Episode7.終わりは始まりの鐘を鳴らす

「終わ……ったの?」


 張り詰めていた緊迫感が解け、愛彩の膝が折れる。地面に手を付くと、少しばかり湿っていて、手のひらを返すと、赤黒く汚れていた。


「ぉえ……っ」


 その光景を目にした直後、強く唸った心臓に耐えきれずに嘔吐する。ぐっと胸元を引っ掴み、嗚咽と共に吐き出される一滴の涙がある。悲愴に憤怒を含蓄したその雫は、血塗られた地面に静かに落ちた。


「優ちゃん……優ちゃん…………!」


 愛しいその名前を呼ぶも、彼が愛彩の前に姿を現すことはない。笑うこともなければ、喋りかけてくれることもない。彼はもうどこにもいない。ただあるとすればそれは、座り込む愛彩の近くにない、建物の影に隠れた亡き跡。

 そして…………もう一つ。

 俯く愛彩の目に映った自分の首に掛けられた鍵。愛彩はそれを優しく手に取ると、胸に当てて優しく包み込んだのだった。

 しかし————-、


「立て」


 そんな状況になんら躊躇することなく介入してきたのは一人の男。愛彩はその顔に見覚えがあった。


「あなたは…………」

「話はあとだ、ひとまず船に向かうぞ」


 その男、アスタリア=デュフォードは強引に愛彩の腕を取ると、自分の肩で愛彩を支える。そしてそのまま船の方へと——————


『マダ………だ』

「‼︎」

「⁉︎」


 二人が見やったのはもはや形が残ってはいない建物の一枚壁。その壁もつい先程崩れたのだが、その瓦礫から覗かせたのは真紅の赤い瞳。


「壊れてなかったのかッ」

『ワタしの、役目ハ………ココでおワリだ』

「………どういう、意味だ?」

『そノうち、わカル』


 当然だが、《カイン》には人間における『眼』はあれども、口や鼻といったものはなく、そのため人間のような表情も一切ない。声色もプログラムされた機械音声で、単純に思考が読めるなどということは決してない。………だが、なぜか愛彩は《カイン》が嗤っているように感じたのだ。

 ただ、直感的に。

 そして、その直感は愛彩の脳裏に一つの言葉を蘇らせる。


「——————ジョーカー?」


 それは今日の明朝に送られてきたメールの中にあった言葉だ。本来は『冗談をいう人』や『道化師』などの意味がある。しかし、トランプなどのゲームで使われる『ジョーカー』の多くは〝切り札〟という意味で使われており———、

 …………切り札?

 もしも《カイン》が切り札なのだとしたら?

 相手を圧倒できる最強の力を持つのだとしたら?


『—————さア』


 再び愛彩の体が動き出す。右腕のスイッチを地面に押しつけて押した。

『インパクト・オン』という音声を聞くと同時、左手でアスタリアの手を引っ掴み、思い切りアスタリアの後方へと衝撃波を放つ。体が浮き、愛彩はアスタリアと共に衝撃波の放った方向とは逆に吹き飛ばされる。


『ショータイム』


 刹那、《カイン》は周囲を巻き込んで大爆発を起こした。間一髪のところで爆発を逃れた二人は、燃える炎を目の前に、ぐっと息を呑み込んだ。


「行きますよ!」

「まだ《カイン》の回収がおw……っ!」


 アスタリアを連れてその場から離れようとする愛彩に、アスタリアは留まった。しかしその直後、アスタリアの耳元で小さな破裂が起こる。


「《ネメシス》が壊れた………?」


 しかも唐突に。何が起こったという訳でもなく。


 それを見た愛彩は、ポケットの《アンドロメダ》を取り出す。《アンドロメダ》はぷすぷすと音を立て、やがて跡形もなく小さく爆発した。

 やがてそれに呼応するかのごとく、周辺地域で相次いで煙が上がる。轟音が鳴り響き、町が炎に飲まれていく。


「隊長〜!」


 そんな中、遠くから走ってくる一人の女性の姿があった。


「どうした⁉︎」

「報告します! 船内全ての人の携帯機器が一斉に壊れ、船の人工知能運転システムも暴走しました!」

「なんだと? 対処はどうした⁉︎」

「船内にいた男性が人工知能システムを完全に破壊し、今は安定しています」

「わかった、運転は私がする。急いでここから離れるぞ!」


 と、アスタリアは愛彩を置いて一人でに船の方へと向かった。残った女性は、愛彩の手を取り、「大丈夫?」と声をかける。


「話は後でね。とりあえず今はここから」


 と、先程の男とは違い、優しく笑いかけたのだった。


***


 女性に連れられるがままに船の方へと走った。やがて船の近くまで行くと、止まっているその近くに白い布の被さった何がが置いてある。それが何が、愛彩には見ずとも理解できた。


「優ちゃん!」


 八木優。その屍。亡き骸。

 愛彩はその横で座りこむと、はみ出た手を優しく握った。

 しかしその手は冷たく、まるで氷でも触っているかのようだった。

 その感触に本当に死んでしまったのだと改めて理解すると、思わず涙がこぼれそうになった。しかし、その涙を目に溜め込んだ。

 そして、胸のうちから溢れ返るほどの感情を抑圧し、笑った。


「私、生きるよ。何があっても、どんなに辛くても。苦しくても」


 優の生きたかもしれない分まで。


「だから——————」



 ——————どうか、見守ってて。


 その手をゆっくりと放し、急いで船に乗り込んだ。近くで大きな爆発があったのを確認したからか、船は急旋回する。岸はすぐに見えなくなっていき、優の姿も次第に見えなくなる。

 やがて見えなくなったその場所から轟々と燃える炎が見えた。

 愛彩はしばらく、その炎を離れゆく場所から遠く眺めていた。

 火事を知らせる鐘は、未だ騒々しく聞こえてくる。

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