第46話はじめての信者

(でもどうする?こいつの話が本当であれ嘘であれ、このまま解放ってわけにはいかない。サキュバスは魔物だ。俺は冒険者なのに、魔物に出会ったのに退治しなかったってなればおかしい。もちろん、必ずバレるってわけじゃないけど、万が一を考えると……)


 殺してしまえばいい。それが一番簡単で問題がない。だがアキラには目の前の女性を殺すことも、見捨てることもできなかった。


「……顔を上げてくれ」


 だがアキラがそう言ってもサキュバスは顔を上げることはない。跪いたままの姿勢で動かない。


「頼む。そのままじゃ話しづらいんだ」


 重ねてアキラが言うと、のろのろと顔を上げアキラの事を見上げる。


「……ああ、人を魅了するはずのサキュバスがそんな顔でどうするよ。…ほら、泣き止め」


 悔しさとそれによって流れた涙のせいでぐしゃぐしゃになった顔をしているサキュバスの前にアキラはしゃがみこみハンカチを差し出す。


 夢の中なんだから涙を拭ったところで意味はないのかもしれない。姿を変えようと思えばいくらでも変えることができるのだから、涙くらいどうとでもできる。

 それに、ハンカチを渡したところでそんなものいらないと言われるかもしれない。人によっては余計なお節介といってアキラのことを拒絶さえするかもしれない。


 でも、そう言われたとしてもアキラは手を差し伸べるだろう。


 ……少なくともアキラは、あの時そうして欲しかったから。


「……ありがとう、ございます」


 体を起こしたのと同じようにゆっくりとした動作でアキラが差し出したハンカチを受け取るサキュバス。


「はああぁぁ〜」


 受け取ってくれたのを見てアキラが息を吐き出すと、ハンカチを受け取ったサキュバスはびくっと体を震わせた。


「ああ、違う違う。今のは気にしなくてもいい」


(でも実際問題どうする?殺したくはない、かと言って逃すことも問題がある。解決方法としてはこいつを仲間にする。つまりは従属させたと申請することだが、前の二つに比べて危険はないとは言っても、それでも面倒はある)


 アキラは立ち上がりサキュバスに背を向けて考え込む。


(面倒があるって言ってもそれ以外の選択肢は実質的にないんだから選ぶしかない。でもどうせ従属させるなら、起こる面倒ごとを上回る利益が欲しいよな。サキュバスを使った利益……)


 真っ先に思いついたのは、まあ当然と言うべきか、いわゆる夜の店だった。だがサキュバスの主人であり、店主である存在がアキラのような子供にみえるようでは問題があるし、|裏(・)にもツテがないので何かあった場合は確実に問題が大きくなる。そうなれば利益を出すどころではない。


(ほかに何か…。手伝ってもらうにしても、何か手伝ってもらうようなこと、何か欲しいものはあったか?……強いて言うなら情報か?でもどうやって?娼館にでも働きに出させて客の頭の中を読んでもらうとか?それならちょっと高級なところに行かせれば多少は集まると思うが……)


 平民を見下している貴族であったとしても、|遊ぶ(・・)やつはいる。と言うよりも、そういったものの方がよく遊ぶ。そういう者が行くような場所に潜り込ませることができたのならそれは大きな情報源になるだろう。だが、その場合は色々と制限がつく事になる。それに万が一頭の中を漁っている事に気づかれたら対処が難しい。アキラは、できる事ならば自分の手の届くところに置いておきたかった。


(…ん?いや待て。頭の中を読んでもらうならもっと効率のいい方法があるんじゃないか?例えばそこらへんにいる人の頭を読むとか……。いや、サキュバスは夢の中でしか力が使えないんだったか?だとしたら夢を見せる?どうやって?夢を見せる店でも開くのか?…………うん?意外といいかもしれないな。客の望む夢を見せる店。その夢はサキュバスの力で現実と遜色ない感覚でいることができるからハマるやつはハマるだろう。現実が嫌な奴とか、なにかの予行演習とかで。娼館じゃないから年齢制限もないし、健全な店だ。見る夢次第ではアレだけど、それは本人の勝手だ。夢の中にまで文句入れられないだろう)


 そこまで考えると、チラリとアキラの渡したハンカチで顔を拭いたサキュバスのことを見て一度目を閉じた後、アキラは再び目を開いてその考えを更に詰めていく。


(……利益は出る。多少の問題があるのは変わらないが対処できる。明日行く実家の本店にも一枚噛ませれば|裏(・)への対応も大丈夫なはず。……問題は俺がこいつらの神として崇められることなんだが、ここで助けようとしている以上今更か……)


