episode18:これが、僕たち二人の日常の一ページだ

 

 ――――季節は廻り、春。


 部屋の窓を開けると、早春の風がカーテンを揺らし、頬を霞める。

 暫くその風に身を任せて、耳をすませる。

 

 小鳥が囀る音。

 学校へ登校するいくつもの生き生きした足音。

 色んな家の、食卓の音。

 今もこうして、色んな音が溢れて生きている。


 その中で、僕の部屋から一際目立つ音が近づいてくる。

 パタパタと可愛らしくも小さな足音。

 

 僕の近くで止まり、袖を引かれ揺れてるのがわかり、微笑みながら小さく頷く。

 太陽の光が差し、二つの影となって揺蕩うように床で揺れ、ゆっくり消えていく。

 

 音を拒否し、ピアノを弾くのをやめた僕が、意識的にこうして音を聞くことができるだなんて思いもしなかった……。

 

 ――――それもこれも、白雪と出会ったからだな。

 

「さて、始めようか」


 両手の指を曲げ伸ばしして、大きく深呼吸をする。鍵盤に両手を置き、右足にペダルを軽く乗せて、アップテンポで僕は指を走らせていた。


 かつて騎士ナイトだった時代にしていたピアノを弾く前の準備運動の一つだ。頭に浮かんだ好きな音をひたすら拾って鳴らしながら、一つの曲として組み合わせてアレンジしていくというもの。


 名付けて「早見流即興曲」というやつだ。


 今日は、和音を構成しながら鍵盤を押して左手を連打するオクターブ高速連打で親指を酷使する弾き方でアレンジすることにする。このオクターブ高速連打はかなり難易度が高い鬼門の一つ。

 

 余計な力を少しでも入れてしまうと、すぐに腕が痛くなるし、逆にこれを疎かにしてしまうとCRSでは勝つのはかなり難しくなる。オクターブをいかに早く弾けるか、それがピアニストにとっての永遠の課題とも言えるからだ。


 基本は、脱力の意識。特に親指には集中して脱力させるという、言葉で言うのは簡単だが、やってみると意外に難しい。


 この技術は幼少期に曲を弾かせてもらえずに、繰り返しオクターブの反復練習をしたのは辛い記憶だったのを覚えている。それだけオクターブ高速連打は大事な技術なのだ。


「パパ、お水をどうぞっ!最近調子良さそうですね」


「ボチボチってとこかな。だいぶ指が馴染んできたし、時間のある限りこれを繰り返していこうと思う。これがにできないと、ピアノを教えるなんてできないからね」


 そう言って、白雪の頭を優しく撫でる。

 ふわふわとした雪のような銀色の髪は、いつ触っても気持ちがいい。


「えへへっ、ありがとうございますっ!頑張るパパもカッコいいですっ!」


「褒めて伸びる子、それがパパですっ!」


「はいっ!本当いつもですしっ!」


「おお、ありがとう」


ときも、自然ですしっ!」


「……うん?」


「それに、いつも!」


が上手くて、を入れるときも自然で、気持ちいいんだよね!聞いている人が聞いたら、誤解しちゃうからちゃんと主語入れてっ!?……いや、僕何言ってんだろ。疲れてんのかな?」


「えっと、もう一度入れましょうか?あっ、気をつけなきゃっ!」


ありがとう、助かるよっ!ったく、変な汗掻いてしまったよ……」


「えへへっ!今日のパパは、なんだかテンション高いですねっ!」


「誰のせいだよ、全く……。まぁ、なんだ。話を戻すけど、時間をかけて実力は取り戻すさ。それよりオクターブ高速連打の勝負に付き合ってもらっていいかな?」


「はいっ、わかりました!そのあとは曲のアレンジ構成の仕方を教えて下さいね?」


「もちろん、それじゃ行くよっ!」


「今日も負けませんよーっ!」


「今度こそ、勝ってやるっ!」


 そうして、部屋の中で同時に二つの音が鳴り響く。

 最近はこうして腕が限界になるまで、ひたすらオクターブ高速連打を弾く。


 ちなみに、オクターブ高速連打の技術に関して白雪は、多くのピアニストの中でも現在のキング音速の戦乙女ラディカルヴァルキリーこと神楽つづりと同等レベルで一、二位を争うレベルだと僕は思う。


