第140話「世界樹の下で」

 王城で巻き起こった出産ラッシュ。

 初めてのお産を迎える魔族の女官達も、産まれてくる子供達も、一人ひとりに合った名前を付けるタダシもてんてこ舞いであった。


 緊急で増設された産科のベッドは全て埋まり、そこら中に赤ん坊の鳴き声が響き渡る。

 そんな騒ぎもようやく、たった今お産を迎えたフジカを最後に終わる。


「よく頑張ったな」


 タダシは、ベッドに横たわるフジカの紫色の美しい髪をかき分けるようにして、額の汗を拭いてやる。


「タダシ様……」


 みんなを見守るようにして最後にお産を終えたフジカであったが、やはり疲労の色は隠せないでぐったりとしている。

 吸血鬼の女は丈夫だから大丈夫だと助産師に言われても、やはり産まれるまでは心配だった。


「ともかく母子ともに無事で産まれてよかった」

「はい……」


 へその緒を切られて、産湯に付けられた赤子を抱きかかえてタダシはフジカに言う。

 産まれた赤子は女の子で、タダシ譲りの黒髪にフジカと同じ吸血鬼の特徴である紅眼こうがんであった。


 吸血鬼と人間のハーフというのは、どうなるんだろうか。

 できればお互いのいいところを継いで、タダシのように頑強でフジカのように凛とした麗しい子に育ってくれれば良い。


 そんなことを思いながら、タダシは言う。


「この子の名前なんだが、ソフィアはどうかな。俺の故郷で知恵の女神を意味する名前だ」


 魔族の人名辞典だけでは候補が足らず、必死に自分の世界の過去の歴史を思い出して、良さそうな名前をピックアップした。

 フジカは口の中でソフィア、ソフィアと繰り返して笑顔を見せる。


「ありがとうございます。タダシ様の願い通り、国を支えてくれるような賢い子に育てばいいですね」

「気に入ってくれたか。よかった……」


 フジカに、ソフィアを抱かせるとタダシもホッと気が抜けてしまう。


「タダシ様も、お疲れですね」

「産みの苦しみに比べれば、本当に大したことではない。ほんとに一人でジタバタしてただけで、俺は何もしてやれなかった」


 せめて自分にできることと思い、百四人の子供の成長を願って懸命に名前の候補を考えた。

 タダシだって人の子だ。


 亡き祖父が考えてタダシという立派な名前を付けてくれたから、辛い環境でも曲がらずに生きることができて今の幸せがあると思っている。

 子供の名付けが、もしかしたら我が子の一生を左右するかもしれないと思うと、気が抜けなかった。


 なんだか、魂が抜けたというか……。

 気を抜くと、今にも手足から力が抜けてしまいそう。


 一生分の想像力を使い果たしたような気がする。

 全員を名付けろと言われて大変なことを任されたなと思ったが、それでもこうして終わってみると変にやきもき心配してるより良かったかも知れない。


「タダシ様も、ゆっくりお休みになられてください」

「いや、こうして無事に産まれたことだし、ちょっと街を見回ってくるよ」


 王城は、出産騒ぎでみんな大騒ぎであったろう。

 子供達が無事に生まれたと街の人達にも知らせにいく役は、父親であり王であるタダシがやるのがふさわしいのではないかと思う。


「そんな、無理なさらず」

「いや、そっちのほうが楽なんだよ。フジカ達こそゆっくり休んでいてくれ」


 疲れたのは頭なので、何も考えずに身体を動かしたほうが休息になるとタダシは考える。

 身体もしっかりと使って、それから休んだほうがぐっすりと眠れるだろう。