 アキラはふううぅ、と大きく息を吐いてから未だ地面に座り込んでいるサキュバスの前に再びしゃがみこんで、その目を見る。


 期待と不安と恐怖とがないまぜになった瞳。

 自分たちは見捨てられたわけではないという期待とやはり自分たちは必要ない存在だったのだと見捨てられてしまう不安と恐怖。


 ──そんなもの。見捨てておけるわけがなかった。ここで見捨ててしまえば、過去に自分が恨み、憎んだ存在と同じになってしまうから。いくら他人はどうでもいいと思っているアキラであっても、それは認められなかった。


「お前達の神として行動するのはいいが、その場合はお前には色々手伝ってもらうぞ?それでもいいか?」

「はい!何なりとご命じください!」

「……俺は、無茶な力の使い方をしたせいで、神としての力が欠けている中途半端な神だ。それでもいいのか?」

「はい!」


 一応の確認。まず断られることはないと思いながらも行った悪あがきに即答されて一瞬だけたじろぐアキラだが、既に覚悟は決めている。


「お前たちが俺のことを信仰すると言うのなら、俺はお前たちを守ろう。命を脅かす脅威から。自身を虐げる悪意から。嘆きをもたらす全てから」


「お前に名前はあるか?」

「はい。私の名はレーレと申します」

「ならレーレ、お前のこれからの未来を祝福しよう」


 そう言いながらアキラは魔法をかける。ここは夢の中ではあるが、夢を見せるのではなく、夢の中に入り込む夢魔であるサキュバスには、夢の中でもその存在あるので問題なく魔法がかかった。


 レーレにかけた魔法は強化の魔法。強化と言っても身体能力ではなくサキュバスとしての能力。つまりは精神干渉能力だ。

 それは言い換えるならば『加護』。レーレ達夢魔が望み、願い続けたものであった。


「これからは不当な悪意に泣くことも、理不尽に怯えることもない。胸を張って生きろ。お前達は生きている。必要ない存在なんかじゃない。──俺が保障しよう」

「……あ、あ゛りがとう、ございまぅ……」


 アキラの存在が、その言葉が、よほど嬉しかったのだろう。レーレは滂沱の涙を流しながら感謝を述べ再び跪いた。


 だが跪かれることに慣れていないアキラにとってそれはあまり居心地のいいものではない。

 はあ、と溜息をはくが、アキラにもその気持ちがわかっただけに無理に止めることはできなかった。




「……はあ。どうしようこいつ」


 サキュバスであるレーレは、夢お腹であるにも関わらず泣き疲れたのか眠ってしまった。


「……仕方がないか」


 アキラは本当なら翌日からの行動について話し合いたかったが、仕方ないので無理に起こすことをせずにそのままにすることにした。


(まあ急ぐことでもないか。どうせ店を構えるにしても準備に何日か掛かるし、明日にでも話せばいいか)




「……ん?」


 翌朝。レーレを寝かせているので夢の中から出ることも叶わず、アキラはただひたすらに新魔法、『加護』の研究、開発に勤しんでいたのだが、外から鐘の音が聞こえハッとして朝になったのだと気がついた。


「……あいつどこ行った?」


 もう起こしてもいいだろうと後ろを振り返ったが、そこにレーレの姿はなかった。ぐるりと周りを見渡しても自分以外の存在はない。


「…外?……だいぶ離れてるな」


 アキラが研究に熱中している間に自分で夢の外に出て行ったのだろう。レーレは既に街から離れて東に向かっていた。


「なんでだ?……逃げた?……いや、ないか。だとしたら……」


 逃げてしまえば、あそこまで熱望した存在に見捨てられてしまうことはわかるはずだ。アキラにはレーレの姿が演技だとは思えなかったので何か理由があるはずだと考えたが、その理由は分からなかった。


「……まあいいか。場所はわかるし、いざとなったら呼び出せば来るだろう。…もし本当に逃げ出したんなら魔法を解除すればいいわけだし」


 そう考えを定めると、アキラは今日の予定を確認してその準備を始めた。




「……そろそろ行くか」


 支度を整え、部屋の扉に手をかけるアキラだが、外に出ようとしたその時、扉に伸ばした手が止まった。


(…何か不備はないよな?店を用意したりするのにこれから世話になるんだ。不快にはさせたくはない)


