episode35:小指だけは、あったかいよ


 カタカタカタカタ……。

 パソコンのキーボード音が生徒会室に鳴り響く。

 文化祭前日、時計の針を見ると十七時を過ぎた頃だった。


 耳にはイヤホンを装着する。

 言うまでもなく聞くのは、明日弾く予定のデモ音源だ。

 練習も満足にできていないこの状況だが、演奏するイメージだけでもしておきたい。


 窓の外を見ると校庭では色んな出し物が用意されており、前夜祭とやらで生徒たちが盛り上がっているが、こっちにはそんな暇は一切ないギリギリの状態だった。


 机の上は書類の山。

 HPの更新、学園全体の出し物の最終確認。

 スケジュールの最終調整に、バンドの準備。

 機材確認etc……。


 練習でもここまで指を動かしたことがないかもしれない。

 やばいな、日本社会ってこんなに働いてるのかよ。

 ブラックすぎるだろ……。


 年々過労死が増えているのも頷ける。

 勤労感謝の日には、社会人の皆さんにしっかり感謝しよう。

 本当に、お勤めご苦労様です。


「……よし、こんなものかな」


 仕事は山ほどあったが、ようやく終わりが見えてきた。


 その代償として、机の上には僕の飲んだ栄養ドリンク(翼が生えると評判のあの飲み物)が何本か買っておいたのだが、それも空になっていた。


 ちなみに現在、成瀬は明日来訪する企業側との打ち合わせがあるため、神楽の代わりに代理で教師と出かけていていない。


 生徒会室に一人。

 残業しているサラリーマンってこんな感じなんだろうかと勝手にイメージしながら、僕は耳にかけていたイヤホンをはずし、軽く一息つく。


「ふぅー、飲み物でも買ってくるか」


「――――お疲れ様。優人君はこのコーヒーでいいよね、このとびっきり甘いやつ。たまにこれ飲んでるの見かけるけど、一体なにが入っているの?缶コーヒーにしては、空き缶の色がなんというか、独特だよね?」


 そうなんだよ。

 疲れたときは、あのコーヒーに限る。

 

 喉に通る甘ったるい味。

 極度の疲れさえも、この一本で補えるといっても過言ではない至高の一品。 


「練乳だよ。名前はM〇Xコーヒー。疲れたときに飲むといいんだよね……って、僕は誰に喋ってんだろうか」


 いるはずのない神楽の声が聞こえるんだけど、いよいよまずい……。

 本格的に疲れているようだ。

 僕は瞼を押さえながら、大きくため息をつく。


「そう思い込んでる優人君は相当疲れているみたいだ……ねっ!」


 神楽らしき声と一緒に、頬に温かいM〇Xコーヒーの缶を当てられる。


「うわっ……か、神楽っ!?なんでここにっ!?」


「やぁ!なんか久しぶりだね?」


「お、おお……。体調はもういいのか?」


「うんっ、おかげ様でもう大丈夫だよ!心配かけてごめんなさい。仕事のほうも随分無理して頑張ってくれたみたいだね」


 僕の飲んだ栄養ドリンクを見て、どれだけ頑張ったか想像しているようだ。

 しまった、捨てておけばよかった。


 余計な気を遣わせてしまった気がするが、見られたからにはどうしようもできない。

 ……が、それっぽい言い訳だけは述べておく。


「まぁ、なんだ。否定はしないけど、僕がやっていたのはあくまでも雑用だけだ。それに、成瀬や夏希先生、それに他の教師陣はお前のこと相当心配していたぞ、あとで顔見せてやれよ」


「うん、随分迷惑かけたし、あとで必ず顔見せに行ってくるよ。あと、その……」


 頬を赤く染め、なにやらモジモジしている……。

 神楽にしては、珍しくなにか言い淀んでいるけど、これって例のあれ……だよね?

