第七話 危険な相棒

 僕だって、それが大きな危険を孕むことはわかっていた。

 でも、思いついてしまったのだ。

 密航者もしくはストーカーことレティシア・シュトレーム元女王を、サリスを含む五つの星系の裏社会を牛耳る犯罪組織、ブリュー・カルテルのアイリーン・に売り飛ばす。

 はっきり言って、元女王は、奴隷にするには色んな意味で上等すぎる。しかし彼女のような、何の後ろ盾もない若い女性は、宇宙労働市場では浪費されがちだ。彼女のような優秀な人物が、娼館や単純労働で消費されてしまうのは、いくらなんでももったいない。その点、アイリーンは、有能な女性は特に好んで重用する。元女王の“性能ポテンシャル”も、それをタダ同然で使えることにも喜ぶだろう。手広くやっているアイリーンであれば、彼女レティシアの能力に見合った仕事をさせられるはずだ。

 一方、彼女アイリーン所有物奴隷になるレティシアは、しばらくの間はタダ働きを余儀なくされるだろうが、衣食住の心配はいらなくなるし、彼女レティシアの有能さならすぐに見合った報酬をもらえるようになるだろう。少なくとも、この船にいるよりはずっといい暮らしができるはずだ。

 そして僕。僕はアイリーンの仕事に失敗し、彼女は僕がその損害を賠償すべきだと考えていて、それができず逃げている僕には賞金すらかかっている。しかし、アイリーンが賠償として請求してきている額は、はっきり言って法外に過ぎる。実際に与えた損害は実はそれほどではない。僕が廃棄した荷物モノ違法薬物麻薬なのをいいことに、賠償額はその末端価格を元に計算されているのだ。まあ確かに、ビジネスの損失としてはそうなるのだろうが、実際に彼女が失った金額は、その十分の一以下になるはずだ。彼女がそのことを思い出してさえくれれば、レティシアの価値は十分に見合うものであるはずだ。

 その結果、僕の彼女への借りは無くなる。そうなってくれれば、僕に掛けている賞金に大義名分がなくなる。逃亡生活にもピリオドだ。

 一石四鳥、いや彼女レティシアを厄介払いできることも合わせれば、五鳥。しかも、関係する誰にとっても“いい話”だ。

 僕に賞金を掛けている犯罪組織カルテルの支配圏、文字通りのアウェイ、危険地域にノコノコ踏み入れる、そういう危険を犯すことになるとわかっていても、そうする方を選択した理由は、理解してもらえると思う。


 サリス星系は、安定した主系列星太陽と七個の惑星を中心とした典型的な惑星系だ。ハビタブルゾーン生命生存可能領域にあるのはサリススリー第三惑星。惑星が恒星名+ナンバーで呼ばれる点からわかるように、この星系はいわゆる開拓星系、すなわち、より原始的な時分に他星文明に発見され、開拓・移民されたものだ。

 とはいえ、星間移民をしてしまうような文明が開拓したのだ。人類が移民して数百年。サリススリーの開発具合は地球をとっくに追い越していた。陸地の半分は都市化され、もう半分は自然を豊かに活かしたリゾート、もしくは高級住宅地域となっていた。

 そして人口の大半はその都市に押し込められ、経済格差が激しく、比較的裕福な層は高いビルの高層階に、貧困者は日の当たらない下層のスラムに住んでいる、と、このあたりも典型的だ。

 目的の相手、アイリーン・ブリューがいるのはそのどれでもない。サリススリーにある三本の軌道エレベーター、そのひとつの静止軌道ステーション、回転する巨大ドーナツ状の重力区画に、オフィスを構えていた。惑星へも、外宇宙にもアクセスが容易で、ビジネスに便利。星間企業にはよくあるスタイルだ。

 彼女のビジネスは主に犯罪だが、犯罪だって、お金が動くという意味では、ビジネスに違いない。金儲けの手段として犯罪を選択した、というだけのことなのだ、彼女たち、もしくは僕にとっては。

 アイリーンの秘書になぜか待たされて、丸一日、周回軌道で待機した僕は、ようやくその桟橋区画へと入港した。

『またのご乗船をお待ちしておりマス』

 カイトはこれまで一度も発したことのない言葉で、レティシアを見送った。

「ありがとう、カイトくんもお元気で」

 僕の方は、ようやく荷物を降ろせていい気分だった。やれやれ。

 エアロックで、なぜか彼女は立ち止まると、一緒に降りるために続いていた僕の方へ、身体ごと向き直る。

「……なんですか?」

 視線の迫力に、思わず敬語になる僕。

 彼女は黙ったまま、僕の顔を上目遣いで睨みつけると、不意に背伸びをして、僕の下クチバシにキスをした。元の位置に戻った彼女は、やはり上目遣いのまま、しかし「してやったり」とばかりに笑みを浮かべて、それから身を翻し、先に外へと出ていった。

 まったく。

 僕はハンカチを取り出すと、おそらくクチバシに付いているであろう、彼女が念入りに塗っていた口紅を拭う。“面接”前に、化粧が直せる場所が必要ではないだろうか。

 船を降りた僕たちは、無重力の港区画からエベレータ―に乗り、重力区画へと移動していく。

 回転することで外向きの人工重力を発生させているトーラス巨大ドーナツの直径は約1.8km。居住チューブの直径は130mだが、地面と地下構造物があるため、天井はそれよりもずっと近い。街はトーラスの外側内壁に張り付くように作られるため、顔を上げれば前も後ろも、街がずっと登っていくように見える。

 整然としたまだ新しい街にはゴミひとつなく、管理と治安の良さを伺わせる。こんなところに犯罪組織の拠点があるとは、わかっていてもつい疑いたくなってしまう。

 アイリーンのオフィスは、商業地域の一角、複合商業施設の中にあった。デザイン会社が好みそうな開放的で洒落た空間で、とても犯罪組織のフロント企業が入っているようには見えなかった。働いているのは女性ばかり、しかも出身星系も多岐に渡るようで、そういうところもない。美人で姿勢のいい秘書は、大企業の社長室じみた部屋へと案内してくれた。毛足の長い絨毯と、高級そうな応接セット。その向こう、高価たかそうなデスクの向こうに、問題の女はいた。

 アイリーン・ブリューは、地球人で言えば30歳前ぐらいに見える、長身の人間型宇宙人ヒューマノイド女性。肩まで伸ばした艷やかな髪の鮮やかなグラデーションと、右の額にある短いツノから、いくつかの別の星系宇宙人の混血であることが伺われる。そのツノ、そして理知的な光を放つ切れ長の瞳、完璧な顎のラインが作り出す常人離れした美しさは、畏怖の念すら抱かせる。

