episode19:あなたと今一緒にいる銀髪の女の子も一緒に連れてきなさい、いいわね?



 早見優人は、人生最大の窮地に立たされていた。


 夕刻、白雪に見つからないように自分の部屋に籠って何度通帳を確認してみても、預金残高が四桁を切っており、財布の中身は千円札が一枚と小銭が少々という衝撃的事実に、僕の脳内ではベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調作品67「運命」の冒頭が流れていた。


 ジャジャジャジャーンって、あれな。

 それにしても残高四桁切っているってのは、流石にやばい……。

 

 白雪と出会ってから約四ヶ月が経った。ピアノの練習に明け暮れていた僕はニート候補生だったことをすっかり忘れて、バイトの日数を減らしてしまったことにより、給料が先月の半分以下。


 当然、生活費のことなど考えずにいつも通り使っていると、こんな事態になり、大きな失態を犯してしまったことに頭を抱えてしまう。


  一人なら我慢でなんとかなるが、白雪がいるとなると話が別だ。


 まだ十歳という成長真っ盛りなこの時期に、お金がなくてご飯を食べさせられませんでした、てへっ!なんてのは、冗談でも済まされない。

 

 父親としては、何としても避けたいところではある。


 「月の兎」での給料日まで残り十五日ばかりだが、かと言ってピアノの時間を減らすとなると今までの時間が無駄になってしまい、非常によろしくないのは目に見えてわかる。


 ロマン派音楽のピアニスト。

 イグナツィ・ヤン・パデレフスキーはこう名言を残している。


 練習を一日休むと自分にわかる。

 二日休むと批評家にわかる。

 三日休むと聴衆にわかる。


 全くもって、その通りだと思う。


 今は昔とは違い、CRSが世界で目立っているが、実際には採点基準が変わっただけで、上手くピアノ演奏をすることに変わりはない。


 どのピアニストも死に物狂いで練習とアレンジ構想に時間を費やし、舞台で全力を尽くして演奏をする。


 観客から、大きな拍手と歓声という評価をもらえればよし。時にはまばらな拍手もあれば、評価すらもらえず酷い時には、罵声を浴びることもあるだろう。


 経験するのは挫折か、はたまたランクが上がるかの、どちらか一方だ。


 どれだけ練習を重ねてもランクが上がらず、兵卒ポーンで終わるなんてのは、この世界では当たり前の出来事なのだ。


 僕も元騎士ナイトⅣとはいえ、今は規定によって兵卒ポーンから再スタートだし、今までのブランクを取り戻すのに約四ヶ月という時間を丸々費やしても、今現状で自分自身が納得できる音を出せているかと聞かれれば、微妙なところだ。


 自論だが、ピアノに嘘はつけない。

 技術と心、その人の努力がそのまま音となって現れるから。

 

 僕はこれまでの数年、練習をしてこなかった分のツケが今こうして回ってきてしまっているのは仕方ないことだが、後悔先に立たずとはこのことだと身をもって実感しているところなのだ。


技術を取り戻すためにこれ以上練習量を増やすことは絶対できないし、かと言って今の練習量以下に減らしてしまうと、今度のランクアップ戦で兵卒ポーンから昇格できずに終わってしまうことなんてのもあり得る。


 だからこそ、油断せずに毎日練習をコツコツ重ねてきたわけなのだが……。

 お金がないとなると、話は別だ。


「これ、どちらか犠牲にしないといけないやつじゃないのか?」


 そう思ったら、つい深くため息が漏れてしまう。


 本来の予定では、ランクアップ戦でCRSランクを上げることで大きな賞金が出るからそれを頼りにしていたんだが、そうもいかない事態だ。


 今すぐ現金が欲しい。

 でも、練習もしたい。

 

 いずれにせよ今のままではいけないのは分かり切っているんだ。

 迷う必要なんか、ないよな……。

 今回のは明らかに、自業自得だけど。


「とことんニート候補生ってのは苦労するね……」


 まさか、お金でここまで追いつめられるとは……。

 仕方ないが、短期のバイトを探すしかない。

 白雪を、ここで飢え死にさせるわけにはいかないからね。


 「月の兎」を朝入れて、夜に高い日給が出るアルバイトでも探してダブルワークで働こうかと思いふけっていると、手元に置いてある携帯スマホに着信が入る。


 画面を見ると、見知らぬ番号からだった。僕は首を傾げながら人指し指で画面を横にスライドさせて電話に出ると、透き通る凛とした綺麗な声が聞こえた。


「早見君かしら?私よ」


「今お金がないんで他を当たってください、それじゃ」


「え、ちょっと」


 容赦なく電話を切る。

 話を聞いてしまうと情が移ってしまうから、怪しい電話はすぐ切るのが正解だ。

 

