Episode9.失う、ということ
■ ■ ■
戦争。
それは昔に終わったことであり、今では縁遠いものだと思っていた。
もちろん、『終わった』と言っても、それは完全的なものではない。紛争や抗争などはどこかの国で続いている。つまり、〝私たちの周りでは〟という意味で。
歴史の教科書に記載されている、太平洋戦争…………もとい第二次世界対戦と呼ばれるそれは、もう約一〇〇年も前のこと。その敗戦を最後に、日本の戦争記はページを閉じた。
しかし、《カイン》によってその認識は崩壊する。優の言っていた通りならば、《カイン》には『破壊』や『殲滅』、そして『戦争』などという情報が入力されていたらしく、それが原因であのような大騒動が発生した。
そして《カイン》が倒れた今、騒動は終わり、再び平和が戻ってくるはずだった。
…………その、はずだった。
「どういう、こと………?」
思わず耳を疑った。
今確かにアスタリアはその言葉を口にした。嘘偽りのないような真剣な表情で。
そして同じことを、もう一度繰り返す。
「もう一度言おう。奴ら人工知能は人類と戦争し、絶滅させようとしている」
その言葉は、人々の憂愁と慄然に追い討ちを掛けるように脳に響く。溜め込んでいた思いに耐えきれず、静かに涙を落とす者も現れた。絶望した表情で、頭を抱え込む人さえいる。
佑月ちゃんはその事実を受け止めきれず、私の裾をひ弱な力で引っ張り、メリスは顔を落としていた。
そうなって当然だ。人間が人工知能と戦争をして、勝ち目などあるわけがないのだから。
曰く————『死』。
ただそれを意味することに他ならないのだから。
そんな絶望と混沌が感染していく最中————私は胸の内を沸々と湧き上がらせていた。
湧き上がる憤慨が、自分の許容量を凌駕する。
過去にここまでの怒りを覚えたことはない。まるで今までの自分とは違うようにさえ感じた。
思えば、その感覚は今に始まったことじゃない。《カイン》と対峙した時には既にそうだった気がする。
あたかも人格が変わってしまったかのような、もしかしたら別人になってしまったような………そんな感じがする。
「まだ……終わってない」
いつのまにか私はそんなことを吐露していた。その一言に、微かに残留した希望の光を残した眼の数々が私を閃く。
「アスタリアさん………たった一つだけありますよね、打開策」
「………言ってみろ」
思いつくだけで有れば小学生であっても考えつくことだ。
それほど単純であり、しかし困難などとは呼べない程の微々たる可能性。
私たちが唯一生きる可能性。
『希望』と呼べる代物ではないが、死ぬことを拒むのであればやるしかない。
無論、それに危険性があることは承知の上。
非難されるのもまた理解している。
だけど、もうこの方法しかないのだ。
………AIに殺されて死ぬ?
だったら————殺されなければいい。
「私たち人類が、戦争に勝てばいい………………!」
■ ■ ■
アメリカ————カリフォルニア州。
沿岸部から数十キロメートルの地点に巨大な研究所がある。
その一室で一人の男が、並べられた二十四個のモニターを目の前に手を動かしていた。
「こんな事態にもなれば、忙しくなるのも当然だろうな」
画面上に映し出されているのはズラリと並んだ文字、映像や画像、SNSと様々だが、その一つの画面でチェスが素早く動いている。
と、その画面に『you win!!』の文字が表示された頃、一件の通信が入った。
『こちらS01、緊急の要件で応答願います』
「緊急だぁ? こっちも結構忙しいんだがな」
だが、出ないわけにはいかなかった。
緊急………そういった通信や電話、メールは数多く寄せられているが、『S01』と称する人たちの『緊急』は本物だという信頼があったからだ。
「致し方ない……《アストライアー》、通信を許可しろ」
『了解致しました』
男の後方に現れたモニターが部屋を照らす。やがて映し出されたのは二人の軍人らしき服を着た男女の姿。
「あー、あー……メリスちゃん? あれ、電波不良か? お、繋がったっぽいな。あー、こちらS。こっちもなにやら大変らしいが、そっちの方が緊急そうだな。それで、要件は?』
