第22話 反逆者たち

「ピラール!!!」


 あっという間にピラールが襲われるのを目の当たりにして、その名前を叫んだのはアラスコスだった。そして、それはほぼ同時の出来事だった。


「……大いなる遺産は、ピラール!ピラール!!!……お前の両親と共にある!!!!!」


――――――ッ!!!!!


 長い捕囚生活で、骨と皮ばかりになったこの老人のどこにそんな力が残っていたのだろう?ジル・イルハムを目一杯突き飛ばした反動を利用し、よろめきながらまっすぐに突進したホセ=ビアンテ・ルビナスが、エドアルド・バジェの持っていた仕込み杖に右手で掴みかかった。掌から流れる赤い血液が筋張った乾いた腕を濡らしていく。


「……はっ、放せ!!!」


 エドアルド・バジェはホセ=ビアンテの指が千切れるのもお構いなしに仕込み杖を振り回した。血飛沫ちしぶきが宙を舞う。もはやその痛みを感じないかのように、ホセ=ビアンテ左の腕でバジェの上半身を掴み、全体重を相手に預けて、よたよたと海の方へと倒れ込んだ。

折れそうなほど痩せこけた浅黒い体躯の上についた髑髏のような顔を、エドアルド・バジェにぐっと近づける。深く落ちくぼんだ眼窩の奥で白い眼をギラギラと輝かせ、ホセ=ビアンテ・ルビナスは、歯茎がやせてもはや何本かしか残ってない歯をニカリと見せて嗤っていた。


「……はっ、放せ!!!……放せ!!!」


 バジェは仕込み杖を放し、自分を貪り食わんばかりに掴みかかる地下から這い出でた死神を必死の形相で、押し戻そうとしたが、すべては無駄だった。エドアルド・バジェは、ホセ=ビアンテ・ルビナスと共に崖から押し倒される格好で、高く上がった波の中に飲まれるように、海へ舞った。


「……放せ!!!放せ!!!!!ホセ=ビアンテ・ルビナス――――――!!!!!!!」


 海を臨む崖の上からホセ=ビアンテと共に落ちていくエドアルド・バジェの最期の絶叫が、すべてを破壊するように岩に砕ける波の音が轟々と鳴り響く中に掻き消えていった。

敵を砕き、義父を飲み込む海の前に、呆気にとられることしかできない人間の無力さを、唐突に思い知らされ、ピラールはしばらく呆然と空を見つめていた。波音だけが、先程主を失ったばかりの屋敷にはこだましている。岸を削り、崖に襲いかかる破壊のその音は、ピラールの心も壊してしまったかのように見えた。


「……ピラール?」


 心配したアラルコスが掛けた声も、今の彼女には届かなかった。


義父とうさん……」


 よろよろと崖下に引き寄せられるようにピラールが歩を進める。


「ピラール!!!」


 崖下の養父を追うのではないかと心配になったアラルコスが、ピラールの左腕を掴んだが、彼女はその手を強く振り払った。ナギル、サレハ、クレメンテ、そしてジルの四人がいつでも走り出せるように遠巻きに彼女の動きを見守っている中、ゼラノーギ・ズィゴーがカッカッカッと軍靴を鳴らしながら、ピラールへと近寄り、その右手をグッと掴んだ。


「放して!」


 ピラールは再びアラルコスにしたように拒もうと思い切り足掻いたが、ズィゴーはアラルコスのように手加減せず、掴んだピラールの腕を捻って頭上に荒々しく引っ張った。


「……痛っ!……放して!!!」


「貴様ぁ!!!ピラールを放せ!!!」


 怒りに任せて丸腰のままズィゴーの方へ駆け出し殴りかかってきたアラルコスの顔面を、ズィゴーは無言のまま黒い軍靴で蹴り上げた。


――――――ガッ!!!


 鼻血が弧を描いて噴き出し、アラルコスは後ろにもんどりうって倒れた。


「……全員残らず捕らえろ。この街から海賊を排除する」


 ズィゴーの命令を聞き、屋敷の裏手に控えていた警官がひとり、人員要請のため伝令に走る。残りの警官たちのうち二名が、顔を蹴られて血を流しているアラルコスを、地面に伏せさせ、取り押さえた。

