episode20:あなたは私の事知らなくても、私はあなたのこと知っているもの


 玄関の鍵を閉め、白雪を連れて「月の兎」に向かって歩いていた。


 歩を進めるごとにまだ肌寒い風が頬を掠め、目を薄めながら空を見上げると、西の空は残照に滲み、小さな星達はキラキラと輝きを見せていた。

 

 視線を戻し、見慣れた街並みをもう一度見ると、賑やかな世界が広がっていて、なんとも楽しそうな喧騒けんそうに満たされていた。


 去年の今までは一人で過ごしていたのに、楽しそうに僕の前を歩く白雪を見て、思わず頬が緩んでしまいそうになる。


 今なら「ウチの娘はお前にはやらんっ!」というどっかの茶番劇の台詞を言っている父親の気持ちがわかってしまうのは、僕もいよいよ父親色に少しずつ染まっているんだろう。


「パパ、これからどこに行くんですか?」


 首を可愛らしく傾げながら聞いてくる。

 あまりの可愛さに優しく頭をポンポンと撫でつつ、答えることにする。


「僕が今働いているバイト先だよ。白雪を連れて一緒に来いって音羽に言われてね。電話で話せない用件があるんだとさ」


「音羽さん?確か、パパの……」


「うん、そう。今から行く『月の兎』の店長の娘であり、僕の恩人でもあるんだ」


「恩人、ですか?」


「ああ、恩人だよ」


 この手の話題を音羽とする機会が何度かあったが、その度に頬を赤く染めながら「そんなつもりはなかったのだから、勘違いしないでちょうだい」と言ってくる。


 本人が何と言おうと僕にとっては恩人であり、生きる理由をくれた人物なのだ。


「これから会う音羽おとはかなでのことを事前に知ってもらいたいし、歩きながら昔話でもしようか」



♯♯♯



 ――――恩人である少女、音羽奏という女の子に出会ったのは、僕が高校を卒業し、ピアノから距離を置いた頃だった。


 丁度あの頃も春だったが今とは状況は違って、只々有り余る時間を持て余し、ひたすら読書という活字の海に溺れていた。


 読みすぎていつの間にか一日を跨がないように、極力図書館や静かな喫茶店を利用して読むように心掛け、今ではカーテン越しから日差しが差し込むと、嫌々ながらも体を起こし「外に出る」という自分の日々の作業ルーティンを確立しつつあるときだった。


 CRSでも世間一般的にそこそこ顔が知られている僕は、変装用で使っている伊達眼鏡をかけて適当に辺りを探索しながら歩いていると、赤レンガ風に塗装されているレトロな雰囲気の佇まいで「月の兎」という、如何にもという感じの喫茶店をイメージした名前の店があった。


 外観だけなら過去にも似たようなところを何度か見つけたことはあるけれど、英語を用いた店名でなんて書いてあるんだろうと感じるものばかりで、雰囲気的に入るのもなんとなくはばかられることが多かったのだが、こうして日本語で店の名前を出してくれると調べなくて済むし、正直言うと覚えやすくて助かる。


 それにしても、住んでいる場所は日本なのになぜ外国語がこんなにも多いんだろうか。

 そのうち日本という名前すらも変わったりしないか心配だな。


 なんて、どうでもいいことを考えながら店の中に入ると、洋風をイメージさせた音楽をバックサウンドとして使用しており、店内は今まで来た喫茶店の中では客入りこそ少ないが、本を読むのに適した室内の雰囲気になんだか落ち着く場所だった。


 どこに座ろうかと辺りをきょろきょろと見渡すと後ろからスッ……と、心に響く綺麗な音が僕の耳を通り抜ける。


「――――いらっしゃいませ、一名様ですか?」


 凛とした声に思わず思考が停止してしまうほどで、その声の持ち主は黒のエプロン姿に腰まである黒髪を靡かせ、僕を見つめている。まるで絵画からそのまま出てきたような立ち姿に心臓が大きく高鳴る。


「当店へは初めてのご来店ですよね、こちらへどうぞ」


 ずっと心臓が高鳴っているのは気のせいだと心の中で何度も言い聞かせ、彼女の質問に「……あれ?」と頭を傾げ、疑問に思ったことを聞いてみる。


 「確かに初めてですが、なんでわかったんですか?」と返答すると、小さく笑みを浮かべた彼女は「ふふっ、お客様みたいな若い年齢の人が来たのは初めてですから」と、視線を店の周りへと自然と誘導される。


 ああ、なるほど・・・・・・と、一人納得する。見渡すと、年齢層が八十代位の優しそうなお婆さんが数人いるだけで、あとはカウンターで何かの料理を作っている姿が見える店長と思わしき若い男性がいるだけだった。


「もしかして一見さんお断りみたいな京都花街システムとかこのお店にはあったりするんですか?」


 一見さんお断り。つまり、初めて来店する人は、お茶屋を利用できない。

 誰かからの紹介があって、はじめて座敷にあがることが可能になるシステムだ。


 「どんだけこのお店は上目線なんだ」とか「お店のステータスを上げる為」などと勘違いするかもしれないが、それは間違いでただ単純に、トラブル回避の為でもあるのだ。


 都内なんかでも高級店や老舗などが「一見さんお断り」システムを使っているところが多々存在しているが、やはり高級店なだけあって最高のサービスでおもてなしをしてくれる。


 もちろん、値段も一般的なものに比べるとかなりのもので、凄いと言わざるを得ないレベルだ。外観からは見えないが、一見さんには変わりないからもしそうなら早々に引き上げようと心に決めておく。


「ええ、そうです。だから一見さんはお断りよ」


「えっ!?すみません、すぐに帰りますので」


「冗談です、一度言ってみたかったのよ」


「……おい」


「……ふふっ、からつい張り切ってしまったのよ。気に障ったかしら?ごめんなさい。それに、一見さんお断りシステムがあっても、あなたみたいなお客様には適応されないわ」


「それは一体どういう……いや、それよりもなんで僕の年齢を知っているんだ?」


「うまく隠せているようだけれど、あなたは私の事知らなくても、私はあなたのこと知っているもの。もう少し変装は念入りにした方がいいわよ、元騎士ナイトⅣの


「……っ!?」


「そんなに警戒しなくても、マスコミとかじゃないから安心しなさい。それでは、一名様ご案内致します。こちらへどうぞ」



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