第11話「イセリナ、目を覚ます」

 イセリナは美しい銀のまつ毛をパチクリさせて、眼を覚ます。


「う、ううん……」

「ああ、目を覚ましたか」


 倒れたイセリナを介抱していたタダシが言う。


「人間!」


 かけられていた毛布を手で引き寄せて、イセリナは震える。


「言っとくけど、何もしてないからね。ほら、みんなそこにいるでしょ」


 のんきに魚介パーティーの真っ最中だ。

 船でここまで漂流してきたエルフや獣人たちは、ここが魚介類の宝庫だと知って喜んで食べているところである。


「……わかりました、信じましょう」

「まだ動かないほうが良いよ。ほら、これを飲むと良い」


「なんですかこれは」

「エリシア草を浸したお水だよ。だいぶ疲れてるみたいだったから」


 薬師が作るエリクサーには遠く及ばないが、こうすれば疲労回復効果もあると神様に教えてもらっていたのだ。


「エリシア草! うう……」


 びっくりしたイセリナは、またぐったりしてしまう。

 ため息を吐いたタダシは、飲ませるしかないかと木のスプーンを取った。


「ほら口を開けて、熱があるし、やたら興奮してるのも脱水症状でしょ」

「……コクン」


 抱きかかえて少しずつエリシア草を浸した水を飲ませると、逆らわずに飲んでくれる。

 実はイセリナは、癒やしの神の加護☆☆☆を持っている薬師でもあり、薬草にも詳しいので偽物ではないとわかっていたのだ。


「何よりも、まず体力を回復させることが先決だ」

「そうですね。こうしてはいられません。あとは自分で飲めます。ありがとうございます」


 イセリナは、力を振り絞るとエリシア草を浸した水の器を受け取って一息に飲み干した。


「もう自分で飲めるか、よかった。エリシア草ならいくらでもあるから、もっとたくさん飲むと良い」

「エリシア草がたくさん! そんな希少なものがどこにあったんです!」


「あ、ダメだよ暴れちゃ」

「すみません」


 イセリナは恥ずかしそうに頬を赤く染めるが、恥ずかしいのはタダシも同じだ。

 抱きかかえてるから、暴れるとタダシの腕にぽよんぽよんとイセリナのたわわな胸が当たってしまうのだ。


 介抱してるんだから意識しちゃいけないと思いながらも、毛布の下はビキニなのでどうも気になってしまう。

 本当に、どうしてビキニなのか。


 そんな高度な技術を要求されるはずの水着を着ているかと思えば、漂流船に乗っていたエルフと獣人たちは本気で飢えていたらしく、みんな食べるのに必死になっている。

 上等な衣服には困ってないのに、食糧には困っている?


