Episode23. 俺は拳を振り上げない


■ ■ ■


 ……あの日の事は、ハッキリと鮮明に覚えている。

 私がいつものように玄関の扉を開けると、そこにはお母さんが立っていて。「どうしたの?」って聞いたら、お母さんは私に言った。


 ───どうして………どうして私よりもッ‼


 その形相いつもの優しい笑顔ではなく、凛とした真剣なものでもなかった。眉間には皺を寄せ、鋭い眼光が私を閃く。頬の引っ掻いた跡、髪は乱れ、手には拳を作っている。

 さらに目に映りこんだのは、お母さんの後ろ───部屋の中。

 端麗に整理されていたリビングはまるで強盗が入ってきたかのように荒れ果てていた。


「お母……さん?」


 そう呼び掛けた直後、私の視界は別の方向を向いていて。頬に迸る激痛に、殴られたのだと理解する。

 誰に? 強盗? 見えない誰か?───そうとぼけることは出来ない。私の前にはお母さんしかいない。……お母さんしか、いない。

 私を殴ったお母さんは締まりかけた玄関の扉を抑え、ぬるりと私に近づいてくる。そして再び拳を振り上げて─────



『アンタなんて……アンタらなんて、産まなきゃ良かったッッ!!!』



「っ……!」


 叩かれたと思ったその刹那、私は目を覚ました。どうやら眠ってしまっていたらしい。

 だが、あの夢は現実に起こったことで、あれがもし本当に夢であったとするならば、どんなに良かっただろう。


「お兄ちゃん……………あの時みたいに、助けてよ」


 そう呟き流す涙を、誰も知ることはなくて。

 光のほとんどないこの牢檻の中、私はゆっくりと瞼を閉ざした。

 現実から、遠ざかるように…………。


■ ■ ■



「───その後、翔吾君が止めに入ってその時はなんとか収まったそうなんですが、それから何度も佑月は殴られたそうです」


 食事もロクに採れず、ストレスで痩せ細り、眠れないのか目の隈は深くなり………けれど彼女は何事もなかったかのように学校で笑っていた事を愛彩は知っている。あの頃の佑月を回顧すると胸が痛い。


「結果的に佑月は自分の傷を隠しきれず学校に見つかり、紗枝さんは警察に捕まりました。両親は離婚し三人で暮らしていたというわけです」

「そうだったんだ………」


 とはいえ、父親は帰ってこない事も多く、実際は殆ど二人で暮らしだった。そのため、くだんの後に佑月が発症したPTSDの介抱も翔吾1人で行っていた。


「そしてその中で共依存という関係が生じ、落ち着いてしまった、と」

「そんな感じですね」


 佑月はどんな恐怖や不安であっても助けてくれる翔吾に依存し、翔吾は親愛なる妹への深憂しんゆうから佑月に依存した。そうした双方向の依存関係を築くことで、彼らは件をある意味で完結させたのである。


「でもじゃあどうして翔吾は『神の射手アルテミス』から『The hand』に、佑月にいたっては『神の機械手デウス・エクス・マキナ』の呼称が消えたの?」

「佑月に関してはあの後、開発関係の一切から手を引いたからですね。……まぁ、今まで書類にも名前の記載はなかったし、そもそも名前が世間にそこまで知られていなかったのでそんなに難しくはなかったかと」


 それでもなお、一部の人たちの間では噂や伝説として今もその功績が語り継がれている。AI暴走を受け、その多くが落命してしまっただろうが。


「翔吾はその……スポーツ射撃のインタビューで言ったんです。“僕は『神』なんかじゃない“って。で、改められて『The hand』と言われるようになったんです」


 そして最後にもう一つ、なぜ『パーThe hand』なのか────それは。


「“俺は拳を振り上げない“………自分の力を、才能を、妹である佑月をただ守るために行使すると、その誓いの印が名前になったそうですよ」

「……そっか」

 『The hand』……その大意を聞いて、メリスは何を口にする訳でもなかった。ただほのかに微笑し、愛彩の使う車椅子の取手を掴む。


「行きましょうか」

「はい」


 そんな簡潔なやり取りを最後に、愛彩たちは訓練エリアを去ったのだった。


***



「それで、愛彩ちゃんはどうするつもりなの?」


 訓練エリアを離れてからしばらくして、メリスは愛彩にそう訊ねた。


「何がですか?」

「ほら、滝沢兄妹の共依存解消の作戦みたいなの」

「……私がすることはありませんよ」

「ふぅん…………ん?」


 愛彩の言葉に少しの引っ掛かりを覚えるメリス。しかしそれが何なのか分からず、頭に疑問符を浮かべていた。


「ところでメリスさん、どこに向かってるんです?」

「え? あぁ、さっき博士に呼ばれたから開発エリアに……って、どうして?」

「あ、いや……まるであの人が私たちの言動を熟知してるかのようにピッタリだなぁ、と」

「?」


 またしても頭に疑問符を浮かべるメリス。愛彩はただ苦悩するメリスの表情に微笑を零した。


「まぁ、行ってみれば分かりますから」


 そう一言口にして、愛彩とメリスの会話には一旦、終止符を打たれたのだった。

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