『はい。既にご存知かと思いますが………』
「我が愛しの………いや、AIの暴走の件だな。それで?」
『その件について、急遽調べて欲しいことがあるんです!』
「調べて欲しいこと?」
『実は非人工知能端末を所持している者がいました。そして、その者の携帯端末に破損が見られませんでした。調査していただきたいのは、《カイン》が〝機械に〟ではなく〝人工知能に〟なんらかの影響を与えたと推測し————』
「………まさか、ワシに人工衛星を調べろとでも?」
『はい』
男はまさかそんな調査依頼が来るとは思っておらず、驚嘆する。
人工知能に必要なネットワーク。その中継点とも言える人工衛星は、全ての人工知能と接続することを可能としている。そのため、人工知能を暴走させることも不可能とは言い難い。
もしも彼女らの推測が正しいのであれば、暴走している人工知能………また、その暴走を引き起こした《カイン》の目的も明確なものになるはずだ。
………いや、既に予想は付いている。
「まぁ、とはいえ………人工衛星にハッキングの爪痕が発見されたって苦情は既に来ているんだがな」
『やっぱり………ありがとうございます』
「そんでだ。メリスちゃんの後ろで難しい顔をするな、アデューよ。お前らからは見えてないだろうが、こっちからはそっちの姿は見えとるぞ」
『知っている』
画面に映る仏頂面の男は、淡々とそう言った。
そして————、
『………S。一つだけ質問をする……奴ら、AIの目的は何なんだ?』
「目的、か…………完全汎用人工知能の試験体は二体いた」
『………?』
『S』と呼ばれた男の発言に、画面上の男が眉を顰める。
「その二体におよそ数千数万という思考パターンの蓄積データをランダムで入力する実験を実施……その結果、《カイン》には『破壊』や『殲滅』、あるいは『戦争』等々のデータが、ある意味の奇跡的に揃ってしまった」
そして、その《カイン》が他の人工知能を暴走・破壊させた。
『つまり………』
「ああ。今の段階で言えるのは、奴らの目的が戦争である可能性が高いということだ」
ドン、と強く机を叩く画面上の男。その険相な表情に、思わずSは後方に引いた。
「落ち着け。まずは予定通りに………」
『落ち着いてなどいられるか‼︎』
感情が昂るのも仕方がない。相手は人工知能だ。戦争になど発展すれば人類の勝算はゼロに限りなく近いものになる。
「だが………たった一つだけあるだろう、打開策が」
そう、ある。
たった一つだけの極小な可能性だが。
『しかしそれは………ッ』
「のう、アデュー。まさか不可能などとは言わんだろう?」
『っ……!』
「もうやるしかないんだ、それしか人類が生き残る道はない」
唯一の小さな可能性————その先にしか、もう希望は存在しない。
そして、その可能性とは————
「ワシら人類が生き残る術はただ一つ………AIに戦争で勝利することだ」
***
人工知能に戦争で勝利すること————それがどれ程のことであるかというのは、火を見るよりも明らかで。
しかし愛彩はその最後の可能性を口にする。
当然だが、その意見に賛同する者は誰一人としておらず、再び人々は絶望に顔を染める。
「おい、調子こいてんじゃねえぞ‼︎」
その中で一人、激昂する男が一人。三十代半ばぐらいだろうか、ぐしゃぐしゃになったスーツを着て、整えていたのだろう髪を乱している。先程までアスタリアの話を聞きながら怒りを露にしていた男の一人だ。
男は愛彩の胸ぐらを掴み持ち上げると、左頬を殴打する。
「ぅぐっ⁉︎」
「愛彩さん!」
少し離れたところから聞こえるメリスの声と同時、愛彩は船の壁に背中を強打する。
さらに追随し、再び愛彩の胸ぐらを掴み取った男の目には、薄く涙が浮かんでいた。
「もう一回いってみろよ………打開策? ふざけたこと抜かしてるとぶっ殺すぞ!」
「ふざけたことはっ………」
「一つもねえってか? 俺たちはもうすぐ死ぬんだよ! 人工知能によってな‼︎」
「ぁがぅ………」
胸ぐらを掴まれた愛彩は抵抗出来ず、呼吸が浅くなり意識が朦朧とし始める。
———やばい、このままじゃ……っ!
