episode15:さぁ、物語を始めよう!!


 控室から映像で流れていたクロエさんの演奏が終わり、とうとう私の番になった。係の案内に従い、私はさっきまで見ていた画面の向こう側に向かって歩き出す。心臓の高鳴りが私の全身を蝕み、緊張で体が固まっていくのがわかった。


「……っ。私、緊張しているんだ」


 額から自然と汗が頬を伝っていく。ゆっくり深呼吸しながら少しでも震えていた指をどうにか戻そうと、何度も弾く曲をイメージしながら太ももを土台に指を動かす。


「イメージです。イメージ、イメージ……っ」


 何回も、何十回も、何百回も、何千回も聞いて、弾いたんだ。

 失敗は許されない。遊びで弾くわけでもない本当の舞台。

 私の想いを伝える為に奏でられる、最初で最後のチャンスなのだ。

 

 しーちゃんには無理言って大会に出場出来るように、何度もお願いをした。


 最初は、まだ早いんじゃないのか?と言われたけれど、最後にはため息交じりに「君の初めての我儘が、の為と言うのであれば仕方あるまい」と微笑みながら、最後には私の我儘を聞いてくれた。



 ――――そう、これは私の我儘。



「パパが言ってくれたあの時の言葉、嬉しかったな……」


 ――――いきなり僕みたいのが白雪のパパになったから、気を遣うなっていう方が難しいのかもしれないけれど、今日から家族になるんだろう?

 

 中性的な顔立ちで、あまり笑わないパパは不器用だけど、とっても優しくて温かい人。あれほど凄い演奏ができるのに、今はピアノをやってないだなんてしーちゃんに聞いたときは未だに信じられなかった。


 ――――娘は娘らしく沢山我儘を言ってくれ、いいね?これが最初のパパからのお願い事だよ。


「……きっと、なにか理由があって辞めたんだ」


 だからこそ、私はパパに最初の我儘をしようと決めた。

 こんな身勝手な私に対して、やっぱり怒るかな?

 それとも、頭を撫でて褒めてくれるかな?


「……届くといいな、私の音」


 どんなパパでもいいんだ。

 我儘で、身勝手かもしれないけれど、届けたい。

 パパに、届けたい音があるんだ。


 握りこぶしを握り、よしっ!と、気合いを入れる。

 パパの心を少しでも動かせられたら……。

 少しでも、ピアノに対して向き合ってもらえたら、それだけでいい。


 人から見たら紛い物の関係でも。

 パパの娘として、これから本物の関係を作っていくんだ。

 そして、私自身の為にも……。


「私が、やらなくちゃいけないんだ……」


 緊張からか、目がチカチカしている。

 暑苦しいオレンジ色のライトに、少し埃臭さが残った舞台の上。

 私は、目を閉じて大きく深呼吸する。



 ――――さぁ、物語を始めよう!!



♯♯♯


 

 白雪が奏で始めた音の雫が会場中の観客や審査員、そして僕の心に染み渡る。

 静謐な舞台に僅かに見える小さな光を優しく包み込むような、静かで優しい音。


 先程の自信に満ち溢れたクロエ・リシャールの音とはまた違う、異質の音だ。

 会場中がその音に惹きつけられ、目を奪われる。


「ただのcalmatoカルマートじゃない」


 自らの感情の水滴を一滴、涙が伝うように落とすイメージ。

 それはまるで、命のともしびを少しずつ手のひらで包むように。

 優しく頭を撫でるように、聞き手の心を癒していく。


 ――――僕は、この音を知っているのだ。

 

 僕の聞き間違いでなければ、次の音の構成は観客と審査員を一気に引き込む特別なアレンジ音が来るはずだ。


 でも、白雪が知っているだなんて、一体どこでっ!?

 隣にいる東雲静を見ると、そこには狂姫として不敵に微笑む姿があった。

 

「……さぁ、見せてくれ。君の物語を」


 そして、東雲静の言葉と同時に奏でられるcon animaコン・アニマの音だった。一気に自分の世界に飲み込む感情の爆発音。

 

 自分の抱いている感情を心の底から願いを込めて、ナイフの様な鋭利の音で、会場全体の一つ一つの心に何度も突き刺していく。


「これは……っ!!」


 何回も、何十回も、何百回も、何千回も、何万回も聞いて、弾いて、アレンジして作り上げた僕の……っ。


「ああ、これはだよ」


「――――死の、舞踏」


 フランツ・リストの作曲したピアノ独奏を伴う管弦楽曲。リストは一八三八年にイタリアを旅したとき、ピサの墓所カンポサントにある十四世紀のフレスコ画「死の勝利」を見て、深い感銘を受けたといわれるが、僕はそれを肯定して、僕なりにアレンジしてさらに「死」に対するイメージを強くしたのが今の白雪が弾いている死の舞踏だ。しかし、これは……っ。


「正直驚いたよ、ここまでするとはね。あの幼さでこのクオリティとは、純粋な天才とは末恐ろしいものだな」


 東雲静の手が震えている。

 恐らく武者震いに近い何かだろう、やはり彼女も生粋のピアニストらしい。


 そう、白雪が今弾いている姿はまさにあの頃のだった。音の表現力、指の動き、体の動かし方、筋肉の細かな使い方まで、全てがあの時の僕そのものだった。


 狂姫が直接教えたのか?

