episode41:あなたが求めていた……っ、本物の音が奏でられるわ


 血を流しながら頭を怪我している母さんと、涙を流している兎亜ちゃんを見て、血の気が引いていくのがわかった……。


「母さんっ、兎亜ちゃん……っ!!」


「ぐすっ!どうしよう、優人っ。透子が動けなくて、私の力じゃどうしようもなくて……っ、ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」


 指先を見ると、火傷をしたあとがあった。僕が来るまでの間、この柱をどかそうと必死になってくれていたのだろう。自分の命を守るためにいつ逃げてもおかしくない状況なのに、母さんを助けようとこんなに必死に……っ。


「兎亜ちゃん、本当にありがとう。今度は僕がなんとかしてみる、兎亜ちゃんは危ないから僕の後ろにいてくれるか?」


「う、うんっ!」


 僕は両手を使って、母さんの足にのしかかった柱をなどかそうとするが、持ち上げようとすると熱の熱さで柱には長く触れられなかった。


「熱っ……」


 今度は着ていたジャケットを脱いで、両手に巻き付け柱を持ち上げるがビクともしない。


 何をどうしても解けない紐のように、一本一本が複雑に絡み合い、まるでこの問題に四苦八苦しているのを横目で嘲笑う神の姿が見え隠れしているようだった。


「ふざ、けんなよ……っ、ちくしょう……っ」


「……優人、私のことはいいわ。それよりも兎亜ちゃんを……っ」


「私のことはいい、だって?ふざけるなっ!!」


「優、人……っ?」


 僕は自分でも驚くくらいに声が出ていた。

 母さんも目を見開いて、僕を見ている。

 下唇を強く噛み、血が流れているがわかった。


 考えろ、この状況を変える方法を……っ!!

 僕の力だけじゃ、この柱は持てない。


 人員がいればこの状況は変えられるかもしれないが、消防車がくる様子がまるでない。

 サイレンが遠くの場所で同じ位置で聞こえるのは、渋滞に捕まっているのだろう。


 なら、兎亜ちゃんとやるしかないか?

 ……いや。

 二人でどう頑張って力を出しても微々たるもので、意味をなさないのは明白だ。



 ―――――ミシッ……ッ。



 ……何の、音?



「……ま、まさか!?」



 天井を見ると、ひび割れた音がミシミシと鳴り響いている。

 爆発で建物にもガタがきているのか……。

 いつ崩れて瓦礫が落ちてきてもおかしくない状況だった。


「くそっ!!考えろ、どうしたら母さんを……っ」


 どんどん時間が過ぎていき、額から汗がどんどん溢れ出てくる。

 焦るな、考えろ、三人が助かる方法がきっとあるはず……っ。



 ――――優人。



 優しい口調で僕の名前を呼ぶ母さん。何を言おうとしているのか理解しているからこそ、僕は敢えて聞かないように荒めの口調で言葉を遮る。


「うるさいっ!待ってて、今から助けるからっ!!」



 ――――優人。



「……っ、だから待ってろって言っているじゃないかっ!!」


 嗚咽気味で僕は答える。喉が痛い、息もしづらくなってきている。

 ああ、なんて無力なんだ。


 ゆっくりと、スローモーションで再生させるかのように……。

 母さんの口が、僕に向けて開いていく。



 ――――時間よ、二人で逃げなさい、ね?



 まるで、自分の命の在り方を前から知って悟ったかのように、僕に優しく笑いかける。


「なに、言って……っ、それじゃあ母さんが」


「ええ、でも時間がないわ。残念だけど、私が助かる方法はもうないの。それに、たとえ柱の中を持ち上げられたとしても、多分もう助からないわ。……もう、


「……は?」


 

 

 僕は母さんが何を言っているのか理解できなかった。

 よく見ると、のしかかっている柱の下からは大量の血が流れている。


「……嘘、だろ?」


「ごほっ、ごほっ……。ええ……っ。だから、ね?」


 母さんは、兎亜ちゃんと早く逃げろ、と。

 そう、催促してくる。


「母、さん……っ、僕は」



 ――――ああ、ダメだ。


 ――――僕は、守れなかった、のか。



 僕の思考を読み取るように、仕方ない子ね。

 と、言って再び笑う。 

 