 残りの二名に取り押さえたピラールを引き渡し、腕を振りながらズィゴーが、氷のように冷たい目線をクレメンテたち四人に送った。


「そこにいる四人にも署まで来てもらおうか……」


「……嫌だと言ったら?」


 サレハが再び両手に持っていた槍を構えた。それを見てズィゴーも腰に差していた警棒を長く伸ばした。


「嫌だとは言わせんさ……サレハ・イスマーン。ナギル・ルルーシュ。このオレがお前たちに気づいていなかったとでも思っていたのか?」


「――こっちだ!!!」


 背後から伝令に呼ばれて十人ほどの警官がバタバタと屋敷の北側に入ってきた。ジル、クレメンテ、ナギル、サレハ四人は崖を背後に警官隊に取り囲まれる格好となっる。

 この状況を満足そうに眺めながら、ゼラノーギ・ズィゴーが警棒を持っていない左手を頭上に上げ、まっすぐ四人の方へと振り下ろした。


「ナギル・ルルーシュ!サレハ・イスマーン!お前たちを国家反逆罪で逮捕する!!!」


 ズィゴーの突撃の合図に従い、警官隊が二人ずつ一組になって四人めがけて警棒を手に突進してきた。

二組の警官隊に狙われたのは、まず武器を持っていないジル・イルハムだった。ジルは一人目の警官の上から攻撃を右に避け、次に二人目の攻撃を左へ。そして、三人目の脚への攻撃をジャンプしてかわしたところへ、四人目の右側頭部への攻撃――


「ひっっっっっっっっ!!!」


 ナギルがジルを襲っていた四人目の警官を背後からみねうちで倒した。


「ぐぁっっっっっっっっ!!!」


 さらにその背後からナギルを狙っていた警官の手にクレメンテが投げたナイフが刺ささる。その足元に警棒がボトリと落ちた。


「ジルっ!!!!!!!」


 クレメンテが手に持っていた短剣を脱走してきたばかりで武器を持っていないジルへと投げ渡す。

 ナギル、クレメンテ、ジルの三人は背中を合わせ、背後を守りながら、じりじりとサレハの方へとゆっくりと進む作戦を取った。

 その五メートルほど右側では、サレハが二人の警官に加えてズィゴーの相手をしていた。

左右からの警棒での警官二人からの攻撃をサレハは長槍をぐるぐると回して防ぐ。


「ふんっっっっっっっ!!!」


 左右からの攻撃を防ぐため腕を開いたサレハの中央のガードが開いた瞬間、ズィゴーが正面から突撃してくる。それを認めた瞬間、サレハが両足を踏ん張り右手の槍で警官二人を薙ぎ飛ばすと、左手の槍をまっすぐにズィゴーの額に向かって突き伸ばした。


――ギュルギュルギュルギュルギュルギュル


と音をたて、長槍と警棒がこすれて火花が散った。リーチの長い槍を右手に避けながら、ズィゴーがサレハの喉元に警棒を突きつける。

 刹那、


「サレハッ!!!」


 クレメンテが再び懐から放ったナイフが、避けるズィゴーの頬を掠め、後ろにまとめた長い黒髪をパラリとひと房切り落とした。


「――――――ちっ!!!」


 もう少しで反逆者を自らの手で捕らえられそうなところを邪魔され、ズィゴーが舌打ちをする。


「サレハッ!!!このまま右手から屋敷の表に回って逃げるぞ!!!」


 サレハの横に辿り着き、ナギルは叫ぶと、先手を切って走り出した。


「ナギル!待て!!!危ないから先を行くな!!!」


「――行かせるか!!!」


 自分を置いて走って行くナギルの方を振り返り、サレハが走り出そうとした時、ズィゴーがサレハの背後から右脚を狙って警棒を振り下ろそうと、右腕を振り上げる。サレハは身を翻してその一撃をすんでのところで左手で持った槍を右手に引き受け止めた。サレハの逆手に持った槍を、ズィゴーがギリギリと上から警棒で押さえつけていた。


「――――――ッ!」

「――――――ッ!」


 押し比べになっても意味がないと判断したズィゴーが警棒を引き、今度は左脚を狙って来るのを、サレハは肘の丸盾で防ぐ。


「……そろそろ遊びは終わりだ」


 ぎろりとズィゴーの顔を睨みつけ、そう呟いたサレハは左手に持った槍を返して、警棒を跳ね除け、右手の槍を背後から回して、その喉元に切っ先を押し当てた。


「帝国のために働く警官をこの手で殺すのは気が引けるが……オレたちをどうしても捕まえようというのならば仕方ない。……本当の反逆者にも成り下がろう」


 ズィゴーの切れ長の細い目が目一杯大きく見開かれる。ゼラノーギ・ズィゴーは声こそあげなかったが、その足元はガクガクと震え出していた。


「……悪く思うな」


 それは、サレハがズィゴーの喉を掻き切ろうとした時だった。遠くからリズムのよい馬の蹄鉄の音が聞こえてくる。サレハ・イスマーンにとっては少年のころから聞きなれた荒々しい蹄音である。


「……ドゥーニア?」


 ドゥーニアは荒々しい気性を持った牝馬で、背中に乗せる男を選ぶ。彼女を乗りこなせるのは、自分ともう一人――ジャファル・クルスームしかいない。


「……サレハ!」


 聞き覚えがある声だ。嫌味なぐらい静かな声。自分の名を呼ぶその抑揚はたしなめられる時のものだ。サレハは「またか」とでも言うように背後を振り返った。

 ドゥーニアが主人を待たせたとでも言うように、ブルルと短く鳴いた。その背中に乗っているのは、サレハの心当たり通り、ジャファル・クルスームだった。

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