第58話 天災
「くそ。あの小娘、次会ったら殺してやる……」
全身から少なくない量の血を流した怪人“ケイソウ”は、暗い路地裏を足を引きずるようにして歩いていた。
遠くでヒーロー軍到着を告げるサイレンが聞こえている。
先行部隊はもうすぐそこまで来ている筈だ。
(今、見つかったらヤバいな……)
そう思う本心とは裏腹に、
『他者を恐れるな!』『お前を見くびる者は皆殺しにしてしまえ!』
と、胸の内の黒い声が囁いていた。
ボロボロの体を駆け巡る怪人としての衝動が、
“ただ強く有れ”と喧しいくらいに叫んでいた。
E級怪人。戦闘には向かない微生物型。
非力なこの身で満たすには余りにも難しい欲求だ。
思い返せば惨めな人生だった。
理想と現実がチグハグで、いつも心が潰れそうだった。
仕事では年下の上司に馬鹿にされ、強くなろうとボクシングジムに通えばヒューマン相手にボコボコにされた。
上手くいかない人生だった。
それでも何とか強くなろうと努力を続けていた頃、何とはなしにつけていたテレビから聞こえてきた言葉。
『――近頃、バトルスーツを纏った怪人に襲われたというヒーローによる被害報告が多発しています』
衝撃だった。
怪人の身でバトルスーツを身に纏う。考えもしなかった。
それから力を得るまではあっという間だった。
元々バトルスーツが好きだった事や地道に格闘技を続けていた事も手伝い、すぐに強くなることができた。
運命だと思った。
やっと本来自分があるべき姿になったのだという確信があった。
それなのに――。
ギリギリと歯を噛み鳴らす。
そこまで思い返したところで、ハッと我に帰った。
(そうだ。今はこんな思い出に浸っている場合ではない。さっさとクンショウと合流して態勢を立て直さねば……)
自分自身に言い聞かせ、ゆっくり歩みを進める。
しかし、不意に前方から一つ足音が聞こえてきた。
コツリ。コツリ。
一切の淀みを感じない静かな足音。
やがて、先の見えない深い暗がりから一人の男が姿を現す。
そのタイミングで雲間から月が顔を出し、相手の正体をはっきり照らし出した。
漆黒のバトルスーツに漆黒のヘルメット。
腰にさした銀柄が反射して眩しい。
物言わぬ怪人、“
(本来、反英雄というのは無口な物だよなぁ……)
そんなどうでもいい思いが胸をよぎる。
それと同時に、
「遂に来たか……」
そんな言葉が勝手に口から漏れていた。
反英雄の模倣を始めた時から、いつかこんな日が来るだろうと思っていた。
不思議と心は穏やかだ。
『強く有れ!』とあれほど煩かった声も身を潜め、かつてない程に頭が澄んでいる。
ー 適合率72% ー
目の端で信じられないほど高い数値が赤々と輝いた。
(常に強く有ることを求め続けた俺が、こんな惨めな姿で最大の力を得るとは――皮肉なものだ)
この出会いが反英雄として完成する為の最後のピースだったのかもしれない。
体はズタボロで満身創痍。それなのにかつてない程に力が溢れている。
(なるほど……これが俗に言うヒーロータイムか……)
この力が有れば、あの憎っくき小娘にも復讐できる。
そう思い、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「その前に肩慣らしだ。感謝するぞ。俺を完成させてくれて。そのお返しにこの力を試す実験体第一号にしてやろう――」
顔を上げてそう言った瞬間、突然、頭を鷲掴みにされる。
(ん?)
気づくと、離れた位置にいた筈の反英雄が目の前に立っていた。
あまりに突然の出来事に理解が追いつかない。
「なっ! こいつ、いつの間に!?」
慌てて腕を振り払おうとするが、それよりも早く顔面に衝撃が来た。
ズガン。
その凄まじい威力に一発で意識が飛びそうになる。
自身が地面に叩きつけられたと気づいたのは、それから数瞬後のことだった。
(な、なんだこいつ……速過ぎる……)
まるで、時が飛んでいるみたいだ。
何が起きているのか全く分からない。
(どれだけの適合率があればこれだけの芸当ができるんだ……80%? まさか90%か?)
