第21話最期の場所

 傘も持たずに土砂降りの町中を全力で走る。

 どれだけ走っても、息切れの一つもしないのはとても便利だ。


 でも、どうして僕はこんなにも必死に走っているのだろうか。正直、僕は今回の件に関してはほとんど部外者だ。少なくとも一週間前の僕であれば、首を突っ込むことなく、傍観を決めているだろう。

 

 希の顔が脳裏をちらつく。

 大義や恩義といった大層な理由ではないが、やはり彼女は笑っているべきだ。元気で、お節介で、人を我が物顔で振り回す。そんな人であるべきだ。

 彼女が泣いていていいはずがない。


 濡れた髪が、顔に張り付いて気持ち悪い。


「傘持ってこなかったのはミスだったな……」


 走ること二十分。市立病院が見えてくる。正直、この場所には立ち寄りたくはなかった。

 思い出してしまう。


 忘れてはいけない記憶。忘れたい記憶。僕の最期の場所。


 外観は十年前よりもずっと綺麗になっていた。一度、改装でもしたのだろう。


 思わず一度立ち止まる。


「おい……急ぐんじゃなかったのかよ」


 動かない。


 足が地面と同化したようにビクともしない。


 死んでなお、病院が怖いなんてお笑いものだ。

 どうやら僕は、自分が思っている以上に死というものに対して恐怖を抱いている。多分、まだ自分が本当に死んだという実感があまりないからだ。


 だって、まだこうして地に足をつけているし、お腹だって空く。食べ物の味も分かる。誰かを助けたいという気持ちだって、持っている。


「……大丈夫。……大丈夫」


 言い聞かせるように呟く。深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。


 ゆっくりと一歩、前に進む。

 大丈夫、怖くない。


 彼女の涙の方が怖いだろ?


 そう思った瞬間、足が嘘のように軽くなった。

 そして、僕は十年ぶりに自分の墓場に足を踏み入れたのだ。




 病院を後にした足でそのまま図書館へと向かう。時刻は二時半。九時まで予想以上に時間が残っていることに安堵する。


 図書館は相変わらず出入りする人がまばらで、なぜか周りの建物よりも暗い雰囲気を纏っている。しかも、今日は雨が降っているため、より一層暗く見える。


 図書館の中は思ったよりも人がいた。夏休みということもあり、学生がいつもより多いためだろうか。

 田舎町で行くところもないため、年配の方もたくさんいる。


 全身びしょ濡れで入ったため、静まり返った館内の視線が突き刺さって、とても恥ずかしい。

 すごい迷惑な行為をしていることに気がつき、後ろめたさを抱きながらも、足早に目的の人を探す。


 彼女は一人席の奥角。図書館の中でもひときわ静まり返っている席で、一人黙々とテキストに目を走らせていた。

 学校で見たときの彼女は、教卓の上に腰を降ろしていたため、希と同じような明るい人という印象があった。しかし、よく考えてみれば、表情は少し暗かったし、机の上には山積みになった教科書があった。


 そして今の彼女は、言い方は悪いが、クラスに一人はいるような、話しかけてこないでオーラを発する人というイメージだ。何となく近寄りがたい雰囲気だ。

 しかし、裏を返せば、それだけ死に物狂いで勉強しているということになる。


 真面目な彼女が強姦未遂にあったと思うと、胸が痛くなる。


 希と同じく、外見はかなり可愛い部類ということが、ターゲットになってしまった理由なのだろうか。


 一分ですら時間が惜しいであろうが、こちらも決して時間が余っているわけではない。意を決して近く。


「……清水春華さんですよね?」


 声をかけてから、自分の小さなミスに気がつく。

 彼女は身体を大きく震わせ、勢いよく振り向いた。その表情には多少の恐怖の色が混ざっていた。

 それもそうだ。知らない男性に声をかけられる恐怖。彼女はつい最近、嫌という程味わっているだろう。


「えっと、どなたですか……?」


「どなた、か……。えっと、八月の初めに学校で一度会ってはいるけど」


「あっ……希の連れてきた人」


 彼女は僕が希の知り合いということで安心したのか、強張らせていた身体を緩めて座り直した。


「そう、その人。良かった、思い出してくれて」


「えっと、それで私に何か?」


「ちょっと、話がね。ここじゃ、話しづらいから、申し訳ないけど外までいい?」


 彼女は小さく頷く。疑問はあれど、不信感は取り除けたようだ。

 

 図書館を出ると、また一層雨が強くなっていた。

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