第4話 レイ度の氷 その2
──三年前
私はずっと孤独だった。いや、「周りに人がいた」と捉えれば、孤独では無かったかもしれない。
「おい、早く酒持ってこい酒ぇ!」
「も、もうお酒は無いの……最近ずっと飲んでたでしょ? お金が……」
「うるせえ! 早く買ってこい!」
この会話の流れを聞くのは、もう二十四回目……それか二十五回目だ。私の父は今年に入ってからすぐ職を無くしたらしい。今ではこうやってほぼ毎日、母を殴ってお酒を買いに行かせてる。タバコの匂いと混ざりあって、もう鼻がおかしくなりそう。
母がお酒を買いに家から出ていくと、今度は部屋の端でうずくまってる私の方に父が向かってきた。
「お前のせいだからな……お前のせいで俺達は……!」
そう言って、私に殴りかかってくる。恐らく、『俺達』には母の事も含まれているのだろうが、さっきまで殴っていた人間を心配する権利は、この男には無いと思った。
「あ、うぅ……」
いつものように口から血を流し、必死に涙をこらえる。でも涙は止まる事を知らない。情けない自分への涙だと、勝手に信じ込ませていた。
「あー! またアザが増えてやがる! 化け物だ〜!」
外に出ると、いつもの男子達がいつものようにからかってくる。暴力に比べたら楽なものだから、バカにされてもなんとか耐えられた。いつもの男子達のリーダーはこの街のお偉いさんの息子らしく、私がいじめられているのを見て助けてくれる人は一人もいなかった。
「……」
もちろん私も何も言い返さない。何か言ったら面倒な事になりそうだから。
*
そんなひたすら心をすり減らせる日常を送っていた冬のある日、暖を取るために私はとある宿の中に入った。そこには壊れそうなくらいボロボロになっているカウンターと、そこに立つ老婆の姿があった。
「あら……レイちゃん?」
そこにいたのは、私の祖母。でもおかしい。祖母はつい先日、父のせいで死んでしまったはず。
「……なんで、おばあちゃんがここに?」
いわゆる幽霊のようなものだと思ったが、そこまで怖くなかった。私に唯一優しく接してくれた、とても良い人だったからだ。
「バレちゃったかぁ……レイちゃんには知られたくなかったんだけど、ごめんね」
いきなり祖母に謝られるが言葉の意味を理解できず、ただ立っている事しかできなかった。
「私、レイちゃんのお父さんに殺されちゃったよね? でも、こうして生きてる。なんでだと思う?」
さっきから自分が持っている疑問を投げかけられる。もちろんなにも返せない。
「……わからないよね、ごめん。今から話すから、ここに座って」
言われたまま、祖母の隣にあった椅子に座る。祖母が殺されたという事実は話でしか聞いた事がなく、今も生きていた事に内心ホッとしていた。
「私がレイちゃんを優しく扱ってたってだけで、あの人は私を殺そうとした。まるで何かに取り憑かれたように……。私は後ろからハンマーで殴られたって事だけしかわからなくって、そのまま眠っちゃったの」
「でも、今生きてる」
「……うん。また目が覚めた時、目の前に誰かが立っていたの。その人は物陰に隠れていたから、暗くてよく分からなかったんだけどね。確か全身黒で……髪も黒色をしてた。多分、その人がなんとかして助けてくれたんじゃないかなって思うの。いつの間にか出血も止まってた」
突拍子も無い話だとは思ったが、他に可能性も無いので信じるしかなかった。
「その人はすぐに去ってしまったんだけど、それからは何故か体がものすごく軽くなったの。老いていた体が嘘みたいに。おかげで、この小さな宿を一人できりもりできてるの」
「そうだったんだ……でも大丈夫? お父さんにバレたりしない?」
「大丈夫よきっと。あの人、滅多に外には出ないでしょ?」
「う、うん。まあそうだね」
「そうだ! せっかくなんだから、ちょっとお菓子でも食べていかない?」
私はすぐに首を縦に振った。普通の食事さえもままならない生活をしていたため、そのワードだけでもよだれが口の中で暴れる。
「さ、この中から好きなのを選んで」
目の前に出されたそのカゴの中には、ガレットやクッキー、パン等が詰められていた。
「これ……!」
私はすぐさまクッキーを手に取り、かじりついた。口の中に久しぶりに香ばしい味が広がる。歯で砕いた残骸を舌で一つ残らず舐め取り飲み込んだ。
「……うん、おいしい!」
私はその次の日も、おばあちゃんの所へ行く事に決めた。どんなに辛い事があっても、おばあちゃんと会えば紛れる気がしたからだ。
でもそんな願望は唐突に壊れた。おばあちゃんと雑談をしていると、宿の扉が勢いよく開かれる。
「えっ……!?」
「見つけたぞレイ……それとおふくろ……!」
現れたのは父だった。その手には乾いた血がこびりついたハンマーがある。
「な、なんでここが……!?」
「いつもと違ってレイが帰ってくるのが遅かったからな……後をつけてきたらこうだ。まさかおふくろが生きていたとはな……!」
父はハンマーの頭を左手でぽんぽんと叩きながら近づいてくる。このままでは危ない、そう本能的に感じた。
「……レイちゃん逃げて!」
そう祖母の声が聞こえると同時に、彼女は父に向かって走った。思い切り体当たりをぶち込むと、二人とも無様に倒れ込む。
「うん、わかった……!」
今のうちに外に出よう、そう思い二人の横を通り抜けた。
「えっ……」
宿の外に出た私の目の前に飛び込んできたのは、母親の姿だった。
「ふふ……レイ……!」
それを見た私は一目散に逃げ出した。全速力で。そこからの記憶は、無い。
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