 僕の姿を見つけた彼女は、その美貌に艶っぽい笑みを浮かべ、立ち上がった。

「チキンライダー。来てくれて嬉しいわ」

 その言葉、その笑みに、僕は思わず震え上がる。彼女は見た目通りの美女ではない、犯罪組織の荒くれ者を束ねる、若き女帝なのだ。その辣腕ぶりを知っていれば、向けられる視線にすらヒトを殺める力があるのではと錯覚してしまうし、実際、彼女がその気になれば、僕は確実に、生きてここを出られないのだ。今の僕はまさしくヘビに睨まれたカエル……いや、ニワトリだ。

 メドゥーサが実在するなら、この女かもしれない。

「いや……」

 僕は声を震わせず出せることを確かめてから続けた。

「この度は、時間を取っていただけて、感謝するよ」

 アイリーンは、頬に笑みを浮かべてから、机を回り込んできた。

「元気そうで安心したわ」

 僕が賞金首だということをわかっていてよく言う。

 彼女の視線に耐えきれなくなった僕は、レティシアを指し示して口を開く。

「履歴書は、見てもらえたかな? 先日話したのが、彼女だ」

 アイリーンは笑顔はそのままに、視線を彼女に移した。レティシアは僕とは違い堂々とした様子で、名乗った。

「レティシア・シュトレームと申します。よろしくお願いします」

「はじめまして。写真で見るより美人ね」

 アイリーンはそう言ってから、意味有りげに僕の方を見た。

「それに、若い」

 僕は肩をすくめる。

「シュトレームっていう辺境の星系国家で、政治家をやっていた。若いが、経験は豊富だ。あと銃も撃てる」

 レティシアが僕を睨むが、無視。

「政治家?」

 アイリーンが笑って言った。

「女王様でしょ」

 僕は驚く。

「知ってるのか?」

 星系国家とはいえ、シュトレームは銀河外縁部ド田舎だし、サリスここからは物理的にもだいぶ離れている。星系文明は文字通り星の数ほどあるのだ。さすがの彼女も存在を知らないだろうと思っていたのだが。

「履歴書もらったんだもの。調べるわよ、当然」

 それもそうか。

「だったらわかってると思うが、彼女は大変優秀な人間だよ。銀河のどこでだってやってけると思うが、これほどの人材を上手に使える人間は、そうはいない。それで思いついたのが、あんただってわけ」

 アイリーンは、意味有りげに微笑んだ。

「まあ、そういうことにしておきましょうか」

 そう言った彼女は、頭一つ分背の低いレティシアを、頭のてっぺんからつま先まで眺め回すようにした。レティシアは自ら持ち込んでいたビジネススーツ姿で、メイクもバッチリ決まっていて、僕には大変立派な社会人に見えた。

「あなたは?」

「――はい?」

 アイリーンは、レティシアの正面に立つと、その顔を見て言った。

「彼はああ言ってるけど、あなたは? わたしのところで働く気、あるのかしら?」

 レティシアはチラリと僕の方を見たが、僕は反射的に目をそらしてしまい、戻したときには、彼女はすでに、まっすぐにアイリーンの方を見ていた。

「もちろんです」

 アイリーンはしばし求職者の顔を眺めていたが、やがて、

「いいでしょう」

 と言うと、芝居めかして身を翻した。

「わたしの会社で正規に雇用しましょう」

「えっ? 奴隷じゃなく?」

 反射的に言った僕を、二人の女が睨みつけたが。

「ただし、我が社でホワイトカラー採用するためには、正規の手順を踏む必要がある。シュトレームさんには、入社試験を受けてもらうわ」

「入社試験?」

「あなたが本物のレティシア・シュトレームなら、簡単なものよ。秘書に案内させるわ。雇用条件と報酬についても説明を」

 了解した秘書がレティシアを連れ、部屋を出ていく。去り際、レティシアはこちらに少し心細そうな視線を向けたので、僕は手を軽く振ってやった。

「それにしても、辺境でほぼ世襲とはいえ、一星系国家の国家元首の経験者とは、面白い人物を連れてきたわね」

 二人きりになった“社長室”。アイリーンは自分の椅子に腰を下ろす。

「そうだろ。あれほどの人材はなかなかいない」

 僕は焦っていた。人身売買のつもりだったのに、アイリーンが正規雇用するとか言い出したからだ。

「彼女ならすぐに、僕があんたに与えた損害などものともしないぐらいに稼ぎ出すぞ」

 アイリーンは僕に呆れたような視線を向けたが、すぐに笑みを浮かべた。

「心配しなくても、あなたの意向は覚えてるわよ」

 ホッとする僕に、彼女は「ただし」と続ける。

「彼女、確かにいい人材だけど、に上乗せしても、あなたの大きすぎる借りを考えれば、相殺には少し足りない」

「まさか。お釣りをもらってもいいぐらいだ」

 彼女はまっすぐ僕に視線を向けると、微かに顔をしかめた。

「相変わらずヒドい男ね」

 僕が? お人好しに過ぎるぐらいに思っているのに?

「せめて、僕にかかってる賞金は取り下げてくれ」

 しかしアイリーンは、あろうことか首を横に振った。不本意そうな表情で口を開く。

「あいにく、あなたに賞金を掛けているのはなの。基本的にはビジネスライクなひとだけど、相変わらずには甘い人でね。娘に恥をかかせた人間は絶対に許さないって言ってるのよ」

「僕の首でもないと納得しなさそうだな」

 アイリーンの父、ブリュー・カルテルのボス。娘に甘いあの男なら、アイリーンがとりなしてくれれば、賞金を取り下げるぐらいしてくれるはずだ。僕の狙いはそれだったのだが。

 ボスの娘はわざとらしく肩をすくめた。

「裏切り者がみそぎを済ませるには、忠誠心を見せる必要があるってことよ」

「なんだ? 足でも舐めろっていうのか?」

 もちろん僕は冗談でそう言ったのだが、彼女はあろうことか、まんざらでもないと言わんばかりに艶かしく微笑んだ。

「そういうのもいいけど」

 僕から言っといてなんだが、それにしてもその返しはキツい。

「僕にできることは運送だけだ。は仕事で補填するよ」

 本当に舐めさせられてはかなわない。だから僕は今度こそ真面目にそう言ったのだが、女帝は面白くなさそうにそっぽを向いた。

「あなたに仕事を頼んで、また荷物を捨てられたらかなわない」

 僕はさすがに慌てる。

 元女王の“代金”では不足する、というのはちょっと想定外ではあったが、僕がここに来た本来の目的は、アイリーンとの関係を改善し、以前のように彼女に“稼げる仕事”を斡旋してもらうためだ。だから彼女の仕事を請け負うのはむしろ望むところだし、彼女が「少し足りない」と言ったのは、このあと僕を都合よく使うための方便だろうと思っていたのだ。

