第2章 国境都市タサ

第1話 宣戦布告

「……私の部下の監督不行き届きですな。お恥ずかしいところをお見せしました」


 ゼラノーギ・ズィゴーが退室した後、モヘレブ太守ヒドーサ・ワゼギムが、部屋に残った面々に頭を下げた。


「さぁ、こちらの席が空いたので……」


 ナギルたちの後ろにいた、ピラール、アラルコス、クレメンテ、ジルに、太守は右側の席を勧め、ナギル・ルルーシュの方に視線を向けて話を続けた。


「この度の御父上の突然の不幸にはお悔やみを申し上げたい。ナギル……君の父ウマル・ルルーシュは本当に惜しい男だった。今はもうお亡くなりになった前皇帝も全幅の信頼をウマルには置いていたからな。私の親友としても頼もしい男だった」


「……はい。ありがとうございます。そう言っていただけて父もあの世で喜んでいると思います」


 礼を言うナギルの言葉に太守は温かいまなざしをたたえ、うんうんと頷いていた。ナギルが言葉を続ける。


「……先ほど太守は、今『審議すべき事項は大きく二点』あるとおっしゃっていました。ひとつはモヘレブをピラール・ルビナスが率いる海賊が襲撃した件。その話は今終わったと認識しております。そして、二点目。サレハと私の反逆罪についてですが……」


「私の知っているウマル・ルルーシュという男が、息子に殺されるわけがない。息子に愛され、尊敬されるような非の打ちどころのない男だったと記憶しているのだが、ナギル。お前は父を殺したいと思っていたのかね?」


 おずおずと話し出したナギルの言葉を遮って質問を返す太守の顔を、ナギルは顔を紅潮させて見つめた。


「……いえ!……いえ。そんなことは神に誓ってありません!我が父のことで恐縮ですが、父はタサの太守として皇帝からの信任も厚く、臣民に愛されていたと思います。私はそんな父を尊敬しておりました。……そんな父の力に少しでもなりたいと思っていた」


 モヘレブ太守はナギルの言葉に黙って二度頷いた。


「だから僕は、ようやく初陣できるとなった時、とても嬉しかったんです。これで少しでも父の役に立てると思いました。僕は、ウェセロフとの戦いに備え、サレハを伴い、国境を流れる川沿いの町ヨジエへと向かいました」