 この街にある実家の店がこれからのアキラの行動を守る後ろ盾となってくれるかどうかは今日の面会にかかっている。アキラはもう一度自分の持ち物を思い出して確認する。


(まあ万が一何かがあっても、あの人たちは母さんと俺に罪悪感を感じてるからどうにかなると思うけど、大店のトップがそう易々と手を貸してくれるとは思えない。準備するに越したことはないだろう)


 確認を終えると、今度こそアキラは扉に手をかけ開き足を踏み出した。




「……着いたな」


 アキラは宿を出て祖父と叔父のいる建物まで歩いてきたが、それは予想していた時間よりも少しだけ遅れていた。理由はアキラの体の大きさ。単純に身長が低いということは歩幅が狭いということなので大人の一歩に対してアキラは三、四歩歩かなければならないので遅くなったのだった。


(やっぱり馬車を使った方が良かったか?)


 馬車を使えば確かに予想よりも遅れることも疲れることもなかっただろう。だが、アキラには信頼して馭者として使えるものがいなかった。もし適当な人を雇って問題を起こしたら、と考えるとアキラは人を雇う気にはなれなかった。


(……まあいいか。このくらいの時間にくるってだけで、何時に行くって言ったわけじゃないし)


 時計などないのが一般的な世界ではこのくらいの時間、と約束してもそれから二、三時間ズレることはよくある。なので今回に関してもそれほどうるさくは言わないだろうとアキラは気にしないことにした。


(……にしても前も思ったけどやっぱりでかいな。本店だけあってウチよりも大きい…)


 アキラの家も一つの街の中ではかなり大きいが、それでも目の前にある建物には負ける。だがそれも仕方がないだろう。アキラの実家は、王国でも食料品の扱いにおいて上位争いをするほどの店だ。支店であるアイリスでさえ一つの街を動かすほどの影響力を持っているのだから、その実家ともなれば当然であった。


「はじめまして。本日商会長のアドルフに面会の予定をしているアキラ・アーデンと申します。話は通っていますか?」


 アキラは門の前で待機している警備の者に声をかけると、しっかりと話しは通っていたようで、すぐに建物の中に通された。



 アキラの通された部屋は、この建物の大きさからしたらあまり物が置いておらず質素に見えたかもしれないが、見るものが見れば金をかけていることがわかる部屋だった。部屋にある家具はそれ一つだけで一般家庭の一年分の給料以上に相当し、壁に掛けてある絵画だって貴族でさえ躊躇うような金額がする物だ。そんなものをいくつも用意することができるアキラの実家はかなり金を持っていた。それこそそこらへんの貴族よりもかなり裕福な生活を送っていた。王国において上位争いをするというのは伊達ではないのだ。


 アキラがしばらく部屋で待っていると、六十歳ほどの男性とその者よりも若いがよく似た男性が部屋に入ってきた。


「お久しぶりです。お祖父様。クレスト叔父さん」


 入ってきたのはアキラの祖父のグラドと叔父のクレストであった。それぞれアーデン商会の本店の会長と次期会長だ。


「よくきたなアキラ。来るまでに何も問題はなかったか?」

「はい。王都に来るまで魔物の一匹も出会いませんでした」

「ほお。それは珍しいな。大抵は一度か二度は出会うものなのだが…。初めての旅で魔物に出くわさないとは、アキラは運がいいのかもしれないな」

「そうだといいんですけどね」


 通常街から街を移動する時はほぼ確実と言っていいほど魔物に出会う。その出会う魔物の強さは千差万別で、一般人でも問題なく対処できるような魔物から、冒険者などの魔物の対処を専門とするものを雇わないと危険な魔物まで様々だ。百回に一回くらいは出会わないが、そもそも一般人はそんなに街を移動したりしない。

 アキラの場合は魔法で近寄らせなかっただけなのだが、何も知らない人からしたら『運がいい』で終わってしまうだろう。


「クレスト叔父さんもお久しぶりです」

「ああ。よくきたな。ゆっくりして行ってくれ」


 アキラが気にしているほど二人はアキラのことを邪険にしてはいないが、それでもやはりアキラの緊張がほぐれる事はなかった。


 普段素の状態で話すアキラだが、この二人を前にするとどうにもいつもの自分で話すことができなかった。それはこの二人とどう接していいかわからないからだった。


 以前の晶には親族なんていなかった。正確にはいたが、まともと呼べる付き合いではなかった。そして今のアキラとしてはそれほど接していない。多くても両手で数えられる程度だ。それ故にアキラは、この二人の前では普段の自分を出すことができないでいるのだった。


「ありがとうございます」


 それでも歓迎してくれている事はわかったので、なんとかしたいなと改めて思ったアキラだった。

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