 いや……。それは有り得ない。


 簡単に弾けるほど僕はこの曲を作った覚えはないし、一日二日頑張ったところでできるものでもない。


 けれどもし、白雪になにか教えたのであればと思い狂姫を横目で見るが、苦笑いしながら首を横に振る。


「この大会に飛び入りで出場させたこと以外は、私は本当になにもしていないよ。というより、何もさせてもらえなかったっていうのが正しいけどね」


「……まさか」


「ああ、そうだよ」



 ――――君の家の中にあった演奏している映像の姿と音のみで、この曲を一人で仕上げたんだ。



「なんで……っ」



 もうピアノとは決別したつもりだった。

 ピアノにはもう向き合わない。

 のことをどうしても思い出してしまうから。



「どうして……っ」



 だって、苦しいじゃないか。

 もう、苦しいのは嫌なんだよ。

 

 それに、今弾いたところで、見えてくる未来は決まっているじゃないか。

 今の自分と向き合う怖さと後悔をもう知っているじゃないか。

 知っている、理解もしている。でも、でもさ……。



「さぁ、早見少年。これは君の物語だ」


 

 ピアノと離れた生活に違和感を覚える僕がいた。

 ニート候補生として、中途半端な自分が腹立たしかった。

 

 恥ずかしいけれど、でもどうすることもできないという言い訳じみた感情のループに抜け出せなかった僕を、白雪は向き合う場所に連れてきてくれた。

 


「――――君は、どうする?」



 その事実を知り、僕は胸が熱くなる。

 与えてくれる銀色の雫が、僕の心をどんどん燃やしていく。


 白雪は、この短期間にどうやってここまで弾くことができたのだろうか?

 一体どういう想いで、この舞台に立っているのだろうか?

 自意識過剰かもしれないが、きっとそれは……っ。


「……僕の為、なのか?」


 芽吹く感情の色と音。

 赤色、黄色、白色、そして銀色……。

 様々な白雪の感情が、音と共に僕の胸に響いてくる。



 ――――弾いてよ、パパ。



 赤色の我儘。

 深く、破壊的な音を猛烈なスピードで奏でられる。



 ――――お願い、パパ。



 黄色の切なさ。

 甘えるように、amabileアマービレのゆったりとした音。



 白色の激励。

 強く背中を押すように、深く大きな音。



 ――――ここから、始めようよっ!!



 ……そして、演奏中では絶対あり得ない。

 自分の得点を無視しないとできない、届けたい想い。

 そう考えていないと決してできない前代未聞とも言える行動を白雪は引き起こす。



 銀色の雫が、僕の心をとうとう崩壊させる。

 直接、僕に声として届けるこの舞台では異質であり、我儘な音!!



「私の、音を聞けぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!」



 張り裂けるくらいな声で会場中に向けて、僕に向けて叫ぶ白雪!

 普通ではあり得ない演奏者が声を出す演出!!


 そこからの白雪の演奏は、僕の奏でた死の舞踏アレンジから一転。


 活気に満ちて歌うように、animatoアニマートと、cantabileカンタービレをひたすら繰り返す「死」を否定した全力の「生」の音だった。



 ――――ピアノを弾いて、パパっ!!



 それは、白雪の我儘であり、純粋な気持ちの音。

 僕にとってそれは、心を震わせるには十分な音。


 僕を支配していた世界がどんどん変わっていく。

 暗くて、痛くて、切なくて、果てしない終わりのない道。

 

 けれど、白雪と出会ってからは、その世界も明るくなっていって……。

 少しずつ、少しずつ……。

 心の中の、僕自身の音もゆっくり変わっていくのがわかったから……。


「白雪……っ」


 いつの間にか、自身から伝う涙に気づいて咄嗟に手で目元を隠し、僕はこの感情を思わず言葉にする。

 

「……それは反則だろ」


「ハンカチ、使うかい?」


「……っ、すみません」


 これからどうするべきなのか。

 進むべき答えが出た。

 ……そうか、そうだよな。


 意を決して、東雲静のいるところに体ごと向ける。

 すると、その答えを待っていたかのように微笑み、わざと演技がかった同じ言葉で、僕に再び問う。


「さて、早見少年。もう一度聞こう」



 ――――君はどうする?



「僕は……っ」



 本当にありがとう、白雪。

 

 

「もう一度、CRSの世界に戻ります」



 白雪が奏でた死の舞踏は、の舞踏だった。

 それは、希望と光。



 ――――こうして、二人の物語が始まりを告げた。



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