「失礼。サレハくんは――なぜ?」


「私は、初陣するナギル・ルルーシュの元を離れないよう、太守と父に仰せつかっていたのです」


 こう答えたサレハの言葉にナギルが補足する。


「サレハはタサ将軍の息子で、幼馴染です。私よりも三つ年上なのですが、ジャファルも含めて兄弟のように育てられたんです」


「クルスームさんはヨジエには向かわなかったのですか?」


 モヘレブ太守の質問にナギルが答える。


「ジャファルは宰相の息子ですから……内政に関わる公務を優先させたのです」


 隣でジャファル・クルスームが黙って頷いた。


「なるほど。……そして、ナギル、君がヨジエ滞在中にクーデターは起きた」


「クーデターかどうかは分かりません。それは……全く身に覚えがないのですが、僕が起こしたとされているものですから……」


 ナギルはここまで話して言葉を切り、俯いて悔しそうに机上を見つめながら唇を噛んだ。


「……僕はヨジエ滞在中に、父が何者かに暗殺されたという話を聞いただけです。……せっかくこれから父の役に立てると思っていた矢先でした。

父がいつ、どこで、誰に、どうやって……なぜ暗殺されたのか?僕は何も知らない。

僕は父殺しの濡れ衣を着せられたまま、サレハと共にこの一年逃げ続けていただけだ。今の今まで、父の亡骸をこの目で見ることすらできないまま、ここにいる……!」


 自らに対する無力感に苛まれたナギルは両手で額を抱えた後、大きく一息溜め息をつき、右手で一度顔を覆った後、さらに続けた。


「父の葬儀にも出席できず……自分の母すら守ることもできていない」


「ハーラ様は無事だ。私がタサを出た時には、ハーラ様の故郷ベモジィへと匿われたところだった」


 ジャファルの落ち着いた声が響く。


「祖父のところへか」


 母ハーラ・ルルーシュの行方を聞いたナギルは幾分か安心したようである。声が幾分高くなった。今度は安堵の溜め息をつき、顔を上げた。


「……国は?……タサは今誰が治めてるんだ?噂では叔父が後を継いだと聞いたけれど……」


「それは、噂通りだよ、ナギル。今タサはアブー・ルルーシュが治めている。先日、皇帝から直々に委任状も送られたところだ」


 モヘレブ太守が答えた。


「そして、今、ナギル。そしてサレハくんも。君たちは反逆の罪で国を挙げて指名手配されているところだ」


「……だから、ナギルとサレハは暗殺者アサシンに狙われていたのか」


「暗殺者?」


 ナギルとサレハの逃亡の経緯と、暗殺者に狙われている理由に納得したようにポロリと呟いたクレメンテの言葉を、太守が鸚鵡返しに問い返した。


「……はい。モヘレブの路地裏でナギルとサレハが暗殺者に追われていたんです」


「いや、国が公的に指名手配しているものを、裏で暗殺者に狙わせるというのはよほどのことがない限りはないのだが……誰が暗殺者を雇っているのか――?」


 モヘレブ太守は首をかしげた。この場にいる全員が太守の顔を見る。


「……太守は……太守は僕らをタサへ引き渡すおつもりですか?」


 太守の胸をかすめた疑問を気に留める様子もなく、自分の処遇について尋ねたナギルは、隣に座るモヘレブ太守の顔を見つめていた。モヘレブ太守もまた、目の前に座る哀れな青年の顔を正面から見つめ返した。公的に指名手配したものを、さらに暗殺者に狙わせるのだ。裏にもっと何か大きな秘密が隠されているのではないかと、太守は、青年の後ろに伸びる黒い影を見つめながら思っていた。


「……ナギル、君は御父上を殺してはいないんだろう?」


「はい。……神に誓って」


 モヘレブ太守の言葉に微動だにせず、ナギルはまっすぐに目を見て答えた。


「父が亡くなった時、僕はヨジエにいましたし、僕には父を亡くしたことで得られるものは何もありません。父を恨んでいたということもない。……犯罪を犯す動機がないんです」


「では、誰が君の御父上を殺したと考えるかね?君を陥れたのは誰だと思うかね?」


ナギルの目の前に座る柔和な顔の男は、顔に似合わず、心の奥底をグッと刺すかのような鋭い質問を投げかける。


「それは……」


ナギルは、返答に困ったように一瞬視線を宙に泳がせて躊躇ためらい、しばらく黙った後に、意を決したかのように話し始めた。


「今の状況だと、僕には分かりません。

ただ、父が殺され、僕にその罪をなすりつけたとして、一番得をした人物はと言えば、叔父になります。叔父は父のことをよくは思ってはいなかった……仲が悪かったとかではなく、それは目の上のたんこぶのようなものだったとは思いますが、かといって、そういった感情がなぜ去年になって突然暗殺という行為に結びついたのか説明がつきません」


 モヘレブ太守は黙ったまま、深く二度ゆっくりと頷いた。


「……僕は、タサへ送り返されるのでしょうか?」


「私は、中立に判断したいと思っている」


 率直に自分の考えを話た上で、その処遇についてじっと顔を覗き込み返答を待つ若者に、太守も心の中で思っていることを正直に答えた。


「ウマル・ルルーシュは私の親友だ。君が犯罪を犯している。つまり、御父上を殺しているのならば、もちろんタサへ……もしくは皇帝のいるガパへ送致する必要があると思っていた。しかし、そうでないならば……考える必要があると思っている」


「……分かりました」


 太守の真摯な回答を聞き、ナギルも素直に返事をした。太守がはっきりとした声で言葉を一音一音ゆっくりと発音した。


「私が知りたいのは真実だ。そして、それに基づく公正な判断だ」


「はい。……ただ……太守」


「なんだね?」


 ナギルの半ば躊躇するような呼びかけに、モヘレブ太守はやさしく話を促した。


「僕は、タサに送り返されるのでもいいと思っているんです。僕は……」


 タサに送り返されてもいいというナギルの考えに、モヘレブ太守は驚いたような顔を見せた。構わずナギルは言葉を続ける。


「僕は、もう逃げたくないんです」


 机の上に視線を落としてナギルの話を静かに聞いていたサレハが目線を上げ、主の顔をまじまじと見つめる。ナギルを守って、タサからモヘレブまでエラムを横断してきた、サレハの心中を察してか、ジャファルもナギルの方を見た。


「サレハ、ここまで一緒に逃げてくれてありがとう。礼を言う。……でも僕は……僕はもう、逃げたくないんだ。現実から逃げたくない」


それは、モヘレブまでの道中、ナギルが見せた初めての自分の意志とも言えるものだった。


「僕は、戦いたい」


ナギルは宣言した。


「僕は、現実と――運命と戦うべきなんだ」

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