 ファンタジー世界なんだからしょうがないんだけど、タダシからするとどうもチグハグな世界だ。

 みんなが食べてる間、タダシがイセリナを見ていることになったのだが、船に毛布があってそれを使えただけでも御の字というものか。


「事情は聞いたよ。故郷の島から漁に出て漂流してしまったんだってね」

「はい。もう島の周りで魚が採れなくなってきてしまいまして……えっ、草が生えてる?」


 自分が寝そべっている床が、砂浜ではなく柔らかい草原であることに気がついてイセリナはまた驚く。


「ああ、俺が生やしたんだよ。砂浜に寝そべってるより牧草でも生えてた方がいいと思って」

「生やした?」


 イセリナは、キョトンとしている。

 先程の発言はだいたいが虚言だろうと思いこんでいたのだが、砂浜の一部分だけを牧草地に変えるという魔法のような現象を見せられては否定できない。


 いや、初歩ではあるが癒やしの魔法が使えるイセリナだからこそわかる。

 魔法ですら、このような奇跡はなしえない。


 伝説の魔獣フェンリルをまるで愛玩犬のように従えていることからもわかるように、この人間が只者ただものではないことは確かだろう。

 イセリナが気になっているのは、タダシの手の甲にある加護の☆だ。


 なんと、九つも☆がついている。

 そもそも、加護は☆☆☆☆☆ファイブスターまでしか存在しないので、この男は詐欺師だろうとイセリナは判断していたのだ。


 もっとも星が九つなんて子供でも騙されないが、ハッタリで星の数を増やしているにしても、もしかしたら高位の加護を受けた人間の可能性もある。

 このアヴェスター世界では、能力や地位の高い人間ほどまともじゃないというのもよくあることだ。


 ともかく、この人間を怒らせるのは得策ではないとイセリナは判断した。


「先程は、助けていただいたのにあんな態度を取ってしまって申し訳ありませんでした」

「いや事情は承知しているよ。お互い不幸な行き違いがあったようだから」


「私は海エルフの族長であり、カンバル諸島の代表をしております、イセリナ・アリアドネと申します」

「それは聞いた。貴女は、そのカンバル諸島の女王様なんだってね」


「女王? いえ、それはもうだいぶ昔の話です。今は、滅びかけの海エルフ族の族長に過ぎません」


 タダシの言葉に、うつむいたイセリナは辛そうに秀麗な眉をひそめる。


「そうだ。俺も自己紹介がまだだったな、俺はタダシだ」

「貴方は、王様なのですか!」


 それぐらいの人物であってもおかしくないとは思っていたので、イセリナは平伏する。


「え、いや。王じゃないよ。大野」

「いやしかし、先程タダシ様と」


 いやいやと、手を振る。


「大野は苗字みょうじだよ」

「そ、そうですか。しかし家名をお持ちということは、貴方様は、名のある騎士か、勇者か、賢者様なのでしょうか」


「いや、俺はただの農家だよ」

「……農家?」


 どうも話がさっきからずっと食い違っている。

 見るに見かねたのか、もぐもぐと海老を食べていた獣人のエリンがくる。


「イセリナ。ご主人様は凄いんだよ。農業の加護☆☆☆☆☆☆☆セブンスターを持ってて、なんでもいっぱい生やせるんだよ」


 エリンが、手を広げて言う。

 そんな話を真に受けるなんて、本当にどうかしているとイセリナは思う。


 実際、海エルフ族の族長であり島民のリーダーである元女王のイセリナは癒やしの加護☆☆☆スリースター、島獣人族の族長であり勇者であるエリンは英雄の加護☆☆☆スリースターを持っているが、尊い血族の彼女らはそれだけで衆に抜きん出た特別な存在なのだ。

 ☆☆☆☆☆ファイブスターの加護でも国を揺るがすレベルの英雄だというのに、☆☆☆☆☆☆☆セブンスターの加護なんてものがあれば、それはなんだ? 神の使いか? 半神か?


 そんな人間がいたら、文字通り世界がひっくり返る。

 こう見えてもイセリナは、かつてカンバル諸島を治めていた女王なのでそれなりに世間を知っている。


 農業の加護の持ち主にも会ったことはあるが、農業の加護で☆が二つ以上の人は見たことがない。

 

「はぁ、まったく雲を掴むような話ですね。それで、みんな何を悠長に御飯を食べてるんです」


 みんな警戒すべき人間の男とすぐに仲良くなってしまって、食事まで一緒にしている。

 なんだか、イセリナだけ取り残されているようで釈然としない。


「だって食べなきゃ力がつかないよ。ほら、イセリナもご主人様のご馳走になりなよ」


 それでもイセリナも馬鹿ではないので、エリンの提案は合理的に考えて正しいことを認識している。


「……そうですね。いただきます。覚悟を決めて」


 大げさだなあとタダシは笑う。


「毒は入ってないだろう?」

「ここまでくれば毒を食らわば皿まで、ですよ。体力を回復させるのが急務なのにはかわりません」


「ほう」


 タダシは少し驚く。

 そのことわざは、このアヴェスターという異世界にもあるのか。


 神様の話だとこれまで転生者が二千人以上いたって話だから、ことわざを伝えた日本人が過去にいてもおかしくないかとタダシは思う。

 エリンたちは割と手づかみなのだが、イセリナは添えてある木製のフォークやスプーンを使って丁寧に食事をする。


 そのたたずまいには、上品な育ちの良さを感じさせる。

 もぐもぐと静かに食事を終えると、イセリナは覚悟を決めた表情でもう一度タダシの前に平伏して言う。


「タダシ様。私を奴隷にしてください」

「ええ……」


 急すぎる話の展開についていけず、タダシは呆然としてしまう。

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