 僕自身もけっこう現役に近いレベルでこの技術に関して戻っているはずなのだが、今だにこれだけは白雪に勝てていないのが現状だ。

 

 白雪曰く、脱力を意識するというより、らしい。


 実際にぶっ続けで二十四時間できたりするのか?と冗談で聞くと「お腹が空かなかったら、余裕でできますよっ!」と笑顔で答えられたときは、驚いたものだ。


 実際にずっとこうして疲れた素振りもなく、オクターブ高速連打で弾き続けられているのだから、事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。


「はぁ、はぁ……っ。相変わらず早いし、白雪は全然疲れないね……っ。ありがとうございます、負けました」


「ふふっ、勝ちましたっ!こちらこそですよっ!それじゃあ、次は私の番ですね!!ご指導よろしくお願いします」


「了解、んー……っ、よしっ!今日はこれでいこうか」


 多くの楽譜の中から選んだのは、オーストラリアの音楽家。古典派音楽の代表と言ってもいい、ハイドン、ベートーヴェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人であるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの有名曲の一つ「きらきら星変奏曲」だ。


「それじゃ、弾いてみて?」


「はいっ、いきますっ!」


 キラキラしたテンポのいい綺麗な音が鳴り響く。

 やっぱり上手いな、この子は……。

 さながら、輝く星が賑やかに歌っているようだ。 


「そう、そこからクレッシェンド。もう少し速くしてもいいかな、アレンジの基本は変わった瞬間を如何に観客に見せて魅了するかだから、アレンジが気づかれないのはアレンジとは呼ばないんだ」


「なるほど……。アレンジって知れば知るほど本当に深いですね?」


「アレンジに関しては練習よりも感性が物を言うから、見たもの、聞いたもの、感じたもの。そして、沢山の作曲家の意図をなぞっておいた方がいいんだ」


 例えば、第一変奏から十二変奏まであるこの曲「きらきら星」は、当時フランスで流行していた恋の歌「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」 による変奏曲だ。


 この旋律は、後に恋の歌ではなく童謡「きらきら星」として知られるようになったのだが、勿体無いことに「きらきら星」の歌詞が書かれたのはモーツァルトの死後で、モーツァルト自身がこのきらきら星を知らないのだから、なんだか可哀想な気もする。


「モーツァルト本人の意思とは関係なく作られた歌詞だ。果たして彼自身がもし生きていたらこの歌詞はどんな風に変化して、世を渡ったんだろうね」


「……きっと」


 白雪は窓の外で舞う桜の花びらを見ながら、続きの言葉を口にする。


「きっと、モーツァルトさんも天国で『きらきら星』はそのままで、これでいいって思ってますよ」


「どうしてそう思うんだ?」


「ふふっ、だって」



 ――――こんなにも世界で愛され、語り歌われ続けられているのだから。もし、作曲家ならこれ以上にないくらい嬉しいはずです。



「だから、モーツァルトさんは笑顔で私たちをきらきら星を歌いながら見守ってくれていますよっ!」


「くくっ……。白雪らしい解釈だね」


 白雪らしい、僕とは真逆の解釈だがそれもいいだろう。白雪は鍵盤に指を置き、深呼吸をする。いつの間にか二つ並んだ長い影が家の床を伸びている。そろそろ日が沈むこともあって、外の明かりが灯り始めた。


「……あ、一番星。もう夜なんだ……あ、そうだ!ちょうど夜ですから、一緒にきらきら星を歌いましょうよ!!」


「えぇー!?僕歌は苦手なんだけど……ま、いいか。天国にいるモーツァルトにせっかくだから届けてみようか」


「やった、パパと歌うの初めてです!!」


 嬉しそうな白雪の顔を見ていると、つい自分の顔も綻んでしまう。

 パパとしての環境も、少しは板についたのかもしれないな。


「よしっ、それじゃあ歌うか!」


「はいっ!」


「「せーのっ!!」」


「「きらきらひかる~ おそらのほしよ ~♪」」




 ――――これが、僕たち二人の日常の一ページだ。




「あははははっ、パパ。凄く音痴ですーっ!」


「おいこら待てっ!白雪にだけは、言われたくないってのー!」




 ――――輝く夜空の星の下、パタパタと走り回る二人の足音がいつまでも……。


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