第56話サキュバスの従業員
「ところで、店をやるのだろう? 何故なのか聞いてもいいか? 女神の生まれ変わりを探しているというのはわかったが、それは店などやらずともできたであろう? アイリスは知っていたのだし協力を願えば、あの子のことだ、全力で動くだろう」
グラドの言ったように、アキラが頼めばアイリスはいくらでも力を貸すだろう。寧ろ、本人であるアキラよりも積極的に行動するのではないだろうか。
だが、そんなアイリスのことを理解しているアキラは首を振ってグラドの言葉を否定する。
「いくつか理由があるのですが、一つは母に迷惑をかけたくなかったからですね」
「そんなことあの子は気にせんだろう」
「ええ。そう言っていました。でも、気にするかしないかと、実際に迷惑がかかっているのかは別ですよね?」
本人は迷惑ではないと思っていても、それに関係する周りの者たちは違う。
そして、アキラも自身の行動の結果アイリスに苦労をかけてしまうと言うのは心苦しい。
だからこそ、アキラは極力アイリスを頼らないようにしたかった。そしてそれは、魔法の使用に制限をかけているのと同じ理由だ。
「ふむ。まあそうだな」
納得したように頷くグラドにアキラも頷く。
「次の理由は、情報集めです」
「まあ確かに店を開いて軌道に乗せる事ができれば、情報は集まりやすいだろうな」
「それもあるんですけど……」
そこでアキラの言葉が詰まった。今は、どこかバツの悪そうな顔をして先ほどよりも若干視線を逸らしている。
「どうした?」
そんなアキラの様子を、当然ながら不審に思ったグラドはアキラに問いかけるが、アキラは言葉に詰まったまま口を開かない。
だが、しばらくすると、アキラは覚悟を決めたような顔になってグラドに向き直る。
「……すごく言いづらいんですけど、魔法を使おうと思っているんです」
「魔法を? お前の店で魔法というと……操るつもりか?」
外道魔法──あらため、魂魄魔法を使うとなると、一般的に真っ先に思いつくのが洗脳だ。グラドもその例に漏れず、アキラが客としてきたものを洗脳して操ろうとしていると思ったようだった。
「違います。いえ、それでも褒められたことではないんですけど、ちょっと頭の中を覗こうかと」
アキラはグラドの考えを慌てて否定する。
そして、その後少しばかり不安そうな顔でグラドの顔色を伺うように尋ねた。
「やっぱり止めますか?」
やパリ止められるだろう。アキラはそう思っていた。
だがそれも仕方がないことだとも理解していた。なにせ人を洗脳し、操る事ほどではなくとも、他者の記憶を──思い出を覗くというのは決して褒められたことではないのだから。
「イヤ。止めはせんよ。お前が覚悟を決めて話したのだ。お前の信頼を裏切るわけことは、私にはできん」
だが、そんなアキラの考えを否定するようにグラドはそう言った。
いや。否定する『ように』、ではなくはっきりと否定した。
「それに、後ろ暗いことなど私とてやってきた。一代で今のような大商会を築くには、必要だったからな。今更その程度でどうこう言うつもりなどない」
初めて知った衝撃の事実に目をも開き、少しばかり混乱を露わにするアキラ。
だが、次第に落ち着いてきたのか、それまでの話を終わりにして次へと進むことにしたらしい。
「それと、えー、あとこっちも言いづらいんですけど……実は魔物を拾いまして、それの食料集め? です」
「魔物の食料……」
不安しかないその言葉。普通に店を営むには不適合すぎる言葉を聞いて、グラドはまたも顔をしかめる事となった。
「別に人間を食べさせるわけじゃないですよ。いや、ある意味ではそうかもしれないですけど、少なくとも誰も死にませんし、不幸になりません」
「……なんという魔物だ」
貴族とて弱い魔物をペットにしている者もいる。アキラのいう拾った魔物も、それらと同類であれば止める理由にはならない。
だが、グラドにはアキラが言った食料集めというのが理解できなかった。
「サキュバスです」
「は……?」
「先日俺の夢の中に入ってきたので、撃退したら懐かれました」
「……この街の中に、サキュバスだと?」
「ええ。幸い夢に関する魔法は俺の方が上だったのでなんとかなりましたが、契約する羽目になりました。食料は人間中にあるエネルギーなので、夢を媒介にして食べている……吸っている? ようです」
アキラの言葉にグラドは頭が痛そうにこめかみを押さえている。
「ほう。契約と言ったか。であれば呼び出すことも可能なのか?」
いつのまにか興奮から回復していたガラッド。
普通は契約と言ったら必要な時にそれを召喚して働かせる召喚士(召喚魔法士)の技である。