「それなら、街よりも世界樹の方を見回ってきてはいかがでしょう」

「え、それ今やることか?」


 世界樹の視察はいずれやろうと思っていたことだが、こんな時に取り急ぎするようなことでもないと思う。


「それが、イセリナ様が海エルフの皆さんを連れて、何やら子供が無事に産まれてくるようにお祈りをすると張り切って世界樹へと向かったので」

「ええ、イセリナが……なるほど、それは心配だな。見てくるべきか」


 イセリナは妙なことをやることがあるので、ちょっと放っておけないところがある。

 世界樹が生えているのは王城のすぐ近くなので、街を周るついでに散歩に出るようなものだ。


 ちょうどいい運動にもなるだろうと、タダシはその足で出かけることにした。

 街に出ると、王城の前に街の人々が集まってきていた。


「あ、王様が出ていらした」

「お子様は……」


 やはり街への知らせがまだであったか。

 みんなが固唾を飲んで見守る中、タダシが言う。


「みんな案じてくれてありがとう。百四人の子供が、みんな無事に生まれた!」


 わっと歓声があがる。

 タダシは続ける。


「これも、神々の加護のおかげだと思う。正式な祝いはまたやるとして、とりあえずみんな俺とともに神様達に感謝の祈りを捧げてくれると嬉しい!」


 タダシが澄んだ声でそう言うと、「神々に感謝の祈りを!」と民衆に感謝の唱和が広がっていく。

 どこからか、祝いの酒樽が運ばれてからビールが振る舞われた。


「どうか、王様も一杯」

「ああ、ありがとう。あー、よく冷えている」


 強い酒ならさすがに疲れがあるからどうかと思ったが、軽い酒なら疲れを癒やすのにちょうどいい。

 泡立つビールに口をつけると、美味しくてついぐっと飲み干してしまう。


 喉越しが冷たくて淡麗な味わい。

 緊張を強いられていたタダシは、ああ自分は喉が渇いていたんだなとようやく思い出した心地だった。


「王様。良い飲みっぷりで、もう一杯!」

「ああ、ありがとう。もうこれくらいにしておくよ。無事に産まれたのは、みんなが祈ってくれたおかげでもある。どうか、今日は皆で楽しんでくれ」


 みんなが嬉しそうにしていれば、きっと天界から見ている神様達も喜んでくれるに違いない。

 いい感じに祝いの酒を切り上げて、タダシは世界樹のところに行く。


 世界樹の方も気になっていたのだ。

 根本のあたりは、日陰になってしまうので畑にするわけにもいかない。


 その土地の利用は、世界樹を神聖視している海エルフが考えるというのでイセリナに任せてしまったのだが……・。


「なんだこれ、太鼓の音色?」


 ドンドコドンドコと、やけに陽気な太鼓の音色が聞こえる。

 世界樹の根本は日陰であるが、そこに林立する松明のまばゆい光で照らされた大きな舞台があった。


「なんだこれ?」


 これはどうしたことだ。

 際どい水着姿の海エルフ達が、胸やお尻をぷるんぷるん振りながら踊り狂っている。


「い、イセリナ?」


 オーディエンスの熱狂は恐ろしいほどだ。


「リンボー! リンボー!」


 イセリナが、叫ぶ。


「世界樹様に安産を祈念して、リンボーいきまーす!」


 イセリナが、低く水平に渡された世界樹の枝を、大きな胸が引っかからないように上体を思いっきりそらして通ろうとして、通った!


「リンボー! リンボー! リンボー!」


 割れんばかりの盛大な拍手。

 タダシも、思わず拍手してしまったが……なんだこの謎空間?


