episode40:二つの命が鼓動する、その先へ


 雪が雨のように降り注ぐ。地面に走らせる自転車の音と、何度も痛いくらいに高鳴る胸の音とが重なりあって、不協和音が僕の耳の中で奏でられていた。


「はぁ……はぁ……っ、嘘、だろ」


 紫苑病院に辿り着くと、目の前には一条の光も見出せない程の炎の海が広がっていた。

 爆発する人の心を絶望へ落とす音。

 野次馬たちは騒ぎ立て、パニックになり、泣き叫ぶ。


 それを、嘲笑うかのように炎は容赦なく燃え広がり、何度も爆発音を鳴らす。

 思わず顔を手で覆いたくなるが、下唇を噛み、我慢する。


 病院から避難してきた人の一部には看護師や医者も数名いたが、自身の怪我で中々怪我人の治療に臨めていない。


 別の病院からきた救急車も到着しているが、怪我人の治療で何人か運ばれる人たちを見たが、恐らく生死の淵に立たされている怪我で、助かる可能性が少ないかもしれない。


 やれることがあるなら助けになりたいところだが、今の僕にはその余裕すらなかった。


「母さんはいないのかっ!?兎亜ちゃんも……。くそっ、どうしてこんなことに……っ」


 遠巻きで写真を撮ってSNSに投稿している野次馬たちを見ると、無性に腹立たしいのは何故だろう。家で見るニュースや毎日のように起きている事件や災害、一度でも自分には関係ないことで「こういうことが世の中では起こっているのか、大変そうだな」としか思っていなかったあの時の自分を本気で殴ってやりたい。


「僕は……っ」


 誰も、助けられないのか?


 この指で音を奏でる以外に、何もできないのか?


 考えろ、思考を止めるな、選択するんだ。


 自分の足が少しずつ前に進む。


 決して無謀なことをするわけではない。


 無論、自ら命を捨てることをするわけではない。


 選択する選択肢が二つしかなくて、どちらか一方と言われたらこれしかないと思っただけだ。


 現状を見守り、いつ救出されるかわからない消防隊が指をくわえて来るのを待つか。


 それとも……。

 

 ……馬鹿か、僕はっ!!


「迷う余地なしだろうがっ!!」


 胸の奥を引き裂かれたような激しい痛み。

 指先が震えているのがわかる。

 ……そう、これは恐怖と不安だ。


 思わず膝から地面に落ちてしまいそうになるけれど、手のひらを強く握り絞めて、僕はまだ封鎖されていない病院に向かって全力で走り出す。


 「あっ、君!!近づいたら危ないぞっ!!救急隊が来るまで待っていなさい!!」と、後ろで聞こえた気がしたが、僕はそれを無視して全力で病院の中へ走り抜けた。


「母さん……っ、兎亜ちゃん……っ。今行くっ!!」



 もう一つの選択肢、それは。



 ――――僕が、二人を助けるんだ!!



♯♯♯



 病院に入ると受付待ちしていたであろう人たちが爆発に巻き込まれたのか。

 老婆や子供が数名倒れていていた。黒煙に包み込まれ、目が霞む。

 目を細めながら、その人たちへ近づく。


「……ごほっ、大丈夫ですか?」


「うぅ……っ」


 全くの他人だが無視するわけにもいかない。

 僕はその人たちを背負って、来た道を戻る。


 善意を持った人がこれに気づいて運んでくれるだろうと考え、入口付近のところまで急いで運ぶ。近くにいる人に聞こえるように「誰かここにいる人たちを運んでください!!怪我をしていますっ!」と叫んで、もう一度病院の中に入る。

 

「はぁ、はぁ……っ。母さーんっ!!兎亜ちゃーんっ!!いるなら返事をしてくれーっ!!!!……っ、ごほっ、ごほっ!!くそっ、ここの階にはいないのか?」


 集中しろ、二人のいる音へ向けて意識を飛ばせ……っ。

 集中、集中、集中……っ。

 目を閉じ、深呼吸をしながら神経を研ぎ澄ませ、全ての音を聞き分ける。


 これは、周りが恐怖し、泣き叫ぶ音。

 怪我をして、痛みに苦しむ音。

 爆発して、火の海が広がっている音。

 瓦礫が崩れる音。

 水道管が破裂してパイプから漏れ出している水滴の音……。

 

 もっと、もっとだ……。

 どこだ、どこにいる?


 暗闇でカメラのシャッターを押すかのように、何度も何度も、それを繰り返す。

 音を聞き分けるのなんて、普段からしているんだ。

 焦るな、集中しろ……っ!!



 ――――たす、……て……っ、ゆ……とっ。



「……っ!?見つけた、三階だ、な……ごほっ、ごほっ!!」


 まずい、集中しすぎて黒煙を吸いすぎたか……。

 くそっ、目が徐々に霞んできて、今にもぶっ倒れてしまいそうなほど足にガタがきている。


 体中の全細胞がこれ以上は絶対進むな。

 これ以上行くと、死ぬかもしれないと、危険信号を何度も体中から訴えられているのがわかった。


「それでも、僕は進むんだよ……っ」


 息もそこまで長くは続かなそうだ。

 僕はハンカチを口に巻き付け、再び三階へ続く階段を一歩一歩上がっていく。


「……っ、進め」


 進め、進め、進め……っ。

  

 前を向くんだ。


 少しでも時間が惜しい。


 いつまた目の前で爆発が起こってもおかしくない状況だ。

 

 不意に、思い出が僕の中で駆け巡る。




「ごめんね、兎亜ちゃん。レッスンの邪魔しちゃって」


「ううん、いいよ!ついでに、私の腕前見ていきなよ、滅茶苦茶上手くなったんだから」



 ――――自慢げに胸を張る兎亜ちゃんがいた。

 そう、彼女にはピアニストとしての未来があるんだ。



「明日の文化祭、楽しんでいらっしゃい!母さん、応援しているからねっ!」



 ――――頑張るとしか言えなかった、それでも母さんは笑ってくれた。



「くすっ、それでこそ私の息子だ!それじゃあね、頑張って!」



 月明かりに照らされながら手を振る細い手。

 全力で横に振る母さんの顔は、今にも儚く消えそうな笑顔だったんだ……。

 これが、最後だなんて絶対言わせない。



「失うわけにはいかないんだ。それがどんなに小さな幸せでも、ありきたりな言葉でも、まだ言えていないありがとうを、これからも沢山言うんだ」



 そして……。

 僕は、三階に辿り着く。



「着い、た……っ」





 ――――二つの命が鼓動する、その先へ。





「……ゆう、と?」



 その場で泣き崩れ、うずくる兎亜ちゃんが最初に目に入る。



「母、さん……っ?」



 ――――ああ、わかっていたさ。



「……優人、よかった。今すぐ……っ、兎亜ちゃんを連れて逃げ、なさい……っ」



 ――――神がいるのだとすれば、それは残酷な選択肢しか与えないのだ。



「なんだよこれはっ……。ふざけんなっ!!」






 ――――大きな柱が足にのしかかり、まったく身動きが取れない母さんがいた。





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