第30話大人と子供の狭間

「すいません。今日、そちらのお部屋って空いてたりしますか? ……あー、わかりました。ありがとうございます」


 電話を耳から離し、コンビニの壁に背を預けてため息をついた。じめじめと暑い淀んだ空気が代わりに身体を巡る。都会は本当に空気が不味い。息を吸うと人工的な臭いが混ざっているのがよくわかる。


「どうだった? って聞くまでもなさそうだね」


 ちょうど希がコンビニから戻ってくる。手には二つに割れるタイプのアイス。差し出されるがままに受け取り、代わりにスマートフォンを返す。


「やっぱり、このシーズンはどこも埋まってるね」


「まーまー、まだ外うろついてる人もたくさんいるし、大丈夫だよ。さすが都会って感じだね」


 泊まるところを予約していなかったことに気づいた時は焦っていた彼女は、今ではやけに落ち着いている。その代わり、僕が非常に焦っているわけだが。


 もう夜の八時を回ろうとしているにも関わらず、行き交う人の数は減らない。むしろ、仕事終わりのサラリーマンなどのせいか、若干増えているようにも感じる。

 田舎でこの時間に僕たちが出歩いていようものなら、簡単に補導されてしまいそうだが、ここではそんな心配はあまりしなくてよさそうだ。


「このまま行くとマジでネカフェとかになるんだけど」


「私はそれでもいいけどねー。ネットカフェとか、満喫なんて地元にはないじゃん? ちょっと気になるよね。でも、そういうところって夜は年齢確認するらしいよ」


「まじか……」


「マジなのです。たぶん、ビジネスホテルとかそういうところもされると思うんだよね」


 アイスを持つ方とは別の手を顎に当て、遠くに見えるビジネスホテルを見る彼女。


「完全に詰んでんじゃん……。今の状況」


 彼女も僕も一応見た目は十八歳だから、ぎりぎり大学生に見られてもおかしくはないのだが、それ以前に部屋が空いているホテルがないのだ。


「うーん。どうしたもんだろうか」


 頭を抱える僕を不思議そうに見る彼女。


「いやいや、年齢確認されずに空いてそうな場所なんていっぱいあるじゃん。ほら、そろそろ行こうよ」

 

 そういうと、彼女はひとりでに歩き出した。


「えっ? だから、この辺のホテルは粗方電話してみたんだって」


 まだまだ元気な足取りで前を行く彼女に追い付く。


「むー、幽霊くんだって本当は分かってるでしょ」


 思い当たるような施設はあるといえばある。そうは言っても、実際に利用したことなどなく、地元にも噂される程度の建物しか知らなかった。


「いや、さすがにそういうのはマズいでしょ」


「散々同じ屋根の下で夜を明かしてるんだから、いまさら関係ないでしょ。幽霊くんと行くなら世界一安全だと私が保証するよ」


「なんか、甲斐性なしみたいな言い方されてる気分なんだけど」


「あはは、そうかもね」


 彼女が嫌な気分になるかと思い、避けていたが、彼女はそんなこと全く気にしなかった。何にせよ、一晩中彼女を歩かせる羽目にならずに済んだようだ。





「わぁー、すごい! ちょっと! めっちゃ豪華じゃん!」


 部屋に入った途端、彼女は子供の様に歓声を上げた。僕はそのテンションとはかけ離れた安堵の息を吐く。

 僕たちが入ったその建物は受付などは無く、パネルで部屋を選択して出るときに清算するタイプのものだった。


 途中、廊下で若い男女とすれ違ったが、特に見向きもされなかった。


「ほら、幽霊くんも早く来なって! ベッド大きいよ!」


 部屋の中央に大きなベッド。天井にはお洒落なシャンデリアと、点灯していない小さなスポットライトが何個か。壁に埋め込まれた大きめのモニターにガラス製のテーブル。僕の想像するなホテルの部屋だった。


 もっと、きらびやかでネオンな雰囲気というか、目がちかちかするような場所だと思っていたが、実際はそんな雰囲気は一切感じられない。


「すごっ! ジャグジーだ。 初めて見た!」


 一人部屋中をウロチョロする彼女に少しだけ気を取られつつも、ベッドに身体を投げ出した。身体的疲れは一切感じていない。しかし、精神的にはだいぶ疲れていたようだ。

 十年越しに感じる身体がいくらか沈み込む感覚。そういえば、こっちで目覚めてからというものの、寝転がるときはいつも硬い場所だったことを思いだす。


 懐かしさと同時に暗い病室を思いだし、身を起こした。


「うひゃー。想像以上の豪華さだね。雑誌で見た以上だよ」


「雑誌にこういう場所のこと書いてあるんだ……」


「SNSとかだと、もっと水族館みたいな場所とか、お洒落なやつも流れてくるんだけどね。実際に入ってみると、そういう奇抜さはないけど、そこらへんのビジホとかよりは全然お洒落だし広いね」


「まぁ、全く同じ感想ではあるけど」


 その後、彼女は浮かれ足でお風呂場に向かっていった。微かに聞こえてくるシャワーの音とたまに聞こえてくる彼女の驚いたり、浮かれた独り言。

 盗み聞きしてるようで申し訳なくなり、テレビをつけた。これも思春期の男子のうわさ話ではあるが、こういった場所のテレビは、いかがわしい内容のものしか映らないとかいう話を思いだした。しかし、実際はそんなことなく、普通のテレビ番組も映った。


 こんな場所で感じるのも不本意ではあるが、大人にならないと知りえないこともたくさんあるんだなと痛感した。もっと広い世界を、たくさんのことを見て、体験することができたに違いない。子供のころに夢見ていたことや友達との間で噂していたことを確かめられたはずだ。


 だからこそ、じわじわと悔しさがこみあげてくる。ほんの数週間前は早く死にたいとしか思っていなかったのに、どうして今になってこんなにも悲しくて、胸が苦しいんだろうか。


 気が付くと僕の手に彼女の手が重ねられていた。顔を上げると、バスローブに身を包んだ彼女が心配そうに僕を見つめていた。濡れた髪に火照った肌。大きな瞳に意識が吸い寄せられる。


「いくら呼んでも返事がないから。大丈夫? 疲れちゃった?」


「ちょっと考え事してただけだよ。大丈夫」


 作り笑いだとバレただろうか。


 きっと、バレてる。


 でも、彼女は追及しない。僕がされたくないと分かっているから。


「そっか」


 笑顔で彼女はそう言った。それ以上は、何も聞いてこなかった。


「せっかくだから、僕も風呂入ってみようかな。本当は必要ないんだろうけど」


「おっ? 美少女の残り湯に入るなんて幽霊くんも男の子だったんだね」


「何馬鹿言ってるんだか」


 シャワーも湯船も熱いのか冷たいのか一切分からなかった。しかし、渦巻くもやもやが水と一緒に流れ落ちていく、そんな気がした。

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