触れたと思ったら、今度は両手で僕の手を包んでくれた。


 目を潤ませ、決してその手を絶対に離さないと言わんばかりに、真剣に僕の目を見つめてくる。


「……音、羽?」


「離さないわ」


「……離さないって、どうして」


「絶対に、離さない」


「なに、言って……っ」


 強くて細い、綺麗な手だった……。

 そんな彼女の両手には太陽のように熱が籠っていて、とても温かくて……。

 涙が出そうになるほど、こんなにも優しくて……。

 

 彼女の心臓の音が、両手を通して聞こえてくるのだ。

 妙に心地よく音を奏でるのは、きっと音羽だからだろうか。


「……いつからだろうな。人の体温に触れなくなったのは」


 正面で見つめてくる音羽に対して、今思っている感情を素直に答える。

 音羽は少しばかりのため息をつきながら、寂し気に口を開く。


「……あなたは、いつもそう」


 ゆっくりと紡がれるその言葉は、壊れかけの硝子に触れるように優しく、僕に流れ込んでいく。


「見た目によらず繊細で、臆病で」



 ――――ごめん、こういう性格なんだ。



「それでいて、少しでも目を離して油断しているとすぐに私から、両手の中に溜めた水のように少しずつ零れて離れていこうとする」



 ――――大切なものを失うのは、もう嫌なんだよ。



「言ったじゃない」



 ――――でも、音羽奏という女の子は、いくら離れようとも、僕から離れてくれないんだ。



「どんなことがあっても私はあなたの味方よ。どんな状況でも、どんな境遇でも、例えどんな悪人に変わってでも、私はあなたの味方でいたいの。それは、一番の理解者でありたいと思うから」



 ――――ああ、本当に。



「だから、今更迷惑をかけられないとか、巻き込みたくないとか言わないでちょうだい。それくらいで私は離れていくような偽物の関係じゃないわ」



 ――――ありがとう。



「あなたがそういうふうに自分を許さずに罪を受け入れ、自分を罰してこの先も生きていくのは知っているわ。だから……」



 ――――僕は彼女の強さに、これからも惹かれ焦がれ続けるのだろう。



「私はあなたが許さない分、自分を罰する分、何度でも私が許して、何度でも、早見優人を救ってみせるわ」



 ――――畜生、めちゃめちゃかっこいいなぁ……っ。



「僕は……っ、僕は許されて、いいのか?」



 ――――母さん。



「ええ、当たり前じゃない」


 

 ――――見つけたよ、本物の音を。

 

 

「あなたのお母さん、早見透子さんの言葉はきっと……。こう、言ったんじゃないかしら」


 あの時、無我夢中で叫び、僅かに見えた母さんの顔は最後の最後まで笑顔で、何を言おうとしたのか聞き取れなかった。


 それから、僕は自分を責め続けた。


 そうしないと、僕が僕でなくなる気がしたから。


 いつしか、母さんが死んでからの今の今まで、あのシーンが夢で何度も見るようになった。

 その度に僕は……っ。


 ――――助、けて。

 ――――ねぇ、なんで、助けてくれなかったの?


 ……と、言葉を何度も何度も、自分で影を作り出した。

 自らの夢で再生させて、自分を罰してきた。


 何度も夢で見続ける度に、いつしかこれが本当に母さんが最後に僕に残した言葉なんだと思うようになった。


 もう一度、僕は自分の両手を見る。



 ――――この両手は、僕の罪であり、罰だ。


 

 血で汚れているはずの両手で、自分を罰することで、自分を保ってきたのに。



 ――――今まで見たこともない満面の笑みで、彼女は僕を救ってみせたんだ。



 ――――「あなたが息子でよかった、大好きだよっ!って」



 そう言って、音羽は僕の作り出した影を吹き飛ばしてくれたんだ。


 




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