 借りも無くならない、賞金もそのまま、となると、レティシアを生贄に捧げた甲斐がないではないか。

「あっ……あれは仕方なかった。そもそも積荷を偽って申告されてなきゃ、あんなルート使ったりしなかったんだ。僕にだけ責任があるような言われ方をされても――」

 アイリーンは僕の方に顔を向けると、こちらをじっと見つめてくる。黙っていれば美人だが、その冷徹な瞳の持ち主が本気になれば、僕の人生は本当にここでオシマイなのだ。

 思わず口をつぐんでしまった僕だったが、アイリーンは続きを視線で促した。言い訳しても仕方ないと思った僕は、思わず言っていた。

「そういえば、まだちゃんと謝ってなかった……ごめんなさい」

 しばしの沈黙。

 視線を反らしたアイリーンは、程なく下を向き、肩を震わせはじめた。怒らせたのか? と思ったが、ほどなく、それが笑いを堪えているのだ、とわかる。

 しばらく我慢していたようだが、ついには耐えきれなくなった様子で、声を上げて笑いだした。

 文字通りの爆笑に、僕は、彼女がそんなふうに笑うとは思わず、驚かされる。

「そんなに笑わなくても……」

 しばし笑って、ようやく落ち着いた彼女は、目元に浮かんだ涙を拭った。

「ふふふ……いいわ」

 笑いは収まりきっておらず、彼女の言葉の意味が、僕にはすぐにわからない。首を傾げてみせると、彼女はもう一度、言った。

「いいわ。許してあげるって言ってるの」

 言葉の意味を僕の脳が理解するのに、更に数秒を要した。ようやく理解した僕は、間抜けにもこう答えた。

「恐れ入ります」

 アイリーンはまた吹き出した。


「では、あなたのいうとおり、足りない分は仕事で補填してもらおうかしら」

 笑いが収まったアイリーンは、ずいぶん機嫌よくそう言った。まったく、女はわからん。

「それで貸し借りはなし?」

「そういうことにしてあげる」

「賞金の取り下げも?」

「強欲ね」

賞金稼ぎハンターに追われてちゃ、仕事以前の問題だ」

「頼んであげるわ」

「なにをすればいい?」

 アイリーンはすぐには答えず、代わりに机上の、クラシカルなインターホンに手を伸ばした。

「入っていいわよ」

 直後、開いた扉から入ってきた人物を、僕は幽霊でも見るような目で見てしまった。幽霊だと思ったからだ。

「――生きていたのかビクトル。不死身のビクトルに改名したらどうだ?」

 心底驚いていたが、僕はなんでもないようにそう言った。成功したと思う。

 彼が乗った船は、高質量散弾でズタズタになったのだ。あれで生きているとは、さすがに信じられなかった。よく似た別の爬虫類系人間型宇宙人別人……ではなさそうだった。その頬傷は間違いない。

 ビクトル・スクラッチは何も答えず、まっすぐ僕の方へ、足音荒く歩いてくると、その太い右腕で僕の襟首を掴んだ。義手サイバーアームの稼働音と共に、僕の両足が宙に浮く。首が閉まって呼吸ができなくなる。彼の鼻息は興奮して荒く、そのまま僕を絞め殺してもおかしくない手際だった。

「やめなさいビクトル。そんなことをさせるために呼んだのではないわ」

 アイリーンは特に焦った様子もなく、むしろ面倒くさそうに言い、ビクトルは僕を吊り上げたまま、彼女の方に顔を向けた。

「しかしお嬢様――」

「わたしの言うことが聞けないのなら、仕事は別の者に任せます」

 有無を言わせない彼女の言葉に、ビクトルは舌打ちをしたのち、僕を後ろのソファへと突き飛ばした。開放された僕の喉が大量に空気を吸い込み、咳き込む。

「これから一緒に仕事をしてもらうんだから。少しは仲良くしてちょうだい」

 ようやく咳が収まった僕は、ソファに腰掛けた姿勢のまま、ひどい目に合わされた首を撫でながら聞いた。

「コイツと?」

 ビクトルを見上げるが、彼は鼻を鳴らしただけ。どうやらすでに知っていたようだ。

「ちょっと待て! 無理だろ! コイツと二人っきりになったら、その途端に殺されちまう!」

 僕はビクトルを指差して言ったが、憤慨したのはそのビクトルの方だ。

「なに言ってやがる! 俺の方が殺されそうになったんだ! お前に! いきなり! それも二度も!」

 指を二本立てて強調するビクトル。

 いや、まあ、確かに……客観的に見れば、そう、僕がビクトルを殺そうとしたことは複数回あるけど、その逆、ビクトルが僕を殺そうとしたことは……

「いま! 殺そうとしただろ! 僕のこと!」

「当たり前だ! 自分がやったことを考えろ!」

 ビクトルは人差し指で僕を差し、強い調子で言う。

 いや、まあ、確かに、自分を二度も、それも躊躇なく殺そうとした相手と再会したら、殺してしまいたい気持ちになるだろう。よくわかる。

 そういうビクトルを抑えているのは、彼が“お嬢様”と呼んだ人物、アイリーンなのであろうが、それにしたって、ビクトルの自制心の強さには恐れ入る。短気なイメージのトカゲ型宇宙人リザードフォークだが、長いこと賞金稼ぎバウンティハンターなんて危険な商売をしているビクトルは、それには当てはまらない強い精神力の持ち主のようだ。

 こういうことになるから死んでいて欲しかったのに。僕は失敗要因を検討すべく、先だっての“戦闘”を思い出そうとするが……特に落ち度はない。アレで死なないのはありえない。

 ヤツは直前まで、宇宙服も着ずに艦橋にいたではないか。

「彼は監視役よ。心配しなくても、あなたを殺したりはしないわ」

「ホントに?」

 アイリーンの言葉に、僕は疑いの眼差しをビクトルに向ける。

 トカゲ型宇宙人リザードフォークは僕の視線などものともしなかったが、アイリーンが促すと姿勢を正して答えた。

「もちろんです、お嬢様」

 たったいま首を絞められ殺されそうになった僕が抗議の視線を送るが、アイリーンはどこ吹く風。だいたいこいつ、聞いた僕にではなく“お嬢様”に答えやがったんだぞ。

「“前科者”のあなただもの。また荷物を捨てられないよう、見張る人間がいなきゃ」

 さっき許してくれるって言ったじゃん!

