第17話頼みごと

 盛大な青春のこじらせを犯してから、三日が経過していた。

 互いにあの日のことには深く詮索することなく、退屈な日常を過ごしていた。そもそも、あの日、希は酔っ払っていたので、例のこじらせ事件を覚えているのかどうかも僕にはわからない。


 次の日には、二日酔いで少しだけ怠そうにしながらも、それ以外は普段通りの彼女であった。

 そのおかげで、僕も深く考えることなく、いつも通り刻一刻と減りゆく日常をのように過ごした。


 しかし、どうやらそんな平穏も長くは続かないようで、僕と彼女の少しだけ長く、後から考えれば大事な――とても大事な一日が始まったのだ。



「ねぇ、この前のことがあった手前、すっごく頼みにくいんだけど――」


 見たこともないくらい嫌そうな顔でスマホを眺めていた彼女の開口一番の発言には、諸々の嫌な予感が詰まっていた。


「あっ、覚えてたんだ。てっきりお酒と一緒にすっかり記憶を飛ばしているものだと思ったよ」


「あのね、そんなに飲んでないですー! しっかり、完璧に、それはもうバッチリ覚えてますよ。あー幽霊くんの唇はすっごく冷たかったなぁ。氷かと思っちゃったよ」


「まさか死んでからファーストキスを奪われるとは思わなかった」


「私だって、幽霊が初めての相手だとは思わなかったよ。本当に、もー!」


「もー! って……。自分からして来たくせに」


 漫画のような見事なヴッという小さな唸りと共に彼女の視線が右に彷徨う


「だから、あれはお酒のせいだから本当に事故なんだって! それに幽霊はノーカウント! 絶対! 」


「僕は別に何も気にしてないから、早く話を進めなよ」


「ひーどーい! こんな可愛い子からキスされてるんだから、ちょっとは好きになってくれてもいいんだよ!?」


「はいはい、好き好き。で、話って?」


 きゃんきゃんと吠える子犬のような、ちっとも怖くない睨み顔をつくる彼女。


「まぁ、いいや。この件についてはまた今度じっくりとするとして」


「するんだ……」


「します! じゃなくて、今の流れで頼みやすくなったからお願いしたいんだけど、今日、ちょっとだけ付き合ってよ」


 珍しかった。彼女は僕を勝手に振り回すことはあるが、頼んで付き合うことを要求して来たのは初めてだ。つまり、嫌なら断ってもいいという意味だろう。


「付き合うって、どこかに行くの?」


「んー……。いや、学校なんだけど、ちょっと面倒なことが起きそうだから、なんていうの? ボディーガードってやつ?」


「面倒なこと? ボディーガード?」


 いまいち見えてこない内容に首を傾げる。


「面倒が起きそうっていうか、面倒を回避するために付き合って欲しいんだよね。今日のご飯、お外で奢るからお願い!」


 顔の前で両手を合わせる彼女。軽い言動とは裏腹に意外と焦っているように見えるのは気のせいだろうか。


「別に礼とか考えなくてもいいよ。それで詳しい内容は?」


「うーんと……恥ずかしいから言わない!」


「はぁ?」


「とにかく、一緒に来て! あっ、やっぱりちょっと後ろを付いて来て」


 ドタバタと支度をする彼女は、いつも通りの軽い口調ではあるが、やはり少しだけ切羽詰まっているような、緊張しているように見えた。



 数十メートル先を歩く彼女を見失わないように追いかける。はたから見たら完全にストーカーだ。


 天候はあいにくの小雨。

 僕が十年後のこの時代に来てからは初めての雨だ。臭いなど付かないこの身体ではあるが、どうやら雨には髪も服も濡れるようで、僕は十年ぶりに傘を持った。


 学校に着くまでの間、彼女の頼みごととやらについて思案する。

 結局、彼女は後を付いてくるようにという指示以外は何も話さなかった。

 彼女は面倒ごとを回避するためと言った。つまり、面倒なことが起きそうだと分かっていて僕に頼んで来たのだ。そして、この前の軽い事件のせいで頼みにくい内容。


 考えてもこれから起こりうる内容の想像はつかないが、確かに面倒なことは起こりそうだなと感じた。

 

 学校に着き、彼女はそのまま校庭を横切り、校舎に入った。


「校舎内に用があるのか……」


 首をひねりつつも、彼女を追って校舎内に入る。夏休みといえど、吹奏楽や運動部の人たちが校舎内にまばらにいる。

 生徒とすれ違うたびに謎の緊張が走る。


 そして彼女は人気が少ない方へと進んで行く。


「この方向、もしかして美術室?」


 十年前と教室は変わってないはずである。彼女は間違いなく美術室へと向かっている。しかし、美術室に何の用があるのだろうか。


 美術室は地下の突き当たりにある。横が工具室と倉庫で夏休みには美術部の活動も無いようで、美術室までの廊下は静まり返っている。


 彼女の足音だけが一定のリズムで響く。


 そして、彼女は美術室の手前で立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り返った。

 その瞬間、思わず声を出しそうになった。


 振り返った彼女の表情は、ひどく怯えていたのである。

 

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