Episode13. 非常事態と異常事態
サンフランシスコでAIによる襲撃があってから約一時間。
各々少しの休息を与えられ、翔吾と佑月は別室へ、愛彩は部屋の端で静かに座っていた。
未だ話し合いを続けるエレンとアスタリアを覗き込み、その様子を観察する。しかし観察したところでこの状況が改善するわけでもなかった。
「………………〝AIを殺す〟、か」
船の中で愛彩が男に発した言葉を自ら再び口にする。
あの時は優を殺した《カイン》が許せず、憎悪と怨嗟に駆られてそんな言葉が出てきたが、今となってはその言葉を口にする自信はない。………いや、あの時も別に自信があって言ったのではない。ただこの右腕の装置を使って《カイン》を倒せたが故に、勝てる可能性があると、一瞬、信じてしまっていただけのこと。
そして何より、今にも破裂するのではと思わせる程の激痛に、灼けるような熱さ———右腕の装置から流れ込んでくる苦痛が、愛彩に『不可能』の三文字を突き付けていた。
「………っ」
夏の暑さに機械が壊れないようにする為か、少し低めに設定されたエアコンが部屋を冷却する中であるのに、汗が滲み出て止まらない。
一度外してしまおうか———そう思うが、外し方が分からない。
壊してしまおうか———そう思うが、これがAIの倒す手段に成り得るのであれば、破壊しようとなどという考えは全くない。
『———使用において危険性が存在します。ご注意ください』
あの言葉が、不意に脳裏を過る。
なるほど、あれはそういう意味だったのか、と愛彩は身に感じた。
「大丈夫? 疲れてない?」
そんな愛彩を顧慮するかのように、声を掛けてくれたのはメリスだった。
「あ………大丈夫、です」
「そっか。じゃあ、はい」
と、水の入ったペットボトルを手渡してくる。
「一応水分は摂っておいて」
「あ……ありがとう、ございます」
ぎこちない返答をした愛彩に、メリスが微笑を浮かべる。
「何か可笑しい所、ありました?」
「いや、ちょっとね………あ、隣いいかな?」
「あ………どうぞ」
そのままメリスは愛彩の隣に腰を下ろし、愛彩と同じように水を飲み始める。
その様子は艶美で、しかしどこか儚げな印象に愛彩の目が一瞬奪われるも、自分も水を飲まなければとペットボトルの蓋に手を掛けて———
「—————」
「………どうかしたの?」
「あ、いや。………なんでもないです」
そう言うと、愛彩は何事もなかったかのように左手でペットボトルを持つと、不慣れにも水を口へと運ぶ。水は口の少し下を伝い、服を濡らしてしまう。
濡れた服をハンカチで拭くのを横目に、メリスは苦笑を漏らしていた。
「右腕、痛いんでしょ? さっきエレンに言っておいたから、後で外してもらえると思うよ」
「え………いつから気付いてたんですか」
「ついさっき。それまでは多分そうかな、とは思ってたけど、さっきペットボトルを開けてた時に確信したよ」
「そうですか………」
愛彩はどこか安堵したような顔で俯くと、再び水を流し込んだ。
暑さに機械の破損を防止する為に少し低めに設定されたエアコンが部屋全体を冷却しているにも関わらず、愛彩の額からは汗が零れ落ち、その痛みを物語っていて。
「……………………凄いな」
「……ぇ?」
突如、メリスの口から出てきたのは、愛彩に対する純粋な賞賛だった。
「それってどういう———」
「さっき、佑月の様子見に行ったんだ。翔吾君が付いてるけど心配でね」
「………」
「…………佑月、吐いてたよ」
「………」
「飲み物も、口に入れただけで喉を通らず戻しちゃうって。さっきの光景がフラッシュバックしてね」
「………もしかして、試してたんですか?」
「うん………まぁ、結果はわかってたんだけど、一応ね」
だからメリスは水を渡してきたのだ。佑月と同じように、愛彩にも水を飲ませるために。
そして想定通り———愛彩はその水を吐き出すことはなかった、と。
そして。
「—————ねえ。愛彩は怖くないの?」
今までの優しい表情が消え失せ、真剣な眼差しが愛彩へと送られる。
「勿論、怖いですよ。けど私には、優ちゃんを殺された恨みと憎しみ、そして——————」