 僕はアイリーンとビクトルを交互に見比べ、諦めてため息をついた。

「わかった。それで、なにをするんだ?」

「運送屋にさせるのはもちろん、荷物の運送よ」

 アイリーンがデスクから取り上げたリモコンを操作すると、部屋の照明が落ち、向かいあう僕たち三人のほぼ中央、という位置に、大きくホログラムが浮き上がった。星系図だ。

 銀河系全体が映し出されたそれの一部が、拡大される。サリス星系がある第三渦状腕いて・りゅうこつ腕の中央部より、更に末端部方面。その中で一つの恒星が正面に来て、更に拡大表示。一つの惑星系が表示された。

 僕は反射的に、星系図には付きものの、通称名の表示を探す。が、それらしいものが見つからない。恒星にも、惑星にも、分類番号ナンバーが表示されているだけだ。

「見ての通り、発見されたばかりの恒星系で、チャートにはまだ名前も載っていない。わたしたちはこの恒星ほしを、リエ、と呼んでいる。第三惑星に調査隊がいて、この連中との取り引きが、今回の仕事よ」

「取り引き?」

 アイリーンが説明するあいだにも、ホログラムの焦点は恒星から数えて三番目に近い軌道をめぐる惑星に移り、更に拡大。青い球体がバレーボールぐらいの大きさになったところで、映像は固定される。青は普通であれば豊富な水と大気の存在を示すが、その画像は荒く、複雑な青のグラデーションが渦を巻いているようにみえる。陸地の存在は確認できないが、恒星との距離と水の存在を考えたら、おそらく生命居住可能惑星だろう。

「荷物を運び、代わりに荷物を受け取って帰ってくる。物々交換ね」

 支払いが金銭ではなくブツ、というのはきな臭いが、それにしても。

「密輸屋を使うような仕事か?」

 僕の問いに、アイリーンは口元に笑みを浮かべる。

「理由はいくつかある。まず、この恒星系は現在、銀河連盟に対し新発見申請中だが、惑星を調査してる連中は連盟の正式な許可を受けていない」

 恒星の新発見は地球でも結構な大事だが、銀河文明においてはとてつもない重大事だ。

 地球ではせいぜい、夜空の一つの光に名前を付ける権利を得られる程度のものだが、実際にそこに行ける文明にとっては、現実の領土と資源になり得るのだ。放っておけば軍事力を伴った奪い合いに発展しかねない。そこで新発見の恒星系は、銀河文明ではかなり慎重に扱われる。

 その扱われ方も、銀河のどの部分で見つかったかによって、多少変わる。

 たとえば今回のような、銀河連盟影響圏で発見されたような場合は、発見者はまず、連盟に対し規程の書式で恒星の新発見を報告する。書式には、恒星と主要な惑星の軌道要素その他基本的な情報を記載する必要がある。連盟はこの申請を元に、当該星系が本当に新発見なのか、同時期に同様の申請をした者がいないかも含めて審査し、問題がなければ新発見を認定する。そのあとの取り扱いについては、少々複雑だが、とにかく発見者はその後、この星系に関するあらゆる事象に関わる権利を得られる。移民先を探している難民文明ロストゲイアーに売り飛ばすにしろ、産出する資源を輸出するにしろ、そこに発生する取り引きからマージンを受け取るようにすることだってできる。なにせ恒星系まるまる一つだ。莫大な金銭を得ることが可能だ。そういうわけで、この発見者認定は、銀河文明でも特等クラスの財産とされているのだが――まあ今回の話の本題はそこではない。

 アイリーンはこのリエ星系(仮)が、まだその新発見申請中だ、と言った。申請中とはすなわち、この星系に対して権利を持つものが誰なのか、正式には決まっていない状態だ。そういう時に避けたいのは、この巨大な財産を、第三者が侵害してしまうことだ。そこで連盟法は、新発見申請中の星系への立ち入りを、原則、禁止にしている。

 そういう惑星の無許可調査は、重罪だ。

 とは言っても、現実的に、未開星系への侵入を、監視することなどできない。発見されれば重罪だが、見つかる可能性はかなり低い。魅力的な資源があるとわかれば、先んじて調査してしまおうという不実な輩は、広い銀河にはそこそこいるのだ。

 だから無許可調査までは、ないとは言えない話だし、許容して物資輸送を請け負ってしまう運送屋も、まあまあいるだろう。

 いずれにせよ、これは立派な密輸だ。

「その言い方だと、調査隊の連中は、発見者の一味ではなさそうだな」

「ご明察」

 楽しげなアイリーンとは対象的に、僕は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 トラブルの臭いでいっぱいだ。

「そういうわけで、不測の事態はいくらでも想定できる。そのためにあなたのような経験豊富な密輸屋と、ビクトルのように腕の立つ用心棒を必要としてるわけ」

 用心棒? 見張り役だったはずだけど。

 僕は賞金稼ぎの様子を伺ったが、彼はさも当然とばかりに首肯するだけ。

 しかしまあ、話の通りであれば、基本的には荷物を運ぶだけだ。行き先が法治星系じゃないだけに、密輸に付き物の法執行機関とのトラブルを心配しなくていい。その点は密輸のなかでも楽な部類に入る、と言えるだろう。荷受人は犯罪者だが、調査隊ということであればどちらかといえば科学者グループだろうし、荒くれ者との揉め事に発展する可能性はかなり小さいだろう。

 面倒なことになるとすれば、本来の権利者(予定)との邂逅があった場合だが、まあそのときは、最悪逃げてしまえばいいだけだ。広い宇宙なのだ。そうと決めればどうとでもなるものだ。配送は一度姿を消して、敵に見失わせてから、行えばよい。

「行きの貨物は調査隊向けの支援物資。帰りは、連中が惑星で収集した資源サンプル。楽な仕事よ。これ以上の詳細は惑星の座標も含めて、秘書から連絡させるわ」

 アイリーンはもう面倒くさくなったと言わんばかり。さっさと行けと手を払うように振る。

 ビクトルと僕は思わず目を合わせてしまい、気まずくなって目をそらす。

 それにしても、コイツと仕事? マジかよ。

 ビクトルが部屋を先に出て、僕も続こうとしたところで、いつの間にかすぐそばにやってきていたアイリーンに肩を掴まれる。彼女は反対の手で扉を閉めると、僕の方へ向き直った。

 室内には僕と彼女の二人きり。彼女は僕の肩の辺りを、人差し指で強く押す。伸ばした爪の先が刺さって痛い。

「……なんですか?」

 長身の彼女がこの距離で視線を鋭くすると、かなりの迫力だ。思わず敬語になる。

「ビクトルも荷物に含まれる。彼も必ず連れ帰ること。仕事のもう一つの条件よ」

「必ず?」

 彼女の言葉に、僕は思わず首を傾げる。

 ビクトルは彼女のことを“お嬢様”なんて呼んで慕っているが、当のアイリーンにとっては、ビクトルは配下に数多くいる賞金稼ぎバウンティハンターの一人、便利な小間使いに過ぎないはず。いなくなってもどうということもない相手のはずだ。