必死に上体を起こそうとするが、上から頭を踏みつけられてピクリとも動けない。
あまりにも次元の違う力を前に、自身の内側の熱が急速に冷えていくのを感じる。
(冗談じゃない! せっかくあの小娘に復讐できる力を手に入れたのに、こんな簡単に――虫けらみたいに殺されてたまるか!)
戦々恐々とするケイソウの目の前で、反英雄が腰から銀の剣柄を引き抜いた。
花柄の紋章が刻まれた世界有数の逸品。
ライラック製のビームブレード01だ。
ケイソウの無駄に多いバトルスーツの知識が一瞬で武器の正体を看破する。
それ故に、その危険性もすぐに理解した。
(まずい、あの刃で斬られたらお終いだ……)
相手の挙動一つ一つでピンと空気が張り詰めるのを感じる。
まるで、掌の上で命を転がされている気分だ。
しかし、予想に反して、軽く銀柄を弄んだ反英雄が、何をするわけでもなく足を退けた。
そのまま、背を向けて静かに歩き出す。
(何だ? ……俺は助かったのか……?)
なぜ反英雄が自分を見逃してくれたのかは分からない。
ただ、とにかく恐ろしくて、一秒でも早くその場から離れたかった。
しかし、地面から起き上がろうとして全く足が動かないことに気づく。
恐る恐る自身の体を振り返ると、腰を境に上半身と下半身が真っ二つに切断されていた。
「は、はは、ははは……いつ斬ったんだ……」
口から乾いた笑い声しか出ない。
(これが本物のS級怪人か――)
力なく息を引き取るケイソウの耳に、ヒーロー軍到着のサイレンが煩く響いていた。
☆☆☆☆☆
「クラウン隊長、救難信号が発せられたのはこの先の廃工場からです」
「了解だ」
部下の言葉に頷き、暗い路地裏を駆ける。
数分前、ヒーロー軍本部で救難信号を受けとったクラウンは先行部隊として現場へ急行していた。
後ろからは対反英雄戦の為に選抜された精鋭20名程がピタリと付いて来ている。
目的地まであと少しだ。
しかし、
「――止まれ」
不意に目の前の暗がりに違和感を覚えて足を止めた。
「どうしたんですか?」
部下の一人が不思議そうに尋ねてくるが答えない。
いや、正確には、上空の暗がりに意識を奪われて答えられなかった。
(何だあれは?)
建物と建物の間。地上から3メートル程のところ何か巨大な物体が浮いている。
瞬時にバトルスーツの暗視ゴーグル機能をONにしたクラウンは、その正体を観て絶句した。
「そんな馬鹿な……」
そこにあったのは、黒いバトルスーツを纏った男の死体だった。
建物と建物の間に蜘蛛の巣のように張り巡らされた白銀のワイヤーで宙吊りにされている。
クラウン達がこれから戦う筈だった男。
「反英――雄?」
状況が飲み込めないクラウンがそう呟いた瞬間、
ズルリ。
宙吊りにされていた男の下半身だけが地面に落ちた。
「ひいっ!」
背後で数人の部下が思わずと言った様子で悲鳴を上げる。
それに釣られて視線を落とすと、暗がりにもう一人別の男が立っていることに気づいた。
漆黒のバトルスーツを纏った細身の男が、近くの壁に寄り掛かっている。
恐ろしく存在感が希薄な男だ。
(何だ? 一般人のコスプレか?)
この異様な状況と幾つもの強い思い込みが、クラウンと部下達から冷静な判断力を奪っていた。
そんなはずないのに。
「おい、そこのお前。さっさとヘルメットを外して状況を説明しろ。これは警告だ」
威圧的に声を荒げた副隊長が男に近づいていく。
その様子をぼんやりと眺めながら、力なくため息を吐いた。
(状況がさっぱり分からん……。こうなると、死んでる男の方も本物の反英雄か怪しいな)
そう思った刹那、
トンッ。
黒スーツの男に軽く触れられただけの副隊長の体が近くの壁にめり込んだ。
「――え?」
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