サキュバスとの契約など聞いたことがなかったが、アキラの言った契約という言葉でガラッドはそれをイメージしていた。
(召喚か……。どうだろう? 正確には契約じゃなくて加護なんだけど……)
繋がりはあった。アキラには、今も自身とつながっている存在について感じることができた。
アキラはその繋がりを辿り、喚ぶことができるかを確認すると、なんとなくではあるができそうだったので、その繋がりに魔力を流し始めた。
「……接続。……補強。……設定。──来い、レーレ」
アキラが呪文とは到底思えないような単語を呟くと、その身から魔力が放射され部屋の一角に、いつのまにかアキラの元からいなくなっていたサキュバスのレーレが現れていた。
「──ええそうなの! だからみんなもいきましょう! ね?」
現れたレーレは誰かに話しかけているが、彼女の前には誰もいない。いるのは少し離れた場所にいるアキラたちだけだ。恐らくは召喚される前に誰かと話していたのだろう。
「……え? え? なにここ? あれ? みんなは?」
話していた者がいなくなったことに気づいたレーレ。突然いなくなった話し相手を探して周囲を見回すが、周りを見渡しても全く見覚えのない場所だった。
それを不思議に思いながらも首を傾げて悩んでいるレーレ。
いきなり視界が知らない場所に変わったのなら、もう少し焦っても良いものではないか、とアキラは思ったが、暴れられるよりはマシであると思い、気にしないことにした。
「久しぶりだな、レーレ。いきなりいなくなって心配したぞ?」
「え? ……え⁉︎ ど、どどどうして貴方様がこちらに⁉︎」
話し相手がいなくなり、突如視界が変わったと思ったら、背後から本来いないはずの主人から声がかかった。
そのことに驚いたレーレはビクッ! と体を跳ねさせて慌てながら質問した。
「俺がそっちに行ったんじゃなくて、お前がこっちに来たんだよ」
アキラはそんなレーレに店をやらせる事を不安に思いつつも、振り返って唖然としている二人にレーレの事を紹介した。
「というわけで、こいつが|そう(・・)です」
「……ほう。こ奴がサキュバスか。実際に見るのは初めてだな」
「見た目自体は人とほとんど変わらぬからな。人の世に紛れていてもわかるまい」
出会うのは基本的に夢の中だが、そうなると普通は夢に入ってきたサキュバスを撃退などできないので、姿を見る=死ぬとなってしまっていた。
故に文献にはサキュバスの特徴などが記されていたが、その姿を描かれたものはほとんど無いので、高位貴族であるガラッドでさえ見たことがなかったのだ。
「えっと、あの私がこっちに来たと仰られましたが、どうして……」
「そのどうして、がどうやってここに来たのかっていう意味なら、俺が召喚した。どうして喚んだのかって理由なら用が出来たから」
「用、ですか……。……ハッ! もしや夜のお相手ですか⁉︎ 私などでは役不足かもしれませんが、精一杯努めさせていただきます!」
「いらないよ。そういうのはこれから始める店で言え」
悩むまもなく断られたレーレはサキュバス的本能が傷つき、少しだけしょんぼりとしてしまった。だが、何かに気づいたようで首を傾げながら疑問を口にする。
「店?」
「そう。お前が生きるには人のエネルギーを吸わないといけないんだろ?」
「正確に言うのでしたら、生命力と魔力との複合物です。人でなくともいいのですが、人が一番感情が豊かなので、その方吸収のが効率がいいのです」
「だが、それだと人の命まで取る必要はないんだろ?」
「はい。ただ、対象から吸うには近づく必要があります。その時に姿を見られてしまえばその後そこに留まっていることはできません。ですので全てを吸いきり殺しているのです。見たものがいなければ正体はバレませんし、当分の間は吸わなくとも生きていけますから」
今までサキュバスが人を殺したのは、ただ生き残るためだった。
だが、姿を見られても問題なく、しっかりと安全を確保できると言うのであれば命がなくなるまでエネルギーを吸う必要もないのだ。
「そう言うわけです。人からエネルギーを吸ったところで、殺す気がなければ死にません。寧ろいい夢を見せてくれます」
「なるほどな。だが、もし──」
アキラの言葉に反論するようにガラッドが言葉を発したが、その言葉は最後まで言われる前に遮られた。
「ちょっと! あなた! このお方をどなただと思っているの! このお方は私達をお救いしてくださった慈悲深きお方! 私たちの神! そんなお方の尊い御名を呼び捨てにするなんて──」
「その人は俺の恩人だから構わないぞ」
「生意気な事を言ってすみませんでした!」