「でも、ビクトルがそうさせてくれるかな?」

 トボケていう僕を、彼女は睨みつける。

「アレはわたしの言うとおりにするわ。ビクトルがあなたを後ろから撃つことはないでしょ」

 “アレ”扱いされてることを知ったら、ビクトルはどう思うだろうか。

「そう願いたいね」

「でも、チキンライダー。あなたの行動原理は、お金と自分の身の安全だけ。そうでしょ?」

 決めつけるような言い方には抗議させてもらいたいところだが、しかし彼女の言い様を否定する言葉は、やはり僕の中にはないわけで。僕は肩をすくめるに留める。

「だから、念を押しておかなきゃ。あなた、チャンスがあれば彼を殺すつもりだったでしょ?」

 ことごとく見透かされて、僕は鼻白む。

 ビクトルは僕にとって危険な宇宙人人間だ。僕は彼を直接殺しかけている。それも二度も。ビクトルのことだから、チャンスがあればいつでも仕返ししてやると思っていてもおかしくない。たとえアイリーンに止められていたとしても、仕事が終わればその指示も終わりだ、とか言い出しかねない。

 だから僕にとって最も安全なのは、ビクトルがその指示に縛られているあいだに、ドサクサに紛れて彼を“処理”することだ。宇宙に出てしまえば、事故を偽装することなど造作もない。

 アイリーンはそういう僕の思考を読んで、先手を打って釘を差しているのだ。これだから、知られている相手との仕事はやりにくい。

「だけど、宇宙では事故は起こりえる」

「それを許さない、とわたしは言っているの」

 彼女の指に力が入り、その美しく整えられた爪が僕の肩を抉るようにしてくる。羽毛の二、三本は抜けてそうだ。

「いいこと? わたしの仕事をしたいなら、わたしの荷物を捨てることは、

 僕がこれを皮切りに、また継続的に密輸シゴトを斡旋してもらいたいと考えていることまで、彼女はやはり見透かしているようだ。まあ誤魔化せるとは思ってなかったけど。

 そうでもなければ、危険を犯してまでここまで来たりはしないだろう。

 なんとか頷いた僕に、彼女はその美貌に色っぽい笑みを浮かべて言った。

「わたしの信頼を取り戻したいなら、言うとおりにしなさい。もちろん、肝心の配送についても、ね」


 下部ロウアー接続部に航宙規格スタンダードコンテナを接続し、チキンライダー号は桟橋からドッキングアウト。メインエンジンを噴射して加速、サリススリーの静止軌道から離れる。

『それにしても、ホントにオカシイですよねユウキさんって。カワイイ女の子を追っ払ってレプティリアンのオッサンを乗せるんだから』

 コックピットには僕と、もちろん爬虫類系人間型宇宙人レプティリアンのオッサンこと、ビクトル・スクラッチもいて、カイトの言葉に苦虫を噛み潰したような顔をする。

「おい、なんだこの航法コンピューターは」

「言うな。僕も悩まされてるんだ」

「前のヤツは、愛想はなかったが無口でよかったぜ。ケーシーだったか? なんで変えちまったんだ」

「選択の余地はなかったんだよ」

『そうそう。本当は彼、ボクに感謝しなきゃいけないんですよ』

「ふんっ」

 ビクトルは鼻を鳴らすと、思い出したように口を開いた。

「“カワイイ女の子”って、あのネエちゃんか。いきなり撃ってきた」

「降ろした理由を理解してくれたか」

『わかりませんよ』

「おまえには言ってない」

『ボクに説明してくださいヨ』

「レティシアは密航者だ、金にならん。ビクトルは積荷だ。報酬になる」

「積荷だと?」

「アイリーンはそう言ったぞ」

「アイリーンと呼べ、このニワトリ野郎。まったく、なんでお嬢様もこんなヤツに……」

「ビクトル、僕もひとつ聞いていいか」

「俺はなんの質問もしていないぞ」

「あんた、本当に僕が知っているビクトルか?」

「……あん?」

 僕は彼の席を振り返る。ビクトルはやはり、僕の質問の意図がわからなかったようで、訝しげな顔を見せる。

「あんたの乗っていた船は撃沈した。生きているのが不思議だ」

「ああ、そのことか」

 トカゲ型宇宙人リザードフォークはニヤリと微笑む。

「ありゃあ、おまえのおかげだ」

「……僕の? それはどういう――」

「質問には答えよう。俺は間違いなく俺さ」

「じゃあどうやって」

 ビクトルは手を顔の前で振った。

「そいつは答えられない。特にお前には教えられない」

「――そうかい」

 僕は食い下がることなく、視線を前へと戻す。

 ああいう言い方をするってことは、僕が目の当たりにしている現状、すなわち、死んだと思った男が目の前にいるという状況には、なんらかのネタがあるということだ。それがわかれば十分だ。

超空間跳躍航法ハイパースペースジャンプ実行十秒前。そういえば、秘書サンからのメール、追伸があったの、見ました?』

「いや」

『どうやら早速仕事をさせてもらってるみたいですね』

 僕は否定しただけなのに、カイトはいらない気を利かせて、手元のモニターに追伸とやらを表示してきた。

――お別れもさせてくれないなんて、本当にヒドい男ね。

『本当にヒドイ男』

 カイトの言葉は無視してやったが、僕は無意識に、下クチバシに手を触れてしまっている。

 お別れならしたじゃないか。


 リエ星系内の宙域はとてもだった。恒星を周回する惑星、小惑星を含む天体はとても安定していて、目立ったゴミもない。人工的な存在感を発する物質も、見当たらない。

「さて、荷物の“届け先”はどちらにおいでかな」

 リエ星系第三惑星は生命居住可能領域ハビタブルゾーンにあるが、その様子は、海の青と緑の大地に覆われた典型的な生命居住可能とは、かなり様相が違う。

 全体的に青いのだ。それも海の青さとは違う。様々な青がグラデーションとなって渦を巻いていて、神秘的で美しくもある。濃い大気か、それとも流動性のある別のものか。その下にあるのは地面か、それとも海か。データがないので正しいところはさっぱりわからない。

 第三惑星リエスリーに接近したチキンライダー号は、その周回軌道にいるはずの“調査船”を探す。隠密行動とはいえ、情報によるとかなり大型の宇宙船だったし、そんなものが完全に姿を隠すことなどできない。宙域がクリアなこともあって、それらしいものはすぐに見つかった。

 惑星をおよそ90分ほどで周回する低軌道に、等間隔に配置された四つの衛星。レーダー反応からするとそのうち一つが問題の“調査船”のようだった。

『あとの三つは、通信衛星でしょうね』

 地上と母船との通信を仲介する目的のものだ。母船が惑星の裏側に入ってしまうと、地上からの電波は直接届かなくなってしまうが、順番にそれらの衛星が頭上を横切り、電波を中継してくれるというよくある仕組みだ。

 帰りの荷物が資源サンプルという話だったし、常時通信が必要なら、地表に数日滞在するような調査隊を降ろしているのかもしれない。

 かなり大掛かりな調査隊だ。

『妙ですね。呼び出しに応答がありません』

「暗号が間違ってるんじゃないのか?」

『そんなヘマしません。もらった指示のとおりにやってます』

「続けろ」

 チキンライダー号は、調査船が周回している軌道へと高度を下げていく。

 肉眼で見える距離になっても、調査船との通信は確保できなかった。何かの間違いで、こちらを味方と認識できていないにしても、それならそれでなにかしら動きがあるはずなのに、そういった様子も一切ないのだ。