「なんだこれ……」


 リンボーに成功したイセリナは、大きく手を振ってうやうやしく世界樹に頭を下げる。


「世界樹様、我らがリンボーを照覧しょうらんなられましたか! こんな低いハードルに成功しましたよ」


 そう言われても世界樹も困ってしまうのではないだろうか。

 タダシがやってきたことは、すぐ騒いでいる海エルフ達にも伝わり、イセリナも慌ててやってきた。


「お恥ずかしいところをお見せしました。エルフにとって世界樹は特別なのです」

「いまの、リンボーダンスだよな」


「はい、リンボーダンスです。私達の島の伝統をご存知なのですか?」

「またカンバル島の伝統か」


 そう言われると、何でも納得してしまいそうになる。

 タダシの元いた世界でも、リンボーダンスは南国の風習だったと思うので、そういうものがこの世界にあってもおかしくはない。


「リンボーとは、古のエルフの言葉でこの辺獄のこと。この地に世界樹が育ったのは、神々のお導きとしか思えません」

「なるほど。そう聞くと、何やらえにしがありそうな話でもある」


 地獄のような辺獄の近くの島まで追いやられた海エルフ達は、死線を無事に乗り越えるという願掛けでリンボーダンスを踊るそうだ。

 歴史を遡れば、古のエルフ達は祖霊の木と呼ばれる世界樹を祀っていたらしい。


 例えば、いまリンボーダンス会場にうやうやしく飾られている『古王エヴァリスの王冠』。

 イセリナが元女王として大事に保管している王冠の素材が、まさに世界樹であった。


「だから、タダシ様が世界樹をお生やしになって、我々は皆で歓喜しているのです」

「それはわかったが……」


 あまりのオーディエンスの熱狂っぷりに、タダシもほどほどになと言いたくなる。

 エルフにとって、世界樹が特別なのはなんとなくわかる気はするけど。


「さあ、タダシ様も子供の無事の出産を願って、リンボーしましょう!」


 そう言われて手を引っ張られると困ってしまう。

 タダシがイセリナみたいに反り返ったら、腰をやってしまう。


「いや待て待て、百四人全員無事に出産を終えたんだ。俺はそれを伝えに来たんだよ」


 そう聞いて、イセリナはパッと顔を明るくする。


「世界樹への祈念が叶いましたね!」

「そうでもあるか、まあみんなで祈ってくれてありがとう……」


 祈りの形は人それぞれなので、陽気な海エルフの風習は受け入れておこう。

 しかし、この海エルフ達の奇妙な踊りを神々を降ろしてご覧に入れたら、なんと言うだろうかとタダシは考えてしまう。


 嬉々としたイセリナは、さらに得意げに勢い込む。


「リンボーダンスをすると頭がクリアになります。私、世界樹様のお導きですごいアイデアを思いついちゃったんですよ!」


 そんなことをいいつつ、イセリナが何を始めるのかと思ったら、その場で側近の女官達が布を周りに張ってお着替えショーが始まった。

 布越しに着替えているイセリナの影が、なんとも色っぽい。


「えっと……」

「じゃーん! どうですかこれ!」


 着替えが終わり、現れたのは胸とお尻を世界樹の葉っぱだけで隠しているイセリナであった。

 これはまた、ある意味ビキニの水着よりも際どい格好だ。


「えっと……」

「実は我が国は布不足で苦しんでいたのです。でも、世界樹の葉っぱならいくらでもあります。これで、布不足も一気に解消です!」


 うーんと。


「あのな、イセリナ。えっと、なんと言ったらいいか……」


 タダシが農業神の加護後からですでに布不足は解消してきたと説明すると、イセリナは真っ赤な顔になった。


「それでは、私はまた余計なことをしてしまったんですね」

「いや、気持ちはとても嬉しい。ただその、イセリナのその姿は魅力的すぎて、他の男にはその姿を見せたくないから……」


 ビキニでも際どいのに、愛しい妻の葉っぱだけを巻いている姿を他の男には見せたくない。


「まあ、タダシ様ったら!」


 普段は朴訥ぼくとつなタダシには珍しい口説き文句に、顔を真っ赤にしたイセリナは、すっかり機嫌を直した。

 そして、世界樹のもたらす恵みについて延々と説明しだすのだった。


「確かに、この世界樹の葉っぱで作った家具は、なかなか居心地がいいね」

「そうでしょう! 世界樹の素材は世界最高級のものなのです!」


 タダシに寄り添うようにして、嬉々として世界樹を売り込むイセリナはとても嬉しそうだった。

 それを世界樹の葉っぱのクッションに座って笑いながら聞いていたタダシであったが、連日の疲れからかいつしかゆっくりと眠り込んでしまうのだった。

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