第六楽章 -追憶の音-

episode31:これを話すのは、音羽が初めてだよ



「張り切り過ぎたかな……」


 苦笑いしながら僕は、白雪にを知られる前に、舞台裏に急いで逃げるように歩き出した。気を張っていたのが切れたからか、にとてつもない痛みが走り、その場で誰にも気づかれないように壁に背中をくっつけ、膝からガクリッとうずくまってしまった。


「……~っ、痛いな、ちくしょう……っ」


 血の気がどんどん引くのが自分でもわかり、痛みで今見ている景色がチカチカする。

 尋常じゃないくらいの汗が頬に伝って、止まらない。

 久しぶりに本気で演奏したから、これも仕方ない代償だよね……。


 だけど、本気の演奏はしばらくできないかな……。

 淡い期待を込めながら先ほど弾いてみたが、やっぱり


「はぁ、はぁ……。早見君っ!」


 大きな声で叫ぶのは、額に汗を流しながら涙目になって僕に駆け寄る音羽だった。

 そういえば全力出すから、あとはよろしくって頼んだんだっけ。

 痛みで思考がいつもより上手く回らないな……。


「おお、待ってたよ……音羽。世話になる」


「あなた馬鹿なのっ!?何もこんな小さな演奏会で無理する必要ないでしょう!ほら、口開けて」


 そう言われて、僕は大きく口を開ける。

 

「……ん」


 音羽は手慣れた手つきで救急箱から痛み止めの薬を取り出し僕の口に放り込む。

 そして、優しく僕の背中をさすりながら、飲むように自然と促してくれた。

 飲み終えると同時に、頭を下げながら笑顔でお礼を言うことにする。


「ありがとうな、今度はできれば痛み止めの薬じゃなくて、音羽が作ったご飯であーんでもしてもらうとするかな?」


 あまりに心配そうなだから、冗談交じりに僕なりの軽口を叩いてみるが、今度は無言で僕の両手首にそっと優しく触れながら、シップを貼って応急処置をしてくれる。


「両手首にも袖が隠れるようにシップを貼っておいたわ、白雪さんにもこれでバレないはずよ」


「あれ?いつもなら『馬鹿なこと言わないで、警察呼ぶわよ』くらいは言うかと思ったんだけど」


 目を伏せ、ゆっくりと僕の両手首を見つめる。


「お願いだから、心配させないで。指は動くのよね?」


「……ああ。さっきまで痺れていたけど、指は動くみたいだし、今は手首だけだと思う。まぁ、一曲だけだったし、薬も飲んだんだ。さっきみたいな全力じゃなきゃある程度は余裕で弾けるさ」


「そう……」


 本気でホッとする姿に、罪悪感が湧いてくる。


「……悪かった。どうしても白雪に門出を祝いたくてつい気分が盛り上がりすぎたみたいだ。それよりも白雪は一人で大丈夫かな?」


「今は心配しなくても白雪さんのサポートは父がしてくれているから、安心しなさい」


「そっか、それじゃあ安心だ」


「ええ、そうね……。だから、休んでいても大丈夫よ」


「じゃあ、遠慮なく休ませてもらおうかな。痛みでしばらくの間、弾けそうにないし」


「演奏したばかりだったから、暑いでしょう。窓、開けるわね……」


 そう言って、音羽は僕の目の前にある窓を開けると、心地よい太陽の香りと白雪が今奏でているモーツァルトの「きらきら星変奏曲」の音色と共に、僕たちを照らしてくれていた。


