第18話 冥府のへの旅路

 ナギルは書斎に籠るバジェの警護を装って二階に行き。北に面した回廊から人が近づいてこないか離れを監視していた。階下には、サレハが周囲に目を配っている。人が近づいてきたらナギルが合図を出し、サレハが対応する手はずだ。


 石造りの簡素な小屋に一歩入ったクレメンテは、二日前の深夜に外から覗いた時から変わったところがないか部屋の中を見回した。朝食の準備が終わったばかりの台所は、あの熊のような野性味あふれる風貌のスハイツからは想像できないほど整理整頓されていた。包丁などは整然と箱の中におさめられており、料理に使ったのであろうボウルがきれいに洗われて逆さを向けて重ねて置かれている。調理台はピカピカに磨かれて塵一つ落ちていない。白い爽やかな陽光がきれいに整えられ、ガランとした台所に差し込んでいた。

 水瓶の上には柄杓が置かれていたが、中身は空だった。水瓶の蓋の部分を撫で、毒針や警報などのトラップが仕掛けられていないか、入念に調べた上で、少し持ち上げてみたら、大きさのわりに軽いことが分かる。

 毎日昼夜の二回動かしているからだろう。床をよく見ると水瓶を引き摺ったような傷がうっすらとついている。クレメンテはその傷のついている方向に水瓶の位置をゆっくりとずらした。水瓶の下に隠された地下へと続く木製の扉が見える。

 クレメンテははやる気持ちと、未知のエリアに足を踏み入れる不安で、ドキドキするのを抑えながら、扉に手を掛けようとした。


「暗いな」


 ここで灯りを準備していないことに気づいた。周囲を照らす灯りが必要だ。

 クレメンテは玄関の扉のそばにある棚の上に置かれた燭台を手に取った。案外整理整頓のうまいスハイツのことだ、蝋燭やマッチも近くに置いてあるに違いないと思って棚の中を探すと、それらはまとめて置かれていた。

 灯りの準備を終えたクレメンテは、先ほどスハイツから奪った五つの鍵がついた鍵束から、秘密の地下扉に合う鍵をひとつひとつ合わせて回した。三つ目の鍵がすんなりと鍵穴に吸い込まれる。ガチャンと大きな音をたて錠前が開く手ごたえを感じる。

 クレメンテはゆっくりと扉を上にあげ、右手に燭台を持ち辺りを見回した。小さな灯りでは十メートル先ほどしか見えないが、石造りの階段がどこまでも続いているように見える。


 地下の空気は湿気を多く含んでおりひんやりとしていた。海が近いのだろうか?微かに潮の香りが鼻を突いた。この小屋の位置からすると、この階段は崖の下に繋がっているのかもしれない。


――カツーン……カツーン……


 クレメンテは右足から地下へ続く階段を降り始めた。

 どこへ続いているのか分からない地下への階段をひたすら降りる。


 この暗い道はどこまで続くのかという不安と恐怖。地下には何があるのかという好奇心もある。そして、この先に助けるべき囚われ人がいるのなら、助けたいという使命感もある。

 オルフェウスが妻を探す冥府への旅路についたときもこんな気持ちだったのだろうか。クレメンテはぼんやりとそんなことを思った。




 右手に持った蝋燭で足元を照らすと、足元は黒く湿っていた。滑らないように気を付けながら、一段一段ゆっくりと降りていく。スハイツが帰ってくる前に引き返さなくてはいけないことは分かっているが、ここで自分自身が負傷してしまっては元も子もない。

 そんなわけで初めの五十段ぐらいまでは数えながら降りていたが、それ以降何段降りたかは分からない。降りても降りてもどこまでも同じ景色が続いていた。

 階段の最下部は細長い廊下の端になっていた。後ろは行き止まりなので前に進むよりほかない。遠くが見えるよう灯りを掲げると、ぼんやりと木製の扉が見えた。

 扉には鉄の錠前がついている。クレメンテは再びスハイツから奪った鍵束を取り出し、合いそうな鍵をはめると、今回は一つ目で開いた。


「誰だ?」


 扉を二十センチほど開けたところで、男の声がした。


「お前はスハイツじゃないだろう?まだ飯の時間じゃないからな。誰だ?」


「アラルコスか?」


 扉を開けながら、クレメンテは中にいる人物に声を掛けた。

 蝋燭の小さな灯りで声のする方を照らし出すと、鉄格子の向こうに手枷足枷をつけられたアラルコスの青白い顔が浮かんでいた。アラルコスはオレの顔を見ると驚いたような表情を見せたが、それは一瞬のことで、再び生気のない表情に戻る。