「まさか船をほっぽって、全員で地上したに降りたってんじゃないだろうな?」

 望遠カメラの映像を眺めていたビクトルがそう言う。僕は口には出さず、まさか、と思う。

 こういうケース、すなわち惑星探査のような状況で、母船に人員を一切残さずに船を離れるなどということは、常識的に言ってあり得ない。母船自体を運用管理する必要があるのももちろんだが、不慮の事態に支援するとか、救援を要請するとか、やれることはいくらでもあるのだ。

 つまり、もし本当に船に人間が誰もいないのなら、それはなにか異常が起こってそうせざるをえなくなった、つまりは事故だ。船に残る役割を高度な人工知能が担うケースもあるが、そのようなモノが船にいるなら、こちらの通信や接近に対し、ノーリアクションとは考えにくいし。

「なにか事故が起きた可能性は高いぞ」

 ビクトルも同じ考えのようだ。

「どっちにしても、確認しないわけにはいかない。船を寄せろ」

 言われなくてももちろんそのつもり。

 チキンライダー号は調査船とのランデブーを目指し、更に接近する。お互いの速度差はほとんどなく、相手が止まって見えさえするが、惑星の周回軌道にいる、すなわち第一宇宙速度を維持しているのだ。惑星の直径からすると、対地速度はおおよそ、時速三万キロメートル弱。わかりやすく地球上での音速で表現するならマッハ25程度。そのような雰囲気など微塵もなく、2つの船は接近していく。

 その間、わずか数メートルというところまで接近する。動きはやはりない。いくつかの窓から船内の様子を覗こうと試みるが、見える範囲では、内部の様子もなにもわからなかった。

 というか、これだけ近づいて無反応、内部にも動きが見られないとなると、これはもう本当に無人なのではないかと思えてくる。

「無人だったら、取り引きどころじゃないぞ」

 僕の言葉に、ビクトルは眉にシワを寄せた顔を向ける。それどころではない、とでも言いたいのか。

「向こうは漂流状態だぞ」

 僕は首を傾げる。

「まあ、見ようによっては」

「見ようによっては? この状況で放ってはおけないだろうが」

 僕が驚いたのは、普段から犯罪行為をものともしない、賞金稼ぎバウンティハンターのビクトルがそのようなことを言ったからだ。確かにこういうケース、漂流船を見つけた場合、航宙法では救助が義務だ。しかしまさかこのトカゲ男に、そのような遵法意識があったとは。

「お嬢様に報告する材料が必要だ。それに相手がいなくても、ブツはあるかもしれない」

 遵法意識ではなかったようだ。

 船を更に近づける。船体を回転させ、相手を頭上に見るような位置へ。ドッキングアームを伸ばし、調査船のハードポイントを確保。アームを折り畳んで、ロック。これで2つの船は、一つの物体となった。調査船の方がチキンライダー号より五倍ほど長く、その船体に貼り付く様はコバンザメのようにも見えるが、こちらのエンジンには十分な余力がある。この巨体を抱えたまま、軌道を変えることも可能だ。

 ドッキングで有線回路が接続され、調査船とデータ通信できるようになった。

『船のシステムは生きてますが、基本情報以外のリクエストには応えてくれません。乗員の有無も不明。一応、船内環境は、大気、室温共に問題なしです。これ以上の情報収集には、操縦室コントロールルームでの直接操作が必要です』

 この船の性質、目的を考えれば、機密保持のためだろう。敵対勢力に拿捕された場合に、簡単に情報を渡したくないというのは、わかる話だ。それでも船が救難モードになっていれば、もっといろいろわかったはずだが。

 僕はビクトルの方を見る。移乗しての調査、となれば、船長である僕が船に残って、彼にやってもらう、というのが常道ということになるわけだが。

 僕の視線を受けて、ビクトルは頷いた。

「心配しなくても、一緒に行ってやるよ」

「えっ……僕も行くのか?」

 僕の返事に、彼は呆れた顔を見せる。

「船の専門家は、おまえの方だろうが。俺だけ行っても、壊す以外のことはできんぞ」

 それもそうだ。すっかり忘れていた。


 双方の船はお互いに、規格品のアンドロジナス・ドッキングシステムを持っているため、接続しての直接移乗ができる。宇宙服を装着しなくていいのは楽ちんだ。

 チキンライダー号のドッキングシステムがあるのは、操縦ブロック後方上部。これを調査船のエアロックと接続すると、その絵面は完全にコバンザメだ。ただし、こちらが取り付いた相手側のエアロックもまた、操縦室から見て上部という位置にあるので、正しくは背中合わせの形と言うべきだ。

 銃を構えたビクトルが先を行き、僕も一応、銃を握って後に続く。

 船内は静かだった。人気ひとけはなく、機械類の低い駆動音の他には、何も聞こえない。ビクトルが通路の先を指差し、僕は頷く。

 マグネットシューズで面を捕らえ地面を蹴り、無重力の通路を流れるように移動していく。広い船内を象徴するかのような、真っ直ぐで長い通路。途中、いくつか扉の前を通過したが、それらが突然開くというようなことはなかった。中が気にならないわけではないが、後回しだ。

 船内には要所に見取り図が貼ってあって、現在地も、目的の操縦室への道順も、すぐにわかった。いくつかの角を曲がって、ほどなく、操縦室の前へと到達する。そこまでのあいだで誰にも出会わず、人がいるような気配もなく、また、争ったような形跡もなかった。

「反乱の類じゃなさそうだな」

 ビクトルのつぶやきを聞きながら、僕は操縦室の扉へと取り付く。

 これがセキュリティなどの理由で開かないということになれば面倒だぞ、と思いつつ開閉パネルに触れると、扉はあっさりと開いた。僕がビクトルを見ると、彼は特に疑問に思った様子もなく、率先して中へと進んでいった。僕も続く。

 操縦室もまた、無人だった。

 いくつかある座席に白骨化した遺体などを期待した僕だったが、そのようなものもなかった。ただし、内部は荒れてこそいなかったが、飲みかけの飲料ボトルやブランケットなど、誰かが使っていた形跡は、あった。