 こればかりは仕方ない、生理現象だからな。


「なんだよ、トイレか?それなら僕のことは気にせずに行ってきていいぞ。もし暗くて怖いなら一緒にいこうか?僕も小さいとき、暗いの苦手だったし、気にする必要はないぞ?」


「違うよっ!びっくりするくらい違うよっ!なんで今の会話の脈絡でそうなるのさ!普段は頭が切れるくせに、なんで自分のことになると、そんなにうといのかな、君はっ!」


「疎い?よく分からないんだけど」


「もうっ!!その、あれだよ。君はその……僕のこと、心配しなかったの?」


「……ああ、そういうことか。なんかごめん」


「そうだよ、自分で言ったからなんも言えないけど、こういうのは男の子が気付くものなの!!もう……っ。で、どうなのさ」


「あー、あれだな。心配していないと言えば嘘になるな」


「ヘタレ」


「ばっか、ちげーよ!!そもそも普通こんなこと聞くなよっ、恥ずかしいだろうがっ!?」


「あははっ、ごめん、ごめん」


 目に映る神楽の笑顔は、素直に笑っていた。

 よかった、どうやら元気になったのは間違いないようだ。


「改めて、ありがとうね」


「別に、僕はなにもしていないよ。やるべきことをやっているだけだ」


「そう言うと思った、君は素直じゃないよねー。人のお礼くらい素直に受け取っておけばいいのに」


「性分なんだよ、無理言うな。それに、ぶっ倒れるまで頑張っている神楽にだけは言われたくない」


 僕は気恥ずかしくなり、もらったコーヒーを開け、口をつける。

 そして、しばらく沈黙が続く。


 室内越しに聞こえる楽しそうな声、自分が啜る缶コーヒーの音。

 変に上手く噛み合っていて、互いの沈黙には丁度いいBGMになっていた。


 不思議とそのまま浸っていたい心地いい沈黙。

 なにか喋ったほうがいいかなと考えてた矢先、先に口を開いたのは意外にも神楽からだった。


「……ねぇ、優人君」


「ん?」


「明日の文化祭が終わったら、次の日はクリスマスだよね」


「世間的はそうみたいだな、どうでもいいけど。クリスマスなんて僕にとっては、全く関係のないイベントで日常と変わらないからな。それがどうしたか?」


「よしっ……そ、その、もしもだよ?もし時間があるなら、その……。放課後、屋上で待っていてくれないかな?話したいことがあるんだ」


「別に構わないが、それは今じゃダメなのか?」


「うん。そうだね、ライブが終わってからがいいかな。放課後、文化祭の片づけが終わってからだから十六時に屋上で待っていてくれないかな?そこで伝えたいことがあるんだ」


「放課後、話したい事……屋上……ん?」


 これってまさか、伝説のあれなのか?

 いやいや、待て待て。


 なに、このラブコメ的展開。

 え、これって、そういうこと?

 神楽は、なんで頬を赤く染めてんの?

 

 まさかこくは……って、いやいやいやいや!!

 勘違いするな、あり得ないことを考えるなって。


 あまりにも安直な考えすぎて馬鹿な自分の考えに、一瞬吐き気がしたが断る理由もないから誘いに受けることにする。


「べ、別にいいけど……」


「あははっ、なにどもってるのさ」


「ち、違っ……!?こーいうのは、ほら。慣れてないから、仕方ないんだよ」


「それなら、仕方ないね。なら、約束だよ?はいっ!」


 赤く頬を染める神楽は、左の小指を立てて、優しく微笑む。


「今どき指切りげんまんって……。子供かよ」


 僕は、右手の小指を差し出す。


「でも、やってくれるんだ」


「まぁね、たまには童心に振り返るのもいいかなって」


「ヘタレ」


「うるさい」


 そして、ゆっくりと互いの小指が絡まる。

 何度も高鳴る心臓は、嫌な音ではなくて……。


「いつも思っていたけど、神楽の手はいつも冷たいね」


「昔から冷え性なんだよ、でもね……」



 ――――小指だけは、あったかいよ。



「……そうか」


「うんっ……えへへっ!」


 

 互いの心音が小指と共に重なる中、僕たちはクリスマスに待ち合わせの約束を交わした。

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます