第88話 立ち上がる恐怖

「おっ、この死体も損傷が少なくていいな」


 その日、ヒーロー軍お抱え研究員である“小野田エイタ”は、『仮面舞踏会討伐作戦』に同行していた。


 ここはヒーロー軍怪我人キャンプの隅。

 テントの真横に停められた冷凍車の前に、大量の死体が積み上げられている。


 東門を強襲してきたというNo.5とその部下30名あまりの死体だ。


 今回の彼の仕事は研究用に怪人の死体サンプルを回収すること。

 怪人の生態については未だに不明な点が多い。


 新鮮な死体は貴重な研究材料だ。


「残り20体、痛む前にさっさと積んでしまうか」

 自身に言い聞かせるように呟いたエイタは、近くの死体を担ぎ上げ、冷凍車後ろのコンテナに放り込んだ。


 これを20体以上。かなりの重労働だ。

 汗だくになって作業を続ける。


 本来、死体の回収は戦闘終了後に行うのだが、今回は無理言ってフライング気味に行わせてもらっている。

 エイタが見たところ、怪我人キャンプ内は安全だし、なにより研究者としての魂が目の前で貴重な研究サンプルが痛んでいくのを許さなかった。


「あー、腰痛い」

 弱音を吐きつつも、あらかたの死体を積み終わる。

 残りは一体。No.5、朱い法服を纏った男だけだ。


「長かった……でもこれで終わりだ」

 最後の男もこれまでと同様に、腕を掴んで担ぎ上げようとする。

 しかし、


「痛っ」

不意に右の手の平に痛みを感じて手放した。


(なんだ?)

 驚いて自身の右手を見ると、親指と人差し指の間から血が流れていた。

 肉が抉れ、歯形のような跡が付いている。


「歯形? なんでこんな所に?」

 不思議に思い、改めて死体を見てみるが、特別おかしな点はない。


(――なんだ? 本当に何が起こったんだ?)

 仕事で掻いたものとは明らかに別の汗が頬を伝った。

 先程から動悸が酷い。


 ゴクリと唾を飲み込んだエイタが恐る恐る仮面に手を伸ばしかけたその時、


――ガシリ。

途中で腕を掴み取られた。


「ひっ!」

 思わず口から悲鳴が漏れる。


 腕を掴み取られた。腕を掴み取られたのだ。


 誰に? ――目の前の死体にだ。


『ああ、その怯えた目。良い表情だ……』


 くぐもった声と共に、死体だと思っていた朱い法衣の男がゆっくりと上体を起こす。

 気づけば、その腕に、足に、びっしりと口が貼り付いていた。


「なんだおま――ゴフッ」


 言葉を発しかけるが、鞭のように伸びた左腕が蛇のように首元へ巻き付き、無理矢理遮られる。


『黙れ。誰が喋っていいと許可した?』


 一瞬おぞましい怒気を放った法衣の男が、静かに立ち上がった。

 そのまま、ぐっと顔を近づけてきて話し出す。


『貴様らヒーロー軍も、信者の怪人達も、一つ重大な勘違いをしている。我々仮面舞踏会が仮面を被るのは、前科者が多く、素顔を隠すためだと思っているだろう?』

 一拍置いた男が、底冷えするような声音で言う。


『――違う。この組織は全てが私の為のものだ。仮面を付けている理由は、いざという時に私が逃げやすいように。それ以上でもそれ以下でもない。私は分体の一体でも生き残れば、何度でも再生する』


(こいつ、さっきから何を言っている?)


 恐怖でブルブルと震えるエイタの前で、法衣の男がゆっくり仮面を外した。


 その下から見覚えのあるスキンヘッドの強面が表れる。

 手配書で何度も目にした顔。


「へ、ヘルツリィ……なんで……ここに……」

 なんとか声を絞り出すエイタの眼前で、朱い法衣を纏ったヘルツリーが小首を傾げた。

 直後に、無言のまま抱きつかれる。


 それと同時に全身に感じる痛み。

 喰われている。体を。無数の口に。


「ああ……あああ……あああああ……!」

 あまりの激痛に悲鳴を漏らし、白目を剥く。

 ガタガタと痙攣するエイタの耳に、


ゴキリ。

嫌な音が響いた。

 自身の背骨が折れる音だ。


(こんなことなら、いつも通り戦闘後に作業すればよかった……)


 それが小野田エイタが生涯で最後に抱いた感想だった。



☆☆☆☆☆



 その時、怪我人キャンプのテント横にあるベンチに腰掛けた俺はすっかりリラックスし切っていた。


「あー、いいね。もう少しテンポ速く。そうそう、上手い上手い」

 ビッグバン事務所の若手二人に肩叩きをさせつつ、偉そうに踏ん反り返る。


(ああ、やっぱ人の上に立つって最高だな。それに、上司をしっかり立てる部下達。普段から舐め腐った態度の非戦闘員部隊の奴らにもこの素直さを見習って欲しいね)


 満足気に頷いた俺が、のんびり目を閉じた瞬間、


ゴゴゴゴ―ッ!

不意に地面が激しく揺れだした。


 続けて、幾つもの悲鳴が聞こえてくる。


(なんだよ。人がせっかくくつろいでるのに……)


 胸の内でぶつくさと文句を行った俺が、嫌々目を開くと、


「ちょっ、アックスマン隊長! あれヤバいですって!」

若者の一人が肩を揺すり、一方向を指差した。


「ん?」

 ぼんやりとした頭でそちらを振り向くと、いつの間にか天を貫くような巨木がテントの隅に生えている。


(何あれ?)


 よく見ると、その足元にスキンヘッドの強面男が立っていた。

 腕組みをしながら偉そうにこちらへ向かって歩いてくる。


(なーんか、間抜けな顔の奴だな……)


「あいつ、仮面舞踏会の怪人だろ? 潰しちゃっていいよ」

 ベンチに腰掛けたままの俺が軽く言うと、


「むむむ、無理ですって! あいつ、ヘルツリーですよ? 殺されちゃいます!」

背後の若者がブンブンと首を振った。


「んげっ、あれヘルツリーなの!?」

「手配書くらい確認しといて下さいよ……」


 呆れ顔の若手を横目に、改めてヘルツリーに視線を戻す。

 すると、この距離でも感じる程の禍々しいオーラが辺りに撒き散らされた。


(……こりゃ、やべーな。あいつ、S級怪人の中でもかなり上位の強さだぞ?)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る