 まるで宇宙人人間だけが忽然と消えてしまったかのような、そういう印象だ。

「おとぎ話の幽霊宇宙船ゴーストシップみたいだな」

 どうやら同じことを考えていたらしい。

 僕はビクトルには応えず、船長席と思しき、一段高い位置の座席に収まる。少々古い設計思想だが、乗務員が多い船にはありがちな配置だ。

 カイトの報告どおり、システムは正常に動作しているようだった。タッチパネルに触れると、アカウント登録がありません、と警告が表示された。

「ダメなのか?」

 警告を見たビクトルが問うて来るが、僕は入力を続けながら答える。

「システムはカスタムされているが、端末は共通品だ。このタイプなら隠しコマンドを知ってる。権限レベルとは関係なしに、音声応答モードにできる」

「ほら、おまえが来て正解だっただろ」

 なんであんたが得意げなんだ。

 コマンド入力終了。警告表示が消える。

 スピーカーから、合成された女の声が響いた。

『音声応答モード起動。こちらは調査船“ヌグネクタ”号、管理コンピューターのウルズラです。ご用件をどうぞ』

 僕は少し考えてから、口を開いた。

「ウルズラ、この船は無人のようだが、乗組員はどうした?」

 答えはすぐにあった。

『あなたの権限レベルでは、船の運航に関わる情報は開示できません』

 僕はビクトルと顔を見合わせる。乗務員について聞いただけでこれとは。

「ウルズラ、この船は漂流状態だ。僕は救助に来た。救助に必要な情報の開示を求む」

『当船に異常はなく、現在は計画通りの航路を運行しております。救助の必要はございません』

 どうやら、管理コンピューターは船の現状を異常なしと判断しているようだ。

「本当に異常がないなら、船の責任者に確認したい。連絡を取ってくれ」

『秘密保持のため、お答えできません』

「これは航宙法に則った要請だ」

 次の返事には、少しだけ間があった。

『お答えできません』

 僕は肉垂あごを撫でて少し考え、質問を変えることにする。

「ウルズラ、僕に開示できる情報の項目をすべて、スクリーンに出してくれ」

 ほとんど待たされずスクリーンに文字列が表示され、僕はそれに目を走らせる。

 役に立ちそうな情報は得られそうになかった。

 参照できるのは、乗員の生命維持に関わる船内の環境情報と、船内見取り図、通路隔壁の状況だけ。それによると、船内環境に異常はなく、また主要な通路とパブリックな区画への行き来は、特に妨げられていないようだった。情報に関しては厳しいが、船内外に警戒する異常があるという認識ではないのだろう。船のドッキングも僕たちの移乗も妨げられなかったところを見ても、船の管理コンピューターが、現状を正常とみなしているというのは、間違いないようだった。

 僕はため息をついてから、傍らで見守っていたビクトルに向き直った。

「こいつから情報を取るのは無理そうだ」

「無理? 隠しコマンドは?」

 僕は首を横に振る。

「セキュリティを回避できるような類のものは知らない。僕ができるのは一般的な操作だけだよ。ウルズラは、現状を正常と認識している。正規の管理者でなければ、操作を受け付けない。普通の宇宙船用管理コンピューターより、ずっと厳しいアクセス管理をしているみたいだ」

「違法な調査船ってんだから、そういうんだろうってのはわかるが、その割にはずいぶんすんなり俺たちを乗せたな?」

「……たぶん、送信した暗号コードは一致していたんだろう。僕たちは正規のゲストと認識されているんだ、きっと」

 僕はスクリーンの隅を指差す。ゲストアカウント、の表示があった。さっきウルズラは、僕には権限がないとは言わず、権限、というような表現をした。知らせられる情報が著しく制限されているのもそういうことだろう。

「システムを破れないのか?」

「僕が? まさか」

「おまえに期待してない。AIにやらせろ」

 僕は耳につけていた通信機に触れる。

「カイト、お友達の説得ハッキングを頼む」

『えー。専門外ニガテなんですよねそういうの』

「やるだけやってみてくれ」

『期待しないでくださいヨ』

「あとは……そうだな、船が異常と認識するような状態に置いてやれば、救難モードになってくれるかも」

「たとえば?」

「外から攻撃するとか」

 僕の言葉に、ビクトルは首を横に振った。

「そういうのは最後の手段だ」

 彼はスクリーンに表示された船内見取り図を見上げる。

「ここから、船内隔壁を操作できるのか?」

「いや……だが主要な隔壁はロックされてない。ロックされてるのは……たぶんプライベートな個室だけだ」

 ビクトルはしばらく見取り図を眺めていたが、

「ここを頼む。もう少し情報を集められないかやってみてくれ。俺は船内を見回ってくる」

 と言った。

「えっ、一人で?」

 驚いたように言ってしまった僕に、ビクトルは苦笑する。

「おまえに背中を任せるほど落ちぶれちゃいないさ」

「まあ……そりゃそうでしょうが」

「なにか手がかりがあるかもしれん。生存者とかな。なにかあったら連絡しろ」

 トカゲ男は自分の耳に付けた通信機を指差すと、そのまま操縦室から出ていく。

 頼まれてしまったが、しかしなにをすればいいものか。僕は途方に暮れる。

 基本的に、僕には船を飛ばすしか脳がないのだ。そもそも宇宙船乗りになったのも、宇宙船の操縦は、多くをコンピューターが支援してくれるという利点があるからだった。原始人同然の僕を宇宙に放り出しても、子守がいるなら安心だ、というわけだ。

 そのコンピューターが支援してくれない船では、僕はまったくの無力だ。もちろん操船技術は習得していて、手動で操船する能力もあるが、管理コンピューターが正常に動作している宇宙船は不正な手動操船を受け付けてくれない。正規の乗組員が一人もいないと思われる状況は、誰がどうみても漂流状態だが、コンピューター自身は、正常な状態だと認識している。そういう状態のこの船は漂流船というよりは幽霊船だが、船としての機能に問題があるわけではなさそうで――そこまで考えて、僕は思いつたことを確認するため、いくつかの操作をする。

 管理コンピューターとは独立した、緊急用の手動操船モードがあるはずだと思いついたのだ。思いつきは正しく、いくつかの物理レバーの操作で、手動モードにできることがわかった。

 実際にそれをやってしまったときに、管理コンピューターがどう反応するかわからない。これもまた最後の手段だ。僕はその手順だけ確認するに留める。

「カイト、そっちはどうだ?」

 僕は無線機に呼びかける。

『そうっすねぇ、なかなか……ユウキさん、管理者権限のパスワードとか知りませんか?』

「知るわけねーだろ」

『船長席にメモとか貼ってません?』

 その手があったか、と僕は顔を上げるが、付箋一つ貼られていない操作パネル周りを見て、まあそんなレベルの低いセキュリティ事故をやらかすわけないよな、と思い直す。

 その時、操縦室の入口扉が開く音が聞こえた。ビクトルが戻ったのか、ずいぶん早いな、と思い振り返った僕だったが、そこに立っていたのはビクトルではなかった。

 そこには、女が一人、立っていた。


 操縦室に入ってきたのは、人間型宇宙人ヒューマノイドの女だった。

 歳は地球人基準で二十歳前後。小柄で、肩にかかるストレートの黒髪と薄化粧、フェミニンな白のフレアワンピースが、清楚な印象を与える。膝丈のスカートから伸びる細く白い足。

