第57話 天才

 思考音が実際に耳に届くのではないかと思うほどの速度で脳が回転している。

 音の消えた世界に立ったサツキは、鋭い眼光で周囲の状況を分析していた。


「前方0.8メートル42°に一本……後方1.2メートル145°に一本……上空1.4メートル90°に一本……」

 ブツブツと呟きながら静かに一歩を踏み出す。

 すると、それに合わせて再び世界が動き出した。


 ゆっくり流れる時の中で、冷静に敵の攻撃に対処する。


 始めに手前のワイヤー1本を蹴り落とし、続けて後方の2本をブレードではたき落とした。

 そこから流れるように上空の1本を手の甲で払うと、残り4本を体捌きだけで躱す。


 なにも特別な事はしていない。

 はたき落とす物と躱す物を判断し、正しい順番で実行しただけ。

 それだけで、絶体絶命のピンチをあっさり突破してみせる。


 ガシャンガシャン。

 サツキの体を逸れたワイヤー同士がぶつかり合って地面に落ちた。


『何!?』

 その様子を見て、反英雄アンチヒーローが思わず驚愕の声を漏らす。

 まさか避けられるとは思わなかった。そんなところだろう。


 しかし、


『まだだ!』

次の瞬間には、追撃の一手を放ってきた。


 地面に落ちたワイヤー達が再び頭をもたげ、足を絡め取ろうとしてくる。


 ところが、


パキン。

またもやワイヤーが体に触れる寸前に、サツキを取り巻く世界が凍結した。


 再び音のない世界に囚われて理解する。


(これが……ヒーロータイム……)

 軽やかなステップでワイヤーの網を抜けたサツキは、トップスピードで一気に反英雄に肉薄した。


『馬鹿な! どうなっている!?』

 遠目から見ていた反英雄が驚きの声を漏らす。

 何が起こっているのか理解できないという様子だ。


 だが、数瞬後には我に帰り、一歩前へ出てきた。

 手に持っていたワイヤーを放り捨て、胸の前で拳を構える。


『来るなら来い。拳一発であの世に送ってやる!』

 そう言うと同時に全身から並々ならぬ殺気が放たれた。

 強力な敵意に晒され、頬がピリピリと震えるのを感じる。


 互いの間に横たわる距離は僅か5メートル。

 意を決したサツキは、


「喰らえ!」

両手に持っていた赤と青のブレードを思い切りぶん投げた。


 勢いよく手を離れた2本のブレードかあっという間に反英雄の元へ到達する。


 しかし、

『はっ、ショッピングモールでの俺の真似か? 発想が凡人だな。それくらい想定済みなんだよ!』

完全に動きを読んでいた反英雄にあっさり躱される。


(それなら……)

 再び意を決したサツキは、背中から漆黒のツインブレードを抜き放った。

 黒曜石を削って刃にしたような異様な出立ちの妙刀。


 それも2本まとめて反英雄に向かって投げつける。


 ビュンッ!

 先程よりもかなり近い位置からのスローイングだ。

 ただ、これはあくまで目眩し。


(本命は――)

 指先に力を込め、背中から最後の一対を抜き放つ。

 それと同時に青白い光の刃が手元に顕現した。


 軽量型ライラックブレード-twin-。

 如何なる障害も斬り裂く高出力ビームブレードだ。


『ビームブレードだと!? 本命はそっちか!』

 2本の黒刀を払い除けた反英雄が荒々しく吠える。


 サツキの作戦は完全に見抜いた。あとは正面から叩き潰すのみ。

 そう言わんばかりの反英雄に向かって手にしていたビームブレードをぶん投げた。


『何!?』

 まさかのサツキの行動に反英雄の反応が一瞬遅れる。

 僅か一瞬だが、その一瞬が命取りだ。


 ズドン。

 思い切り地面を蹴ったサツキは、なんとか上体を反らしてブレードを回避する反英雄の眼前に身を踊り出した。


 そのまま空中で独楽のように何度も身を捻ると、手足に仕込んだ小型ジェットブースターを起動する。


 これはいつか目にした憧憬の再現だ。


「本命は――こっちだ!」


 ドパンッ!

 凄まじい威力の蹴りが横っ面に炸裂し、エゲツない音と共に反英雄の体が後方へ飛んで行った。

 駐車場のフェンスを易々と破り、一番手前の住宅に突っ込む。


 もうもうと巻き上がる土煙に思わず咳き込んだ。


「ゲホゲホ、ちょっとやり過ぎたかも……」

 体を引きずり、件の住宅の庭へ侵入する。

 すると、そこには反英雄が突っ込んだと思われる壊れた壁と夥しい量の血溜まりがあった。


 庭を抜け、暗い路地裏へと続く血の跡を見てハッとする。


(やば、逃げられた……)

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