花の名-4

「お願いだよ! アーシュラ!!」

「……そうです、陛下。どうかお聞き分け下さい」

 枕元でゲオルグとエリンが珍しく口を揃える。二人の顔を代わる代わる見て、アーシュラはくすくすと笑う。

「二人とも、心配のしすぎだわ」

 青白い顔をして、かれこれ何日も寝込んだままのアーシュラは、しかし、上機嫌だった。

「ここのところ体調が良くないのは、きっとつわりだったのよ」

「そ、そうかもしれないけど、ね……」

「……そんなわけが無いでしょう、馬鹿なことを仰らないで下さい!」

 二人は出産に反対していた。もちろん、子供を授かったことは喜ばしい。けれどあまりに彼女の具合が悪すぎるのだ。医者も、現状のままでは妊娠を継続して母子ともに無事で居られる可能性は低いと言う。それなのに。

「大丈夫よ」

 こんなことを容易く言うのだ。

 主治医から子供を腹に宿したことを伝えられた時、アーシュラはさほど喜ぶような様子は見せなかった。だから主治医も安堵して、今の体調を考慮すると、出産に命の危険を伴う可能性があることを充分説明した上で、今回の出産を見送ることも検討したほうが良いのではないか、と打診した。

 アーシュラは黙ってそれを聞いて、そして翌日ゲオルグとエリンに、出産をすることにしたと、あっさり宣言したのだった。


「エリンから何とか言ってよ……」

「……既に申し上げております」

「彼女、ああ言い始めたら聞かないよ?」

「ええ……」

 少し話をしてすぐに眠ってしまった皇帝を置いて、ゲオルグとエリンは二人で廊下に出て、顔を突き合わせて息をつく。今まで、ほとんどアーシュラ抜きで話をする機会の無かった二人であるが、彼女の懐妊を知った後からは、こうして二人で頭を悩ませることが多くなっていた。

 ゲオルグも、そしてエリンも、彼女の希望は叶えてやりたいのだ。

 けれど、危険の方が大きいとなれば話は違う。今回限りと決まった話ではないのだ。出産はまた体調の良い時期を見計らって挑戦すれば良いのではないか。

 アーシュラがエウロ皇帝であるという事実を抜きにしても、やはり、大切な彼女の体より、まだ見ぬ子供を優先する気分にはとてもなれなかった。

「っていうかアーシュラ、最近様子もおかしい気がする……」

 ゲオルグは心配そうに俯いた。別に、新婚早々夫婦仲がうまくいかないわけではない。むしろ、以前以上に睦まじく過ごしてはいるのだ。

「……そうですね」

 エリンもそう言うしか無かった。

 確かに、彼女は変わった。どのように変化したかを言葉で説明するのは少し難しいけれど、確実にいえることは、さらに強くなったということだ。泣き言を言わなくなって、我が儘も言わなくなって、癇癪も起こさなくなった。以前より、もっと優しくなった。祖父が殺されたからか、弟に憎まれたからか、子供を宿したからか。それら全部がきっかけのような気もするし、そうではないと言われても不思議には思わない。

 彼女の#一部__・__#であるエリンにはわかる。アーシュラの心のなかには、エリンにも、誰にも、決して手を触れることの出来ない孤独な芯がある。

 それはきっと、幼い頃から彼女の体が彼女自身に与え続けた苦痛が育てたものだ。半身であるはずのエリンさえ、彼女の痛みを身代わりに受けることは出来ない。痛みはいつも、彼女に孤独を押し付ける。

 痛くて、苦しくて、眠りたくても眠れないような夜、アーシュラはひとりきりでそれに向き合って、そして、ひとりで先に色々なことを知ってしまう。

 ――そんな時エリンは、彼女に置いて行かれるような気がして、いつも心細く思うのだ。

 

 彼女が臥せりがちとなったせいで、ゲオルグは皇帝の補佐役として、執務の代行をいきなり担当することになり、とても忙しかった。そんな中で、彼女の気分の良い時を見計らっては出産を諦めろと説得するのは気持ちの参ることだ。

 けれど、アーシュラは二人が同じことを何度繰り返しても、少しも怒らない。笑う元気のある日はニコニコ笑って、そうでない日でも穏やかな顔で、説得を受け入れることは頑として無かったけれど。


 二人の努力が実を結ばないまま、彼女の腹の命は順調に育っていった。そして、アーシュラは胎児に命を与えるように、目に見えて衰えていく。見知らぬ生き物に内側から食われるように痩せ細っていく妻の姿に、日が経つにつれ、ゲオルグは恐怖を抱くようになっていた。


「……エリン、僕はやっぱり、彼女に出産をさせるべきじゃないと思う」

 ある夜、彼女を見舞った後、ゲオルグは怖い顔で言った。

「このままでは本当に死んでしまうよ」

 彼女の承諾無しに妊娠を終わらせることは出来ない。けれど――父であり、夫であるゲオルグだけは、アーシュラの命を救うという名目で、彼女の意志を無視することができる。

「大公殿下……」

 エリンは何も言えなかった。何も言う資格が無いからだ。けれど、彼女の希望と命を天秤にかけるなら、迷わず命をとる。

 ――生きていてくれないと駄目だ。

「……罪の半分は、私に」

 エリンの言葉に、思いつめた様子のゲオルグは少し笑う。

「ありがとう。最初からそのつもり」

 そして、緊張した表情に戻って言った。

「――共犯者になろう。彼女のために」


 子が育ちすぎるほどに、あらゆる危険は大きくなる。ゲオルグはその夜のうちに主治医と打ち合わせをして、彼女を裏切る手筈を整えた。

 彼女を自然に眠らせて、そのまま子を殺してしまうことにしたのだ。昏睡状態のうちに状況が悪くなり、やむを得ず胎児の命を諦めたのだという説明は、彼女の具合から鑑みても充分言い訳として通るものだ。

 その罪さえ引き受けてしまえば、今彼女が子のために絶っている薬も使えるようになるし、後は――あらゆる手段を講じて、彼女の健康を取り戻せばいい。

 そうすれば、またいつか、子供を授かる機会もあるかもしれない。いや、たとえその機会が永遠に来ないとしても、彼女が命を落とすよりは良いのだから。

 秋が訪れていた。

 もうじきに、彼女の二十一回目の誕生日がやって来る。

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