第16話 微かな灯りを求めて

 バジェの警護は相も変わらず続いていた。不審者の侵入もあった後だ。ナギル、サレハ、クレメンテの三人のうち一人は必ずバジェのそばに金魚のフンのようにくっついていく。

 ただこの日から彼らは、屋敷の北側にある離れにも気を配るようにした。


 離れは、灰色の石を積み上げてつくられた平屋建ての簡素な建物だった。日当たりの悪い北側にあるからだろう。壁はうっすらと緑色に苔むして変色している。窓の外から確認する限り、広い台所とスハイツが寝起きする部屋の二部屋しかないようだ。

 入り口近くに開いた窓の下にはかまどがあり、台所の中央には大きな調理台が置かれている。ここで食材の下ごしらえや、作り終えた料理の配膳を行っているのだろう。そしてその奥にスハイツの寝室に繋がる木の扉が見えていた。扉の横には酒でも入っているらしい大きな水瓶が置かれている。

 裏口からはスハイツが鼻歌交じりに薪を割る音が聞こえてくる。

 

――アラルコスはスハイツの部屋に軟禁されているのだろうか?


 離れにはスハイツ以外の人がいる気配がない。

 人質になったアラルコスの様子が気になって、三人は自分の見回りの時間になるごとに台所の窓から、昼間というのに薄暗いこの建物の内部を確認するようにしたのだが、奥の扉は常に閉まっていて、部屋の様子を伺い知ることはできなかった。




 海賊の襲撃があった日から、三日間が何事もなく過ぎた。

 何も知らないままバジェの屋敷に来た当初を思い出す。ザザザザザ……とさざ波がたつのに時折混じって崖の下で大きく割れる波の音が聞こえてくる。青白い月光が静かに差し込む回廊から冬の夜空を眺めて、生けとし生けるものが眠りについているのをその静寂の中に感じるのである。

 すべてが寝静まる冬の深夜の静けさをひとり楽しむのは、回廊を巡って屋敷の北側にやってきたところで終わる。オリオン座が美しく輝く夜空から視線を庭に落とし、遠目には黒い岩の塊のように見える、離れを、目を凝らして観察した。

 

 離れは、見た目の通り黒い岩の塊よろしく、これまで何百年と変化なく風雨にさらされてきたかのような顔をして、裏に広がる鬱蒼とした森の前に、何事もなく鎮座しているのが常だったが、この日は少し違っていた。

 午前一時半頃のことだ。オレンジ色の小さな光が離れの窓の辺りにチラチラと見え隠れしている。灯りに気づいたクレメンテが、何だろうと思って、夜の闇の中、光に吸い寄せられる虫のように近づいていくと、それは蝋燭の炎だと見て取れた。蝋燭の持ち主は部屋の中を動いているのか、オレンジの微かな光がゆらゆらと揺れながら左右に行ったり来たりしているのが見える。


――スハイツが起きているのだろうか?……一体何のために?


 クレメンテが建物に近づいていくと、ゆらゆらと揺れていた蝋燭の灯りの動きが止まった。窓から中を覗いてみる。調理台の上には、一本の蝋燭の灯った古い燭台が置かれており、スハイツが台所の奥の方に屈んでいるのが見えた。

 ズズズズズ……ガタガタガタと重いものを引き摺る音がする。蝋燭一本の暗い灯りに照らし出された薄暗い台所の中を目を凝らして見ると、スハイツは奥の扉の横に置いている大きな水甕を右にずらしていた。水瓶の置いてあった床の部分には木製の扉が据え付けられている。大きな黒い熊のようなその下男は、床の扉を上に開けて、燭台で辺りを照らしながら地下へと穴倉を降りて行った。


――アラルコスは地下に閉じ込められているのだろうか?


 クレメンテは気づかれないように、スハイツの姿が見えなくなり、時間が経つのをしばらく待った。外から覗いていた窓辺から離れ、玄関の扉をそっと開ける。建物の中に入ったクレメンテは、台所の奥へと歩を進め、床にぽっかり開いた80センチ四方ぐらいの穴の中を覗いた。


 月光すら届かない室内はなお暗い。目が闇の慣れるのを待つ。

床下へと続く穴をじっと目を凝らして見ていると、石造りの階段が緩やかに右にカーブしながら地下へとつながっているのが分かった。階段は深くまであるのかもしれない。燭台の灯りだろうか?30メートル先ぐらい下の方にオレンジ色の丸い明かりがぼんやりと見えていた。


――この階段を今、降りて行くべきだろうか?


 クレメンテは悩んだ。

 もちろん地下になにがあるのかはとても気になる。アラルコスがいるのかもしれないし、もしかするとホセ=ビアンテ・ルビナスが閉じ込められているのかもしれない。

 しかし階段の幅は80センチしかない。人ひとり通るには十分だが、行き違いをするには狭い。それに少なくともクレメンテから見えているエリアには、ただの岩壁が続いているだけで隠れる場所が見当たらない。まるでオルフェウスが下った冥府へ続く道のように、一本の石造りの階段がどこまでも深い地下へと続いているだけに見えた。


 クレメンテが今この階段を下っていけば、用を済ませて登って帰って来るスハイツと鉢合わせするかもしれない。クレメンテは、あの熊のような大男とひとりで戦わねばならないばならないという場面を想像した。クレメンテの方が高い位置にいるのだから戦いは有利に済むかもしれない。戦闘を有利に進め、勝つことができれば、ジョゼッフォ・バイロウから逃した時と同じように、オレはエドアルド・バジェに囚われている囚人を逃すことができるかもしれない。


――でも負けたら?


 不安が頭をよぎる。

 離れにある、この秘密の地下道を知っている自分まで囚われてしまったら、すべては水の泡になってしまのではないか?人質として捕らえられ、ナギルやサレハに迷惑をさらに掛けることになるとも限らない。……というか、自分自身が日の光のあたらない地下に閉じ込められ、数日、数か月、数年と、行方不明になってしまう可能性さえあるだろう。こんな地下道の先にある部屋で無為に年老いてしまうのは嫌だ。


――ナギルとサレハにもこのことを話して……計画を立てよう


 クレメンテには無鉄砲にふるまえるほどの勇気はなかった。

 クレメンテは思い直してそっと台所を離れて何事もなかったかのように見回りをしながら、次の朝が来るのを待った。

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