花の名-6

 それからの半年、三人は祈るように幸せな日々を過ごした。一日中彼女の傍で過ごすエリンと比べ、夫の自分が傍に居られないのは不公平だと、ゲオルグは彼女の寝室に仕事を持って来る日も多かった。

 秋が終わり、冬が来た。四人でははじめての、エリンとゲオルグの誕生日も祝ったし、新年には珍しく雪が降って、彼女のために張り切ってバルコニーに雪像を作ったゲオルグが風邪をひいた。

 穏やかな、永遠のような日々は過ぎ去り――そして、やがて、その日が来たのだった。







 六一七年、二月二十二日、深夜。

 知らせを待つ大公ゲオルグの元に、皇女無事誕生の知らせと共に、皇帝危篤の報が届けられた。

 出産後、麻酔が切れた後もしばらく目が覚めず、そして、大きな仕事をかろうじて終えた弱い体には、もはや命を繋ぎ止める力は残されていなかった。

――願いは、届かなかったのだ。

「アーシュラ! アーシュラ! 聞こえる? ねぇ――」

 ようやく意識が戻った時、彼女の残されていた片目は既に、この世の光を見ることが無くなっていた。

「……聞こえているわ。ゲオルグ、そこにいるのね」

 部屋を暖かくしているのに、彼の頭に優しく触れる彼女の手が冷たい。

「マーゴットは……?」

「隣にいるよ」

「寝て……る?」

「ううん、静かなだけ。いい子にしてるよ、ミルクも飲んだし……」

「そう……かわいいでしょう……?」

「ああ、もう、信じられないくらいの美人だよ。君にそっくりだ」

「まぁ……ふふ、親ばかね」

 皇女マーゴットは、虚弱なアーシュラの体を苗床に育ったとは思えないほどに健康に生まれてきた。

「でも、良かった……」

 死にゆく体で、アーシュラは姿の見えない我が子をぎこちなくあやす。そして、この上なく満足そうに言ったのだった。

「ゲオルグと……エリンをよろしくね、マーゴット」

「陛下……、何を……!」

 息を呑むゲオルグの代わりに、エリンが口を開く。滅多なことを言わないで欲しいと――言いたかったけれど、もう、言えない。

 アーシュラは、親しい声にホッとしたように手を伸ばす。自らの手の重ささえ支えきれず震える手を、エリンは慌てて掴んだ。

「お前もよ、エリン」

 白い唇が、彼を呼ぶ。

 もう聞けなくなる声で、最後の命を紡ぐ。

「この子を守って。お前が老いて死ぬまで」

 そして、その後まもなく、アーシュラは息を引き取り、その短く儚い一生に幕を下ろしたのだった。

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