第2話 一顧傾城

「……ナギル、お前の気持ちは分かった。真実を得るための最善を、私は考えよう」


 真っすぐ前方を見据えたまま動かない真剣な眼差しにナギルの確固たる意志を確認したモヘレブ太守はこう約束した。


「タサには、アブー・ルルーシュ以外に君たちが頼れる人はいるかね?君たちが父親殺しの大罪を犯したと皇帝に提訴したのはアブー・ルルーシュだ。アブー・ルルーシュ側だけではない君たちを弁護する側の証人もいたほうがいいはずだ。裁判は公正を喫すべきだと私は思う」


 ナギルは少し考えて、ジャファル・クルスームに尋ねた。


「……イスマーン将軍はどうだろう?」


「イスマーン将軍……クゾロおじさんの行方は……存じ上げません。一緒じゃなかったのか?」


 ナギルの口から不意に父の名前を出され、サレハは少し狼狽うろたえながら、ジャファルの問いに答えた。


「……親父とはヨジエで別れた。『ナギルを頼む』とだけ言い残して、オレとナギルをヨジエから送り出したきり、分からない」


「………………」


 自分も世話になった唯一無二の親友の父親の行方が分からない――安心させられる言葉が見つからず、ジャファルは黙るより他なかった。


「まあ、悪運の強い親父のことだ。どこかで生き延びてるに違いない。『王の槍』の名は伊達じゃないさ」


 サレハは過ぎたことは仕方がないとでも言うように、フッと口の端で笑って続けた。


「……結局ヨジエは?ヨジエは落ちたか?」


 父親のことは気がかりではあるだろうが、サレハは話を切り替え、父と共に守っていたヨジエの街の戦況を確認した。


「いや。ゾコフ川以東までがウェセロフ帝国のものになった」


「そうか。落ちなかったか……あそこが落ちるとタサが危ない。……ギリギリだな。本当にギリギリだ。……ゾコフ川と言えばタサも目と鼻の先じゃないか」


 サレハはギリギリまで攻め込まれた状況を心の底から楽しむように笑った。


「そうだ。ウマル様が亡くなった後、大変だったんだぞ」


「だろうな。当たり前だ。オレもナギルと一緒に逃げるので、ウェセロフ兵とエラム兵から追われて大変だった・・・・・からな」


「確かに。お前にはいつも負ける」


 追いつめられれば追いつめられるほど燃えるのか。ウェセロフとエラム両国から追われるのを命懸けの鬼ごっこだとでも勘違いしているかのように話すサレハにつられているのか。そんなサレハと共に時間を過ごすのが楽しいのか。それともそんなジャファルに呆れたのか――参ったとでも言うようにジャファルもフッと鼻で笑って続けた。


「エラムとウェセロフは休戦した。ゾコフ川以東がウェセロフのものだ」


「……そして、モフセン王国は滅んだ」


 サレハとジャファルの話にジル・イルハムが割って入る。


「……こいつはモフセン王国の戦争孤児なんです」


 突然自分たちの話に入ってきたジルの顔を「誰だこいつ?」とでも言わんばかりに怪訝そうに眺めるサレハとジャファルに、クレメンテがジルの横から説明をした。


「モフセンの……」


ジャファル・クルスームはジル・イルハムの顔を、黒い大きな瞳を上下に動かし、じっくりと見つめた。


「助けられなくてすまなかった。モフセンにはオレも戦いに行ったんだが……力及ばずすまない」


 皇帝レオニード・アニシェフの下、領土拡大政策を進めるウェセロフ帝国が、西隣の小国モフセン王国に進軍を開始したのは、メアポナラ暦637年のことだった。その翌年、劣勢に立ったモフセン王は背後に広がる大国エラム帝国に援軍を要請。エラム帝国最東端のタサ地区から、「王の槍」と呼ばれた将軍クゾロ・イスマーン率いる援軍が、国境の都市ヨジエを拠点とし、派遣されていた。しかし、昨年640年、タサ太守ウマル・ルルーシュが暗殺される事件が起こると、タサの兵を中心に構成されていたエラム帝国軍はモフセン王国から撤退。タサ新太守に就任したアブー・ルルーシュは、ウェセロフ帝国との休戦条約を締結。エラム帝国からの援軍のなくなったモフセン王国は、東の大国ウェセロフの前に滅亡したのである。


