第160話 じもと(紫乃)

 紫乃は今地元の小学校に来ていた。

 あまり深い意味はないが、なぜかふと来てみたくなったのだ。


「あの子は……来ないよね〜……」


 記憶の中に鮮明に残る“あの子”の姿。

 いつの間にかこの目は美久里を追っていたが、あくまで美久里は似ているだけ。

 “あの子”だとは限らない。


「うーん……もうちょっと見ていこうかな〜……」

「あ、あの……そこにずっといると不審者だと思われますよ……?」


 紫乃がブツブツ独り言を呟いていると、後ろから戸惑い交じりの声が聞こえてきた。

 誰だろうと思って振り返ると、紫乃は目を疑った。

 だってそれは、その人は、紛れもない――“あの子”だったから。


「え、え、え? なんで……ここに……」

「はい? 私のことご存知なんですか……?」


 ご存知もなにも、本人だろう。

 紫乃はそう決めつけ、じっくりと舐め回すようにその子を見る。

 美久里と同じような紫色の髪をしているが、美久里よりも長くて整っている。


「ね、ねぇ、僕のことわからない〜……? 一緒にここ通ってたよね〜?」

「確かにここには通ってましたが……あなたのことは……ん? いや、僕っ娘でその青色の髪……紫乃さん、ですか?」

「おぉ〜! やっぱり僕のこと知ってるんだ〜!」

「ち、近い近い! 知ってはいるけど、会ったことはないですよ……?」


 この子はなにを言っているのだろう。

 ストーカーでもない限り、会ってなきゃ知らないだろう。

 でもこの子は話しかけてきたからストーカーではない……と思う。


「あ、あの、とりあえず落ち着いてください。私は美奈って言います。姉がいつもお世話になっております」 


 美奈と名乗った子は、深々と頭を下げる。

 美奈……姉……美久里と似たような髪……


「えっ!? もしかして美久里ちゃんの妹さん〜!?」

「そ、そうですけど……」

「わー、はじめまして〜。噂には聞いてたけどしっかりしてそうな感じがあるね〜」

「え、えっと、ありがとうございます……」


 紫乃のペースに持ち込まれた美奈は、困惑しながら返事をする。


「可愛いね〜。でも背もそこそこあって……さすが美久里ちゃんの妹さんだ〜」

「な、なにを褒められているのかわかりませんが……えっと、ここでなにを?」


 美奈の問いかけに、紫乃は目を見開いた。

 そういえば、“あの子”を探しに来ていたのだ。

 それを忘れてしまうなんて。


「実はね、僕には忘れられない人がいて〜……」


 そうして紫乃は語り出す。

 美奈はどう思っているのかわからないが、徐々に真剣そうな面持ちになる。

 紫乃の話が真剣なものとわかったからだろう。


「……ってことで、ここに来たってわけ〜」

「なるほど……紫乃さんは本当にその人のことが好きなんですね」

「うん、そうだね〜。またその子に会いたいと思ってるんだけど……なかなか難しいのかも〜……」


 紫乃は抜けるような青空を見上げながらつぶやく。

 もう一度だけでいいからあの子と会って、楽しくおしゃべりができたら……紫乃はそれで満足なのだ。

 思い出補正がかかっていて、その子がヒーローのように見えるだけかもしれない。

 でも、それでもいい。紫乃が救われたのは、紛れもない事実なのだから。


「うーん……それ、うちの姉ってことはないですかね……?」


 美奈は顎に手を添えながら尋ねる。


「えー……でも、僕が説明した時は『私は関係ないです』って感じだったよ〜?」

「あー、姉は記憶力ないですから。多分そのせいだと思います」


 え……っと、つまり……?

 どういうことだろうと、紫乃の頭は混乱の渦に巻き込まれる。

 理解はできていない。

 だけど、もしそうなら……という希望が見えてきた。


「私や姉と姿が似ているんですよね? しかも一人だった紫乃さんに声をかけて友だちに。姉は確かにコミュ障ですけど、同じ趣味を持つ子だったらそれはやわらぐだろうと思いますし」

「な、なるほど〜……でも、なんか釈然としないというか……」


 紫乃はうんうん唸る。

 思い出の子が美久里だということが嫌なわけではない。

 むしろより身近な存在だったのなら、紫乃の願いはもう叶っているわけで。


「でも……でも……それを向こうが知らないままなんていうのは……なんか嫌だな〜……」

「確かにそうですね。気持ちはわかります。なので、根気よく思い出させるのがいいのではないかと。私も協力しますよ」


 そう言って、美奈は口角を上げる。

 それと同時に、紫乃の顔もパァーっと明るくなる。

 紫乃の願いを叶えるのに、これ以上の味方はいないのだから。


「あっ、ありがと〜!」


 紫乃の目頭が、少しだけ熱くなったような気がした。

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