「けど! だからって…………」
————そんな簡単に恐怖心が捨てられるわけがない、と。
メリスの言いたいことに、無論、愛彩も納得していた。
そんな容易に恐怖心をなくしてしまえるのなら、きっとこの世界はもっと残酷な世界になっていたことだろう。何故なら、自分が死ぬことを恐れず、人が死ぬことを恐れない———言わば恐怖とは、『死』の可能性を告げる警告アラートなのだから。
しかし——————、
「———解らないんです」
愛彩が告げたのは、人間を超越したかのような言葉で。
「今でも良く解らないんですよ、自分の気持ちが」
作り笑いを見せる愛彩のその顔は、どこかぎこちなくて。
「まるで………何人もの自分が混在しているみたいなんです。怒りが、悲しみが、恐怖が、憎しみが、恨みが、殺意が………何十、何百といった自分から芽生える混沌とした感情、『私』一人に集積しているみたいな」
「———!」
———違う、愛彩は恐怖心を失ったのではない。
感情が溢れすぎて、その抑制ができていないだけなのだ。
しかしだったらどうして愛彩はここまで自己を保っていられるのか………。
「だけど………自分の中にいる全ての『私』には、共有してるものがあるんです」
「それって………?」
「———AIを殺すこと。その目的と意志だけは、全ての『私』が共有している唯一の事なんだと思います」
例え本当に幾十、幾百の『愛彩』が存在するとして、その全てが混沌とした感情を持っていたとしても、その行先が一つ———AIへの復讐という目標へと向かっている。
だから、愛彩は『自分』を保っていられていた。
「………………そっか」
その事実に気付かされたメリスは、淡々と言葉を発すると共に少し安堵した様子で微笑した。かと思えば、メリスは愛彩の頭に手を置いて優しく撫で始める。
「ちょ、メリス………さん?」
「………強くて可愛い妹を持った気分だよ」
「………………………正直嬉しいようで嬉しくないです、その表現」
そう言う愛彩であるが、可愛がられ慣れていないのか、顔は紅潮して耳まで真っ赤になっており、その反応をメリスはにやにやと笑う。
「またまたぁ〜、顔真っ赤だよ?」
「………っ!」
流石に耐えきれなくなったのか、そっぽを向いた。
しかしメリスはその真っ赤な耳に囁くように追い撃ちを………しようとしたところで、愛彩が急に立ち上がった。
「あれ、どこ行くの?」
「トイレです」
そう告げると、愛彩は逃げるようにしてその場を離れた。
「流石に少しふざけすぎたかな…………愛彩的にも、状況的にも」
愛彩を弄んだ件に関してはともかく、最悪と言える状況の中、あんなにふざけている場合ではなかった。何せサンフランシスコ襲撃から約一時間が経過したにも関わらず、エレンとアスタリアの議論は未だに続いている。どのように米国を脱出し、オーストラリアへと向かうのか———その方法、時間や経路など、幾度のシュミレーションを重ねながら何十パターンと作り上げている。最初はその話し合いに参加していたが、メリスの話が、横槍を入れるようになってしまう程ヒートアップしだした為、自ら離脱して今に至る。
「まぁ、そういったことは任せちゃった方が楽だからいいんだけど………ん?」
そう一人呟きながら、メリスが一口水を飲むと、不意にもう一本、床に置いてあるペットボトルが目に入る。愛彩に渡したものだ。
「って、あの子ペットボトルに蓋してないじゃない」
しかも中身はほとんど残っている。一口しか付けてないから当然と言えるが。
「全く。蓋は蓋は………………あった」
と、ペットボトルの少し奥に転がっているペットボトルキャップを手に取ろうとして、
「………………?」
床を濡らす液体に触れた。
メリスは初め、愛彩が既に水をこぼしていたのだと思ったが、どうにも違和感が残り、思わずその液体が付着した手を近づけて見てみる。
多少の粘性があり。色もあるようだが、暗くした部屋で色々な物が影となっている部屋の端である為に判別はできないが、何やら鉄の匂いがあって。
「これ、もしかして………………血?」
いや、だとしたらどうして—————————?
その理由を考えるより早く、メリスの足は部屋の出口の方へと向かっていた。
扉が開くと通路に出る。その床にはその血の主がどこへ行ったのか、赤い点が一列に示していた。そしてその先で………愛彩は倒れていたのだった。
「愛彩‼︎ 大丈夫⁉︎ しっかりして!」
すぐに駆け寄り呼び掛けるも返事はなく、赤黒くなった右腕の装置の隙間から、少しずつではあるが血が止まらず流れ続けていた。
「ダメだッ、このままじゃ—————」
ビービービービービービービービービービービービービービービービービ———‼︎
大音量の警告音———またしてもAIに動きがあったのだ。
だが………、と迷う時間はない。
とりあえず愛彩を連れてあの部屋に戻ることが最優先だ。あの部屋であれば応急手当は勿論の事、エレンだってそこにはいるのだ。きっとどうにかなるはずd—————。
そう思った直後、少し大きめの荷物を担いだアスタリアが出てきた。
「急げ、今からここを逃げるぞ! 佑月や翔吾も呼んでこい!」
「りょ、了解! では愛彩の事、よろしくお願いします!」
そう言い残して、メリスはその場を後にした。
アスタリアはメリスから愛彩を受け渡されて、ようやく彼女の状態を理解する。速い心拍数、著しい体温の低下………危険な状態であるとすぐに察知した。
アスタリアは無線を繋げる。相手は車内で待機しているはずのルーカス=マーティンだ。
「ルーカス、今すぐ車を出せ! あと呼吸器と包帯……あぁっ、とりあえずそれ関係の準備を頼む!」
「了解ッ」
キレのある声と共に無線が切れるとすぐに外へと向かう。アスタリアに追随していく形で、後ろからエレンが走ってくる。
「データの完全削除が終わったぞ」
「あぁ。《アストライアー》に爆発の指示は出したか?」
「三〇分後にこの研究所が爆発するように設定させておいた」
「………お前、その手に持ってるものはなんだ?」
と、アスタリアが指差したのは、エレンが手に持っている小さな箱。上部には取手が付いており、まるでアタッシュケースのような外見をしている。
「これは、お前さんらが人工知能に勝つための言わば希望だ。それだけ言っておこう」
「別に構わん。それよりも愛彩だ」
その腕からは未だにぽたり、ぽたりと血が滴り落ちている。
ようやく車が入口前に来たところで、急ぎ愛彩を運び込んだ。
「うわ、その子どうしたんですか⁉︎」
「驚いている暇があれば後ろに電気回せ」
「は、はい!」
ワゴンほどの大きさの車であるが、その後方には黒い鉄のカバーに包まれた謎のスペースが、荷物置きの部分の半分を占めている。
ルーカスが運転席にあるスイッチを押すと、そのカバーは収納されてゆき、そこに一つの空間が生まれた。
「ほう、流石はワシの改造車………治療もできるようにしたのは正解だった」
「うるせえ、いいからお前も手伝え! ていうかこれ、外し方解らん!」
「どれどれ………」
と、エレンが愛彩の右腕を捲り上げると、そこには赤黒く染まった機器が装着されていて。
それを見たエレンが驚愕する。
「…………何故この少女がこの機器を手にしている?」
手慣れたように外しながらエレンはそうアスタリアに問うた。
「なんか恋人が持ってたらしい。そいつは《カイン》によって殺されたがな」
「その愛人の名は———いや、後で聞こう」
と言うと同時、その機器は愛彩の腕から離脱する。
しかしその腕は何とも醜いものになっていた。朱殷色に染まり焼け爛れたような皮膚、膨張したその腕から数カ所に渡り血が皮膚を突き破り、止まる事を知らない。
「出血多量、体温低下! 止血剤はもう射ってある、あとは輸血………血液型は⁉︎」
「知りません!」
「クソッ、なんで誰も知らないんだy——————」
「愛彩さんはAB型です」
「なっ………」
焦り苛立つアスタリアに、平静とした声が届く。
アスタリアが振り返ると、そこには滝沢翔吾が立っていた。その後ろには気分悪そうにした佑月を連れたメリスが、息を切らしてやってくる。
「…………わかった」
と、アスタリアは翔吾の言葉を信頼し、輸血を開始する。
「輸血を始めたところで悪いが、そろそろ出発しないといけない。ルーカスとやら、運転を頼むぞ」
「わかりました! さぁ、全員乗ってください」
全員が乗り込むと、やがて車は出発する。
3DCGで作られたという幻の廃病院を離れ、再び海の方へと戻っていく。
その車内で、メリスは今一番の疑問を投げかけた。
「あの、エレン博士。どうして突然あそこを離れなければならなかったのか尋ねても?」
「………………」
エレンは沈黙した。つい先刻あった事を想起し冷や汗を流して。
やがて嗤って、口にする。
「あれは、異常事態だ………………我が子ながらな」
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