「おお……。今日はやけに優しいじゃないか」


 隣にそっと体育座りで座って、何も言わずに僕の手首を片方の手で優しく撫でられる。

 なんだろう、とても恥ずかしいのだが……っ。


 気持ち的に少し痛みが引いたような気もするが、僕の頭が現在進行形で脳内パンク状態なのは言うまでもない。


 痛みが引くのはいいことだし、今座っている場所が居心地がいいのであればと思い、何も言わずにそのままにしておくことにした。


「「……」」


 ああ、なんだかウトウトと眠くなってくる。

 薬の副作用で眠くなっているのだろうか。


 ここ最近は目まぐるしくもあっという間に時間が過ぎ去っていって、こういったゆっくりとした時間があるのはなんだか久しぶりな気がする。


 ……いけないな。

 この後、僕はまだ演奏も残っているんだし、頑張らなくてはいけないだろう。


 互いが沈黙しているが、それが妙に居心地良くて、いつまでもこの瞬間が続いてくれたらと錯覚に陥ってしまう。すると、隣で咳ばらいをして伺うように、声をかけられる。


「コホンッ……ねぇ、一つ聞いていいかしら?別に答えたくなかったら答えなくていいのだけれど、もし答えられることなら私は知りたいと思っていて、だからその……っ」


「いつも爪楊枝でチクチク刺すように遠慮なく質問があるときは聞いてくるじゃないか、今更遠慮なんかしなくていいよ」


「……そうね、こういうことを聞くのは今までの私なら絶対聞かなかったのだけれど、今日の二人の演奏を見て、私も考えが変わったわ。だから、一歩踏み出して聞くわね」


 深呼吸を何度もして呼吸を整えているところを見ると、彼女にとっては相当勇気のいることなのだと感じた。


 そして、意を決して僕に聞いてきた。


「――――あなたのその両手、どうしてそうなったのか。聞いてもいいかしら?」


 目線だけを僕の両手に向けてくる。


「……ああ、これか。そうだね、気になるのは当然か」


 僕は月の兎で働く上で、深い事情は話さずに音羽に「日常生活には支障は出ないが、両手に極度の大きな負担をかけてしまうと、かなり痛くなって動かなくなるんだ」とだけ話していた。


「どこまで知っているんだ?」


 僕のことを元から知っている音羽のことだ。

 ある程度のことは、知っているはずだ。


「あなたの母が、その……っ」


「いや……ごめん。気を遣わせてしまったね、そこまで知っているなら話は早いか。せっかく時間があるんだし、昔話でもしようか」


 僕は自分の両手を見て、ため息をつく。

 正直、思い出すだけでもあまりいい気分ではない。


 いつの頃だったか、夢を見るようになっていた。

 決して忘れるなと言っているかのように、何度も、何度も……。

 

 暗闇よりも暗く、本当に何もない虚無。

 懺悔を言うことさえ許されない、早見優人の過去の記憶。

 

 結末が分かっている映像を何度も振り返り、僕は意識する。

 悲しくて、決して戻ることのないあの日のこと……。



 ――――この両手は、僕の罪であり、罰だ。



 サァァァァ、っと……。

 脆く、痛く、自分が崩れる音が全身に響き渡る。

 酷く冷たく、ただ残酷に。

 目の前で、暗闇より暗い闇に広がる赤く血色に染まる夢。



 ――――助、けて。



 火で燃えた焦げ臭い煙の臭いと、周りで聞こえる騒がしい声。

 何度も、何度も……。

 この言葉が、頭から離れない。



 ――――ねぇ、なんで、助けてくれなかったの?



 やめてくれ。頼むから……っ。

 それ以上は、聞きたくない……っ。

 その罰を受け入れるかのように、僕はゆっくり両手を差し出した。




 ――――優、人っ。




 そして、また暗闇よりも暗い闇から始まる永遠とも言えるこの時間。

 今も寝る度に見続けなければならない。

 これが神様から与えられた罰と言わんばかりに何度も、何度も……。



「……」



 このことを話してしまって、果たして音羽に受け入れてくれるだろうか。

 不安からか、頬から汗が伝う。


 僕の思考を呼んだのか「大丈夫よ、どんなことであなたを受け入れるわ」と、先に言われてしまっては致し方ない。


「……あまり面白くない話だが、いいのか?」


「ええ、お願い。あなたのことが知りたいの」


「そっか、わかった……。これを話すのは、音羽が初めてだよ」




 僕は目を瞑りながら、あの日の記憶を少しづつ語っていくことにする。

 悲しくて、苦しくて、僕の罪である物語。

 


 ――――月日は、数年前の高校時代にさかのぼる。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます