第3話 希望
ジャファル・クルスームはなおも話を続けた。
「父はナギルとサレハの反逆罪についても、首都ガパに指名手配の申し立てをする前に、公正に審議するように求めていました。二人が反逆を企てる理由が明確でないのを父は分かっていました。ウマル様が天寿を全うすれば、ナギルは後を継ぐのです。初陣したばかりのナギルが、父親の殺害を企てるとは考えにくい。
今のタサの政治にはウェセロフ帝国の者が入り込みすぎている。……父は、アブー・ルルーシュがウェセロフ帝国と結んで、ウマル様の暗殺を行ったと睨んでいたのです」
「……なるほど。タサの現在の状況を鑑みるとその説は一理ある」
モヘレブ太守が丸い顎をさすりながら、細い目をさらに細めて呟いた。
「はい。……父は秘密裏にこの推理の裏付け捜査をしていました」
「ウマルは……一体どのような方法で暗殺されたんだ?」
「ウマル様の死因はトリカブトによる毒殺でした。ウマル様は夜寝る前にワインを飲まれます。そのワインに毒が混入されていたのです」
「……となると、そのことを知っている人物であれば誰でも容疑者になりうるということか?」
「はい、そうです。父はワインに毒を混入した人物の特定を急いでいました。……しかし、それがアダとなった」
「……というと?」
「毒物をいつ誰がどのような方法で混入したか?その毒物をどこから入手したのか?調査していた資料がどういうわけかユーリ・カリャギンの手に渡ってしまったのです。その資料が逆手に取られ、太守殺害を実行した証拠とされ、父は捕らえられました――」
ここまで饒舌に話していたジャファルが急に口を閉ざした。父の処刑を自ら口にするのが憚られたのである。その気持ちを察してか、モヘレブ太守は椅子の背凭れに深く腰掛けるように座り直し、ひと呼吸おいて話題を変えた。
「第一発見者は誰だったのかね?」
「……それは、奥方であるハーラ様でした。ハーラ様は毒薬で苦しむウマル様を前にパニックを起こしておいででした」
「奥方が……毒を盛ったという可能性はないのかね?」
モヘレブ太守は、ナギルの方をチラリと見ながら尋ねた。ナギルは自らの父親殺しに母親が疑われ、眉を八の字に寄せたが、そのまま黙って聞いていた。その様子を横目で見ながらジャファルも言葉を選びながら答えた。
「その可能性は……実のところ否定できません。しかし、そうなるとウマル様が亡くなった直後の錯乱状態がすべて演技だったということになるのですが……個人的にはそれは考えづらいと思っています。それにハーラ様にウマル様を殺害する理由が……私には思い当たりません」
「ふむ」
太守はこういったきり顎をさすりながら黙ってしまった。続いて口を開くものは誰もいない。重苦しい沈黙がこの部屋にいる一同を覆った。
「僕はタサへ行くべきでしょうか?」
長い沈黙に耐え切れなくなったのもある。サレハと自分の反逆罪についての議論に一つの結論を出したい気持ちもあった。ナギルが口を開いた。――と同時に、黒く長い前髪の間から上目遣いにナギルを見つめるジャファルの視線が刺さる。
「私は反対だ。ナギル、お前は自らわざわざ殺されに行くというのか?」
ジャファルのその声は、感情をあまり表に出さない彼には珍しく厳しさを帯びたものだった。父シハーネ・クルスームを失い、ナギルやサレハまでをも失うことを思うと、ジャファルは耐えきれなかった。
「父亡き今、もはやアブー・ルルーシュを諫める者もおりません。重い住民税と労役でタサからは多くの人間が近隣都市へと流出している。それを食い止めるための関所の警戒も厳しい。今のタサは危険だ……ナギルが戻ったところで話をまともに聞いてくれる者はいないだろう」
「しかし……」
ジャファルの説得にナギルは納得しないようだった。反論の声を上げたのを、ジャファルは制した。
「ナギル、お前は私の唯一の希望なんだ」
ナギルは、ジャファルの黒い大きな瞳の奥に映る自分の姿をはっきりと認めた。
「もはやタサはウェセロフ帝国属国も同然。アブー・ルルーシュはリラ・アニシェフとユーリ・カリャギンの言うことしか聞かず、部下たちも処刑を恐れてアブーには歯向かえない」
「……そうだな」
モヘレブ太守もゆっくりと口を開き、ジャファルの意見に賛同した。
「もしも、ジャファルくんが言っていることが本当ならば、調査する必要がある。エラム帝国の領土をウェセロフの人間に汚させるわけにはいかない。タサへは私から使者を送って探らせよう。
そして、君たちは……ベモジィに行きなさい」
「……太守」
ナギルは自分を解放すると言うモヘレブ太守の顔をまじまじと見つめた。
「ベモジィには君のお祖父さんがいる。御母上にも会いたいだろう。話を聞くといい。そして、その話を私に報告してくれたまえ。君の御父上……ウマルが死んだ
「……はい」
自分を信じてくれたモヘレブ太守に向い、ナギルは頭を下げた。
「ありがとうございます。必ず、必ずご報告に上がります」
「今日はゆっくり休みたまえ。君たちも」
太守は右側に座っている、ピラール、アラルコス、クレメンテ、そしてジルのほうも向いて言葉を掛けた。
「……オレもついて行っていいですか?」
ジル・イルハムが、
「祖国を失ったオレには行く宛がないんです。国がなくなった経緯を、知ることができるのならば、オレはちゃんと知りたいんです」
ジルがナギルの顔を正面から見つめて頭を下げた。
「お願いします。お供させてください」
「……あっ、頭を上げて!」
ナギルは慌てて立ち上がり、ジルの頭を上げさせた。
「僕は別に構わない。危険な旅になるかもしれないから、仲間は多いほうが力強いよ」
ナギルの言葉にクレメンテが口を挟む。
「……仕方ねぇなぁ!そう言うんなら、オレもついて行ってやるよ!!!オレだって急いで行く宛もない。話の種に物見遊山にエラム観光もしてみたいと思ってたんだ」
「タサ奪還まで見届けるとなると、またとない物見遊山になるな」
おどけるクレメンテの言葉を聞いて、サレハがニヤリと口の端で笑って呟いた。
「私も助けてもらった礼に船に乗せてってやると言いたいところだが……」
アラルコスの隣で、ズィゴーが退室して初めてピラールが口を開き、横目でモヘレブ太守の顔を見た。
「私はきっと、まだこれから取り調べを受けなければならないだろうから」
「そうだな。ピラールにアラルコス。君たちにはモヘレブ港襲撃事件の取り調べが残っている」
「ああ」
モヘレブ太守の言葉にピラールが頷く。
「でも、またいつでも私を頼ってくれ。できることなら、なんでも力を貸そう」
ピラールの隣でアラルコスも頷いた。
暗く沈んでいたナギルの顔からはにかんだような微笑が零れる。
――ナギル、お前は私の唯一の希望なんだ
ジャファルは言ったが、それは自分にも言えることだとナギルは思った。
サレハもジャファルも、ジルもクレメンテも、ピラールもアラルコスも、モヘレブ太守も。出会う仲間は、自分の希望なのだと思った。
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