アキラの言葉を聞くなりレーレは即座に謝罪した。それも綺麗な姿勢で腰を九十度に曲げて。
「なかなかに愉快な者だな」
そんなレーレの様子に、本に書かれている人を殺すまで命を吸い続けるサキュバスとは違う事を理解したグラドは笑った。
だがレーレはそれが気に食わなかったようで、先ほどまでの謝罪していた態度とは打って変わって見下すような態度になり、言葉を紡ぐ。
「なに笑ってるんですか? あなたのような者に笑われるなど不快でしかな──」
「そっちの人は俺の祖父だけど?」
「申し訳ありませんでしたあああああ!」
先程と同じように一瞬でくるりと返された掌。レーレは土下座した。
娼婦のような妖艶な格好をした女性を男三人で囲って土下座させるというのは、少々──いや、かなり犯罪臭い。
「……どうです? ちょっと心配ですけど、使い物にはなると思います」
「だが一人しかいないのであれば、どのみち他に人が必要だろう」
レーレが増えたところでアキラと合わせて二人しか従業員がいないのであれば、到底情報を集めるというところまでいくことはできないだろうとグラドは言う。
それからグラドはレーレの方に顔を向け質問を行った。
「……一つ聞きたいのだが、良いか?」
「はい! なんなりと!」
「君がここに現れた時に『みんなも一緒に』と言っていたが、それは他にもサキュバスがいて、ここに呼ぼうとしていた。という事でいいのかね?」
「はい! ついに出会うことのできました私たちの希望! 仲間にもそのことを知らせるために! そして! 私たちの神のお役に立つために仲間を呼びに行った次第でございます!」
些かテンションが高いが、言っている事自体に間違いはないのだろう。
サキュバスが何人も集まるのであれば、従業員の問題は解決するだろう。だが、同時にその人数如何では対策をしなければならない。
その事に気づいたアキラは、グラドに変わって質問し始めた。
「それって何人ぐらいなんだ?」
「今私がいた場所は十人ほどですが、各地には私が知っているだけで二百はいるはずです!」
「二百……」
「それだけいれば数は問題ないが、今度はその数が問題になるな」
暮らすにしても、二百人もの住む場所などそう簡単に用意できるものでもない。
仮に用意できたとしても、いきなりそれだけの数の移住があれば不審に思うものが出るはずだ。それがきっかけで調べられでもしたらまずい。なにせやってくるのは魔物なのだから。
「……レーレ。数が揃うのはありがたいが、どうにか数を抑えられないか? さっきは説得していたぐらいだからそれほどこっちに来ようとしている奴はいないんじゃないか?」
「いえ。さっき向こうについて説明を始めたばかりなので、おそらくは説明を聞いただけでみんな来ます」
「この後お前が黙っていても?」
「えっと。もうある程度は話してしまったので……」
全員くるだろう。言葉尻が小さくなりながらレーレはそう言ったが、アキラは頭を抱える。別に彼女が悪いと言うわけではないのだが、このままでは問題になるかもしれないのだ。
仕方がないので、アキラはやってくると予想される二百人を受け入れる方向で考え始めた。
「……建物さえできていて、受け入れることができれば多少の違和感は魔法でどうにかなります。問題はその建物の方です」
「あの場所を使うにしても、二百もの数が寝泊まりするには狭いのぅ」
「ええ。ですから立て直さなければならないのですが、立て直しの間にこられても困ります。……だからレーレ。こっちにこようとしているやつには、準備ができたらこっちから呼ぶから待ってろと伝えておいてくれ」
「はい! かしこまりました!」
話がまとまり、仲間たちもアキラのもとに来ることができるようになった事で、レーレの顔は晴れやかなものになった。それだけ今までの、『自分達の神がいない』と言う状況は辛いものだったのだろう。
「よし。じゃあ帰れ」
「えっ⁉︎ そんな! もう少し、もう少しだけこっちに……!」
そうと決まったら、早速とばかりにレーレを向こうに送り返すための魔法を準備し始めたアキラ。
だが、せっかく来たのだからまだこっちに残っていたいとレーレはアキラに縋り付く。
「お前が戻らなきゃ言伝を頼んだ意味がないだろうが」
魔法が完成すると一瞬だけ光り、その光が消えると現れた時と同じようにレーレの姿はその場から消え失せていた。
「そう言うわけですので。これからよろしくお願いします」
アキラが振り返って二人に挨拶すると、二人はこれから起こる事を考えたのか、グラドは苦笑いをし、ガラッドは面白そうに笑っていた。
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