「オレオレ詐欺がダメだからって、今度はワタシワタシ詐欺だなんて、世の中物騒になったものだ。流行っているのかな、白雪にも気をつけるように言っておこう、うん」


 電話帳にあんな綺麗な声を出せる知り合いはいないとすぐさま判断して電話を切ったのはいいが、再び同じ番号から掛かってくる。


「随分しつこい電話だな……」


 何度も根気強く着信が鳴るから仕方なく電話に出ると、先ほどとは違い、綺麗な声の中に怒りの感情が含まれていた。


「あなたいきなり電話を切るなんて、一体どういうつもりかしら?」


「僕の知り合いにそんな綺麗な声を出せる知人はいないはずですが、どちら様でしょうか?」


「綺麗って、あなたね……はぁ。本当にわからないのかしら?」


 少し困ったような声で、もう一度脳内で声をリピートすると、聞き覚えのあるような声だった。もしかして……。


「あー……っと、音羽、か?」


「気づくのが遅いわよ、バカ」


「す、すまない。本当に気がつかなかったんだ。それで、なんで僕の番号を知っているんだ?」


「月の兎、履歴書、依頼。それより、電話しておいてなんだけれど、今話して大丈夫かしら?」


「全く持ってその通りだが、大丈夫だ。それより簡潔に話をまとめすぎじゃない?どれだけ短縮してんだよ。素直に履歴書を見て、電話番号を知りましたって言えよな」


「あら、時短って言葉が流行っているじゃない。その流行に乗っかってみたのだけれど、ダメかしら?」


「なんか意味違うだろ、それ……。それで、依頼ってなんだ?今お金が急遽必要になったから、時間はそこまでとれないぞ?今から日給でもらえるアルバイトを探さないといけないからな」


「あら、それなら丁度良かったわ。直接今から会えないかしら?電話では正直話しづらい案件なの。『月の兎』に来てちょうだい」


「おいおい、いきなりだな。電話じゃ無理なのか?」


「ええ、無理だわ。それにあなたもそのほうが絶対いいと思うの」


 珍しいな……。

 音羽がそこまで言うだなんて。


「……わかった。今から準備するから時間が少しかかるがいいか?」


「ええ、構わないわ。ああ、それと」




 ――――あなたと、いいわね?




 画面越しでもわかるくらいの満面の笑みに「これ、言い逃れできないやつだ」と思い、頬から冷汗が伝ってくるのがわかった。


 僕の顔を今見たら、見たこともないくらい焦った顔が目に映ることだろう。

 ため息交じりに、音羽の言葉に答えることにする。 


「オッケー、言い訳せずに今から行き……」


 それは、一瞬の出来事。

 ――――ガチャ……と。


 扉がゆっくり開く音。

 特徴的な銀色の髪が先に見えて、白雪の顔がひょこっと後から出てくる。


「パパーっ、ドライヤーどこでしたっけ?」


「なっ……し、白雪っ!?なんて恰好をっ!?」


 水に濡れた銀色の髪は、床に少しばかり滴っている。


 キョトンとした顔をして、可愛らしく首を傾げる様子に、頬を赤く染めてしまうのを感じながら、思わず顔を瞬時に後ろに背ける。


「ふぇ!?え、えっと……のでお風呂に入ったのはいいんですけど、ドライヤーが見当たらなくて」


「あら?……ね。随分楽しんでいるみたいじゃないの、早見君。ど・う・い・う・こ・と・か・し・ら?」


 画面越しに伝わる冷たい声。

 あ、これ、やばい。

 本気で怒っているやつだ。


「ご、誤解だ、バカっ、そんなことしているわけないだろうがっ!?ししし、白雪さん!?いつも大事なとこだけ説明が抜けているから気をつけろってあれほどっ!?早くって修正して……っ」


「どうして、パパは顔を背けて……あっ、顔が赤くなって……。もしかして照れているんですか?ふふっ、私もとうとう魅力的な大人の女性に近づいたってことでしょうか?えっへん」


「この状況で、めちゃくちゃポジティブだな、おいっ!」


「顔が赤く……くっ。あなたまさか、本当に……っ。は、早く警察に連絡しなきゃ!!えっと、ええ、落ち着きなさい、音羽奏。今は携帯を使っているから店の電話で……1、1、9……っと、あら?これは」


「それ、警察じゃなくて、救急車だからっ!?音羽も落ち着いてっ!?ていうか、本当に電話してんじゃねーよっ!?」


「それはそうと、パパっ!大変ですっ!!」


「今度はなにっ!?今忙しいから、あとに」


「ご、ごめんなさいっ!になっちゃいました。どうしましょうっ!!」


「下……っ、び、びしょ、びしょ……っ」


 ――――バタンッ。


 ――――あれ、奏ちゃん!?顔が真っ赤になって、き、気絶してるーっ!?!?


って意味だから、勘違いだってーっ!!」


 「月の兎」にいる店長が、音羽が倒れたことで大騒ぎしている。


「ああ、もう……っ!?どうしてこうなったーっ!?!?」



 ――――この後、誤解を解くのに一時間近くかかったのは、言うまでもない。

 


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