「お前は……ああ。エドアルドの用心棒か。何の用だ、今日は?スハイツの代わりに飯を運びに来たのか?それともオレのみじめな姿を拝みに来たのか?」


「……いや。オレはここにお前が囚われていることを確かめに来た。お前がどこに囚われているのか探していたんだ。

 オレはバジェさん……エドアルド・バジェに雇われているだけの人間だ。スハイツの仲間でもなんでもない。オレたちは、お前ら海賊たちとエドアルドの間に何があったのかもしれないまま、ほとぼりが冷めたら船に乗って海外逃亡させてもらう条件で、エドアルドの警護をしていただけだ」


 アラルコスは再び驚いたように目を見開き、黙って、クレメンテの顔をマジマジと見ていたが、しばらくすると、「ふっ」と笑って言った。


「……で?オレの居場所を探してどうする?助けてくれるとでもいうのか?オレを逃したら再びお前が守っているエドアルドを襲うかもしれないのに」


「……事と次第によっては」


 クレメンテの言葉にアラルコスが自嘲気味に笑うのをピタリと辞め、これまでとは打って変わって目に力強い光を宿し、クレメンテの顔に目を向けた。


「オレたちは、お前を人質に取ってピラールを脅迫しようとしているエドアルドのやり口はいいとは思っていない。お前たちがエドアルドの裏切りにあったんならなおさらだ。お前を助けてやらないこともない。ただ……」


 アラルコスは、話を促すかのように、引き続き目の前に立っている男の目をじっと見つめていた。


「オレたちはエラムから船で海外へ逃げる必要がある。もしお前を助けたら、お前たちの船で外海へ連れ出してくれないか?」


 アラルコスはクレメンテの要求を最後までゆっくりと聞いた後、しばらく考え、「分かった」とだけ返答をした。

 

「話は決まりだな」


 その答えにクレメンテはニヤリと笑い、鉄格子を開けようと鍵束を出した。

 しかし、鍵束の中から鉄格子に合う鍵を探すが、見つからない。


「鉄格子の鍵はもしかすると奥の部屋にあるかもしれない」


 アラルコスが話を続けた。


「スハイツはいつもオレに食事を運ぶ時に、その鍵束の鍵を使って奥の部屋へも行くんだ。奥には何があるのか、オレにも分からないが見てきてくれないか?」




 アラルコスの指示に従ったクレメンテは、アラルコスが監禁されている鉄格子のある部屋のさらに奥にある、第二の扉を開けた。

 三十センチほど開けて右半身だけ扉の中に身を乗り出し、蝋燭で辺りを覗う。部屋の中は先ほどアラルコスが囚われていたのと同じで、扉の左側に鉄格子がある。


「……う……うん」


 鉄格子の中に何かいるのかとクレメンテは、扉の外に残していた左半身も中に入れ、燭台を掲げて中を照らし出した。

 見覚えのあるさらさらした栗毛の男が、こちらに背中を向け身を横たえている。この男が背を向けて身を横たえている姿を、クレメンテは出会った日から目にしていた。


「ジル!」


 クレメンテは思わずその名前を呼んだ。


「……ん?……クレ……メンテ???」


 ジル・イルハムが寝ぼけ眼を右手でこすりながら、こちらに顔を向けた。


「ジル!!!」


 ジルを見つけたクレメンテは、喜び勇んで飼い主を待っていた犬のように、ジルが中にいる鉄格子に噛り付いた。

 ジルはクレメンテの元から逃げたくて、いなくなった訳ではないのが明確になり、気持ちが晴れたのだ。


「ジル!なんでこんなところにいんだよ!?」


「クッ!クレメンテこそ!!!お前もあの熊男に捕まったのか!?!?!?」


「ちげーよ!お前じゃないって!!!オレはここに閉じ込められてるヤツらを助けに来たの!!!!!」


 クレメンテはアラスコスやジルがここにいることは知らなかったから、もちろん助けに来たわけではなかったのだが、彼は咄嗟に嘘をついた。

 事の次第を説明するのが面倒だったというのもある。それに「助けに来た」と言ったほうが、ジルが喜ぶかなと……いや、ジルに恩が着せられるかなと、クレメンテは思った。

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