 頭を下げるサレハを見て、ジルは頭をゆっくりと横に振った。


「突然、エラムからの援軍が打ち切られたから……モフセンが劣勢と見たエラムはウェセロフに寝返ったのかと思っていた。ウマル・ルルーシュが暗殺されていただなんて……知らなかった」


「ああ。太守が亡くなり、私たちも混乱していた。ウマル・ルルーシュが亡くなれば得をする人間はアブー・ルルーシュ以外にもたくさんいるということだ。私たちはモフセンへの援軍は打ち切るべきではないと話したんだが……」


「宰相は?」


 普段の平静さに珍しく、モフセン援軍打ち切りについて熱く語りだしたジャファルに、宰相シハーネ・クルスームも同じように進言したのかとナギルが尋ねると、ジャファルは首をゆっくりと横に振った。


「……どうして?」


「父は、アブー・ルルーシュによって処刑されました。……悲惨な最期だった。詳細は口にはできない。……思い……出したくない」


 ナギルは驚いて目を見開き、宰相の息子であるジャファルの心中を思って涙をぽろぽろと流した。長い睫毛を涙の球が伝う。


「父は、処刑の前、私に言った。タサは危険だと。私にタサを出て、ナギルを探し出し、力を蓄え、ナギル・ルルーシュの元へのタサ奪還を行うよう指示しました」


「タサの奪還を……!?」


 モヘレブ太守が目を丸くする。ジャファルの横でサレハがニヤリと笑った。ナギルはジャファルの顔をじっと眺めて質問をした。


「タサが危険だというのはどうして?」


「……タサは今、内部から腐ろうとしている。このまま放っておくとエラム帝国全体に影響を及ぼさないこともないと私は思う」


「……というと?」


 ジャファルの謎めいた言葉を、もう少しかみ砕いて説明させるために、太守は促した。


「ウェセロフ帝国との休戦協定後、ウェセロフ皇帝レオニード・アニシェフは、その実姉リラをアブー・ルルーシュの元に嫁がせ、大使として、ユーリ・カリャギンを派遣してきたのです。

 ……アブー・ルルーシュは、知っての通り、『顔だけの男・・・・・』。見栄っ張りで傲慢。自己顕示欲は強いが、優柔不断で決断力はない。太守の権力と美しい妻を手に入れ、悦に浸っているアブーを掌で転がすリラ・ルルーシュと実務を担当するユーリ・カリャギンに政治が実質牛耳ぎゅうじられているようなものです」


 ジャファルはここまで喋って瞳を閉じ、机の上に組んだ手に額を乗せてため息をついた。


「……父は、アブー・ルルーシュを事あるごとにいさめました。

 あろうことか、アブー・ルルーシュはゾコフ川にウェセロフとエラムを結ぶ大きな橋を建設しようとした」


「馬鹿か。ウェセロフから侵攻してくださいと言わんばかりだな」


 ジャファルの話にサレハが相槌を打つ。


「そうだ。人や物資の流れを円滑にし、両国の交易をはかるためだそうだが、仮に商業の発展のためだとしても、それを戦争直後にすべきこととは思えない。しかも、そのためにアブーはタサの住民税を増税しようとしたので、父との対立はさらに深まった。

 そもそもモフセンへの援軍を辞めることから反対していた父をウェセロフ帝国の人間であるリラとユーリはよいとは思っていなかったのでしょう。

 タサの富と情報がすべてウェセロフに流れていく……。エラム帝国の機密の一部がウェセロフに漏れるとも限らないし、あるいは、私がレオニードであるならば、弱体化したタサを降伏させ、ウェセロフに併合しないとも限りません」


 モヘレブ太守はジャファルの話を興味深そうに頷きながら聞いていた。


「父はタサの住民のこと。そしてタサ。ひいてはエラム帝国の行く先を案じ、アブー・ルルーシュの進めようとする政策に反対しようとしたのです」

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