 僕は船長席から立ち上がった。

「いままでどこに?」

 彼女は僕の質問に、ニコリと微笑んだ。

「待たせちゃった? ゴメンね」

 僕は顔をしかめる。彼女のやけに馴れ馴れしい話し方もそうだが、彼女、もっと別な違和感がある。

 それがなんなのか、わからない。僕は目を細めて、それを突き止めようとする。

 女の方は、首を傾げた。

「怒ってるの? 怖い顔」

「……元々こういう顔です」

 僕は彼女にゆっくりと近付く。違和感の正体は、距離と光の加減で、よく見えていないせいかもと思ったからだ。彼女はそういう僕に視線を投げかけ、困ったように微笑む。

「それは、待たせたのは悪いなって、思ってるよ?」

 僕は相当怪訝な顔をしていたはずだ。

「それはいいんですけど。っていうかあなた……ホントにこの船のヒト?」

「だけどわたしにも付き合いがあるし……それに、こうやって来たんだよ? ちゃんと」

「……それは助かりますが――付き合いって?」

 他にも生存者がいるということだろうか?

 しかし彼女は、なぜか眉根にしわを寄せた。

「もしかして、怒ってるの? あのこと」

 それからうつむき加減になって、続ける。

「あれは――あれでキヨが怒るのは、わかるけど。でもみんな、悪気はないんだよ。わたしだって――キヨのこと大事に思ってるって、わかってくれてるでしょ?」

 そこで僕は、ようやく、これが会話になっていないことに気がついた。彼女はまるで、僕ではない誰か、何かに向かって話しかけているようではないか。

 僕は思わず背後を見て、周囲を見回す。しかし操縦室内には、僕と彼女のほかには誰もいない。

 次に思いついたのは、これが立体映像の類だということだ。録画された彼女の映像が再生されているだけで、たまたま僕が、ちょっと噛み合いそうな言葉を言ってしまっただけ、とか。そうであればこの映像はきっと天井付近に設置されたホログラム受像機から――そう思い周囲の天井を見てみても、扉の前あたりに表示させられるような位置には、それらしいものはない。

「なに? なにを探してるの?」

 女の声に、驚いた僕は彼女の方を向く。彼女はまっすぐこちらを見ている。どうやら彼女は映像ではなく実体、本物で、僕をちゃんと認識してもいるようだ。

「あなたは何者だ?」

 僕の質問に、女は傷ついたような顔をした。

「ヒドい……どうしてそういうこと言うの?」

 会う女会う女、みんなにヒドいと言われるな……そう思いついた僕は、ようやく女の違和感に気づいた。

 この女、無重力の船内にいるのに、

 それに気づいた瞬間、もっと大きな違和感に気づいた。この女が喋っている言葉は銀河標準語ベーシックではない――地球語、というか、日本語だ。

 なぜ今まで気づかなかったのか――そうと気づけばすんなりと飲み込めた。その顔立ち、ファッション、喋り方……この女、地球人、それも日本人だ。

 東京の街のどこにでもいそうな、そういう女が、遠い銀河の果ての、無人と思われた宇宙船の船内に、いるのだ。

 まるで彼女だけ切り取って、ここに持ってきた、みたいに。

(これはいったい、なんなんだ)

 僕は発声せず頭でそう考えながら、彼女の顔を、よく観察する。

 なぜか、もしかしたら知っている女なのでは、と思ったのだ。しかし記憶にはない。見覚えのない女だ。彼女は僕を目で追っていて、つまりはやはり、僕に向かってしゃべっているのだ。

 僕は少し考えてから、あらためて口を開いた。

「えっと、失礼ですが、どこかで会ったことがありますか?」

 その時は意識して母国語で発声したのだが、さて、僕はいつから日本語でしゃべっていたのだろうか、などと思う。自分がやっていることになぜか自信が持てない。

 女の方は、僕の言葉を聞いて、機嫌を損ねたように頬を膨らませた。

「ふぅん……そういうこと、言うんだ?」

 その態度になぜかイラつかされた僕だが、なんとか落ち着いて次の言葉を口にする。

「悪いけど、全然思い出せないんです――っていうか、あなたの方こそ、僕を知っているとは思えないんですけど?」

 僕の見た目はご存知のとおり、雄鶏星人ニワトリ人間だ。彼女がもし見た目通りのただの日本人なら、僕の姿を見た時に、悲鳴を上げて然るべきだ。彼女はそれをしなかった、つまり、ある程度、銀河生活に順応した、様々な外見の宇宙人がいることに慣れた人間、ということだ。

 宇宙に出て、地球由来の人間に出会ったことは、何度かある。しかし数は少なく、全員をしっかり覚えている。その中に彼女はいなかった。

 知らない女だ。僕にはそういう自信があった。

 目を細めた女は、僕の方に近づいてきた。すぐ目の前、という位置で立ち止まると、自分の肘を抱くように腕を組んで、僕の顔を上目遣いに見上げてくる。

「それ、おもしろくないよ。冗談のつもりなら、やめて」

 仕草に似合わぬ低い声で彼女が言った、その時、操縦室の扉がまた、開いた。反射的に顔を向ける。

 今度こそビクトルだ。彼は僕と、同じように振り返った女を見ると、驚いたように目を見開いたが、ほとんど間を開けずに、抜いた銃を構えていた。

「その女から離れろ!」

 銃口は女の方へ向いていた。僕は反射的に、彼女をかばおうとその前に立ってしまう。

「ビクトル、彼女は――」

「そこをどけ!」

 説明しようとする僕に構わず、ビクトルは大きな声を出した。

「どうしておまえがここに……ここにいるはずがないんだ!」

 ビクトルは明らかに動揺していたが、銃は微動だにさせなかった。その指は引き金にかかっている。レーザーガンは失神スタンモードかもしれないが、冷静さを欠いている彼が切り替えスイッチをちゃんと操作できていると過信するのは危険だと思えた。

「撃つな。彼女は生存者だ」

「生存者? そんなはずはない。この女がこの船にいるはずはないんだ!」

「落ち着け。話は聞かなきゃならない」

「その女はここにいちゃいけないんだ!」

 僕の後ろにいた女が動く気配がして、ビクトルが銃口を動かす。

 会話は成立しなかったしおかしなところもたくさんあったが、しかし女は、この船に唯一残った生存者、手がかりだった。話を聞かずに死なせるわけにはいかなかった。僕はビクトルへと駆け寄り、飛びかかる。ビクトルの腕と銃を握った手を掴む。

「どけ! チキンライダー!」

「彼女は撃たない! 落ち着け!」

「離せ!」

 扉が開く音がして、僕たちが振り向くと、翻ったスカートの裾だけが見えた。

 後を追って廊下に出たときには、女の姿はすでに消えていた。


続く

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