第96話 ちょうりじっしゅう(朔良)

 今現在、朔良たちのクラスは、家庭科の調理実習の真っ最中である。

 周りからは、トントンと包丁がまな板を叩く軽快な音と、食材を炒める香ばしい香りが漂う。

 調理のお題は『地元にちなんだ料理』という、アバウトなものだったりする。


「ふ〜んふ〜んふ〜♪」


 隣から聞こえてきた楽しそうな鼻歌に、朔良は思わず笑みがこぼれた。

 鼻歌の少女の正体は、小柄な優等生――萌花だ。

 小動物のような可愛らしい見た目と、少々抜けている性格のためか、朔良は萌花のことが放っておけないのだ。


 そのため、何かと萌花の世話を焼いてしまいたくなるようで。

 萌花の方を見ると、楽しそうに野菜を切っていた。


 小さな紅葉のような手で包丁を握り、もう一方の手で軽く野菜を押さえているのだが……正直かなり危なっかしい。

 今も、ぷるぷると小刻みに包丁をつかむ手が震えている。


 その様子に、朔良はだんだん心配になってくる。

 その時―――


「いっ!」


 まな板の上に、赤い雫がぽたぽたと落ちる。

 朔良の不安は見事に的中。


「大丈夫か!? 萌花、手出せ」


 萌花の手をつかんだ朔良は、そのまま切れた箇所を指ごと自らの口に含んだ。

 傷口から溢れた血が朔良の唾液と混ざり、喉を滑り落ちる。

 指を切った痛みで涙目だった萌花は、その様子を見て恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。


「……っと、もう止まったみたいだ」


 萌花の指を口から離し、絆創膏を巻いていく。


「よし。これで大丈夫だな」


 橙色の瞳に溜まった大粒の涙を拭き、頭をなでると嬉しそうに目を細める。


「姉御、その……ありがとうございます」


 笑顔でお礼を言う萌花に、朔良は不覚にも一瞬ドキッとした。

 姉御というのは、少し前から萌花につけられたあだ名である。

 中学の頃もそう呼ばれていたことがあるため、そのあだ名で呼ばれたことに驚きはしなかった。


 ただ、萌花にそう呼ばれたということにかなり驚愕した。

 嫌ではないらしいが、少しこそばゆいようだ。


「別に……気にすんな」


 だけど、今は。

 可愛らしい萌花の、この笑顔をずっと見つめていたい、そう強く思ったのだった。

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