男は恐らく、本気の力で掴みかかって来ている。無論、一部の例外を除き、男性と女性の力の差は歴然で、女性が男性に力で勝つことはできない。
このまま愛彩が数秒持ち堪えれば、きっとアスタリアやメリスが男を取り押さえるはずだ。だがしかし、男を納得させるにはそうなるわけにはいかない。
「うぐ……ぁあッ‼︎」
愛彩は勢いよく右腕を壁に叩きつける。瞬間、右腕に取り付けられた装置が作動する。
さらにもう一回壁に叩きつけると、『パワー・オン』と告げられる。
「ふ、ぐぐぐがァあぁああ‼︎」
愛彩は右手で男の腕を強く握り潰す。手首の骨を折り、自分の胸ぐらから引き剥がした。
「ぃでえッ」
手首を押さえて一歩下がる男。その隙を見逃すまいと愛彩が拳を大きく後ろに引くと、男の顔面目掛けて拳が走り———男は壁に激突した。
ガラスが割れ、外の音が直に入ってくる。日本列島はもう見えないが、微かに灰色が立ち上っているのが見て取れた。
「………妻と子供が、家にいたんだ」
愛彩が倒れた男に近づくと、男はそんなことを呟いた。
目にため込んでいた涙が落ち、シワの付いたスーツを濡らす。
「今年で結婚六年目でよぉ、子供は気がつけばもう三歳。可愛くて仕方なかった……」
男がため込んでいたことを話し始める。
しかし、男が話すその内容は、全て過去形で。
鼻から流血し、涙を流したぐしゃぐしゃな顔で愛彩を見上げる。
「なぁ、お前………俺の何がわかるってんだよ。で、その大切な人も子供も守れず、一人だけ安全圏に逃げてきた? そんな俺に、生きる価値なんてもうねぇんだよ………」
「————」
「それにどうせ抗ったところで勝てるわけがないだろ。諦めて死んだ方がよっぽどマシだ」
自暴自棄になる男を目の前に、愛彩はただ黙ってその姿を見ていた。
船内の空気がどんよりと重くなる。まるで何ががのしかかっているような感覚である。
「あの、横槍を入れるようで悪いんですけど、少しいいですか?」
その空気を物ともせず、悪い空気を生み出した元凶の男に話しかけるのはメリスだ。
「実はですね、彼女が船に乗り込む少し前、彼女の恋人が彼女の目の前で亡くなったんです」
「……………え?」
思わず男は伏せていた顔を持ち上げる。
「彼女の愛した、大切な人は、《カイン》によって銃殺されました」
「なんで……じゃあ、なんであんなことが言えるんだよ……!」
愛しい人が死んで、何になぜ立ち上がれるのか、と。
その答えを、メリスははっきりと明言した。
「生きるためです」
必死に足掻いてもがき、生きるため。
そして自分と同じような思いを、この先の未来に生きる人たちにさせないために。
かつての戦争の悲劇を、繰り返さないように言い伝えてきたように。
「もう二度と、大切を失わないために。同じ人を生み出さないために……… …」
失う、ということ。
その悲しみを、絶望を、二度と起こさないようにするために………愛彩は唯一の生きる道である、戦うという選択肢を選んだ。
当然、その道は茨の道で、簡単に行くことは出来ない。
だが、もしその先に一縷の希望が見えるのならば、行くしかないのだ。
死んでいった人の分まで生きて、一生懸命に生きて———生き抜くしかない。
「だとしても……どうすればいい? 俺のこの気持ちは! どうすればいいってんだよ‼︎」
「だから決めた…………」
メリスの背後から口を出した愛彩は一歩、一歩と男に近づいた。途端、男はその顔を見るなり顔色が変わる。ネガティブな空気が漂っていた船内には緊迫感が走り、その場にいる全ての視線が愛彩の方へと向かう。
「————私は生きるために、人工知能を〝殺す〟」
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