「いいえ、違うわ。自分を責めてはダメよ。……ねぇ、優人。最後だからこっちに……っ、きてくれるかしら?遺書って程じゃないけど、最後の言葉を聞いて、くれる?」


 僕はすぐさま母さんに駆け寄る。


「……っ、もう喋らないでくれよ。もう少しで救急隊が来るから……っ、だから遺書だなんて言わないでくれ、大丈夫だよ。もうすぐだからっ、だから……っ」

 

 あまりにも情けなくて、あまりにも残酷で、受け入れられない結末を受け止めきれず、目の前の母さんに取り繕った言葉しか送れない自分が腹立たしい。



 ――――優人、本当にありがとう。



「……っ!?」


 僕はこの音を知っている。自分の死を受け入れ、何かを自分に託す音。

 否定したくても、どんなにあらがっても、決して覆すことができない死の音。



「母っ……さん……っ」



 ――――あなたは私の誇りだった。



 ――――ミシッ!!



 ちくしょう……。



 ――――これからあなたは一人になるかもしれない。



 ――――優人は優しいから、きっと私が死んだら自分を責めてしまうだろうけど、きっと大丈夫。あなたなら乗り越えていける。



 乗り越えていけるって、最後まで僕の心配なんかしてんじゃねーよ……っ。



 ――――だから私の音をあなたに託すわ。安心しなさい、絶対にあなたを支え、守ってくれる人たちがきっと現れるから。



 ――――ミシミシッ……ッ!!!!



 ――――あなたが求めていた……っ、本物の音がきっとこれから奏でられるわ。



「待ってくれ……っ」



 ――――優人、本当にあなたが……っ。



 待って、待って、待って、待ってくれよっ!!



 ――――そして、母さんの最後の言葉を聞く前に。



 ――――大きな爆発音と、光。



 そして、天井が爆風と共に、瓦礫の音を立てて上から崩れ落ちてくる。

 スローモーションのようにゆっくりと……。

 

 僕は本能的に後ろにいた兎亜ちゃんを瞬時に胸に抱え、その身を守ろうとした瞬間、母さんが最後の力を振り絞ったのか、強く、温かい両手に押し出される。


 ふわり、と体が浮く感覚。目を瞑っていて、一瞬何がどうなったのか理解できなかったが、爆発音と共に熱風が僕たち二人に襲い掛かり、窓の外に放り投げられた。


「……~っ、か、母さんっ!!!!」


 無我夢中で叫び、僅かに見えた母さんの顔は最後の最後まで笑顔で、何を言おうとしたのか聞き取れなかった「―――――っ!」と、言葉に残して、母さんは瓦礫に埋もれていった。

 

 そして、僕たちも爆風で自分が今落ちていっているのかと理解する。


「……くっ」


 両手で抱えている兎亜ちゃんを抱え、衝撃に備える。下にはクッションも何もない地面があり、あとは一直線に死へ向かうだろう。


「兎亜ちゃんだけでも……っ」


 母さんは少しでも生き残る可能性をと思って僕たちを押し出したのだろう。

 この高さは無理だと思っていたのだが、母さんはこのことに気づいたから僕たちを押したのか。


「……くっ、あれは大きな木、か?あれを……っ、クッションにっ!!」


 幸いにも一本の木があった。

 あれをクッション代わりにすれば……っ。

 兎亜ちゃんを木の衝撃から守るために両手で精一杯身を包んだ。

 ……そして。

 


 ――――バキッ!!



「~~っ、うぐぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」



 幸いにも、なんとか二人生き残れたようだが、僕はただ叫んだ。


 両手が酷く痛くて、何かが破滅した音。


 両手に強く激しい痛み。


 この瞬間、僕の世界が壊れた。


 焼けて絶望に落ちた、死の音。


 現実感のない虚無の感覚。


 自らの手の感覚がなくなる音。


 腕の骨が砕け、肉が裂け、赤く染まる音。


 ああ、手の感覚がない。


 これはピアニストとして直感で終わったなと感じたほどに。


 黒、赤、黒、赤……。


 血色と共に、炎で全てを焼き尽くす音。


 そして。空から無慈悲に降り続く雪の協奏曲は今なお鳴り続ける。


 悲しげに、僕の胸の中で、涙と共に鳴り響き続けていた。




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