4:天泣、空の蒼さを知る
あれは、確か春だった。
そうだ、下界の魔法使いが新しく任務を受けられるようギルドのシステムを調整しているときだ。
新シーズン到来に向けて仕事が詰まっていて、イラついていたのを覚えている。
***
「マナ、時間あるか?」
サユナと一緒に執務室で書類と格闘しているとき、珍しくレンジュの皇帝が来た。しかも、アポなしで。
最後に来たのはいつか。思い出そうとしたが、それは叶わず。そのくらい、レンジュの皇帝はここにこない。
この後のスケジュールが詰まっていることもあり、
「……なんだ、来るなら連絡くらいしろ」
と、少し苛立った声を出すマナ。
と言っても、「予定」はサユナとベッドの上で話すこと。特に大事な用でもないが、それでもスキンシップは魔力回復に繋がるので貴重な時間であることには変わらない。
「悪いな。時間がなくての」
「……サユナ、外に出ててくれ」
皇帝の表情がいつもと違うことに気づき、すぐにサユナを外させる。
「わかったよ。サキと進めておく」
彼はそれに従い、書類をいくつか手に持つとマナにキスを落としてそのまま執務室を出て行った。
ガチャンとドアの閉まる音がすると、皇帝がミツネの姿に素早く変わる。マナも、ミツネが皇帝の格好をしていることを知っていた。
「……何があった」
「死期が近い。力を貸して欲しい」
ミツネの真剣な表情に、マナは嘘でないことを悟った。
マナは、彼女がレンジュ皇帝に引き継がれている「時間軸移動」の魔法を所持しているのも知っている。
それは、過去も未来も見渡せる最強と言われているもの。魔力の消費が激しい分、その威力は高い。大国レンジュにふさわしい魔法と関心している。
「何が起きるんだ」
「……話せない。話したら、未来が変わってしまう」
「……そういうものなのか。では、私は何をすればよい?」
数年前まで、ザンカンとレンジュは冷戦状態だった。
理由はわからないが、マナが皇帝の居場所をぶん取ったときにはすでにそうなっていた。だが、特に不便を感じていなかったためレンジュとの交易は断ち切ったままでいたのだ。
そんな関係性が続いたある日、突然「ななみ」が来た。
彼女は、執事と名乗る男性と一緒に丸腰の状態で国境を超え、まっすぐにマナの元へ来た。
彼女は、マナが風音一族であること、血族技が何なのかも知っていた。だからこそ、自身のことを「ななみ」と名乗ったのだろう。
「話が早くていつも助かるよ」
「大抵のことは驚かないさ」
そして、彼女は翡翠石の力を披露してきた。あの時以上の衝撃を、マナは知らない。それほど、強烈なものを見せられた。レンジュとザンカンの未来が変わるほどのものを。
それから、彼女はザンカンに通いサキやサユナと交流を持ち、執務を手伝ってくれるようになった。この辺りから、レンジュとザンカンの交流が始まった気がする。
2人は何を言うまでもなく、自然とティーテーブルに向かい合わせで座った。
「そうか。じゃあ、これからの話をしようか」
「ああ、手短に頼む。この後、サユナに抱かれないといけない」
「ふっ……そういうはっきりとしたところが気に入ってるよ」
「光栄だよ」
マナのはっきりとした物言いは、煙たがれることが多い。
特に、女皇帝ということもあり、他の政治家や役職が黙っていない。身体でのし上がった淫乱な皇帝だと何度罵られたことか。
だが、マナは「本当のことだ」とあしらうだけ。何なら、「お前もどうだ?」と誘うのでその場で非難していた人々が怖気付いてしまうほど。その精神の図太さが、今の地位を築いていると言っても過言ではないだろう。
「早速だが、私の時間軸移動をしばらく預かってくれ」
「……彩華姫は?」
「20歳まで待てそうにない。先にマナに預かっていて欲しい」
「わかった。すぐやるか?」
「ははは、そう来たか!それはもう少し待ってくれ。今お願いしたいのは……」
マナの回答に笑うと、ミツネは懐から一枚の用紙を出す。
「……」
そこに書かれているのは、レンジュで保管されている禁断書のリスト。危険度の高いものほど、上に名前が書かれている。
一番上に載っている禁断書は、「玉」。翡翠の別名だ。
マナは、それを受け取って一通り目を通す。
「おいおい、他国に見せて良いものじゃないぞ」
「……承知だよ」
「……お前、まさかレンジュを統合させようとしているのか?」
「そのまさかだね。何、彩華が20歳になるまでさ」
国同士を統合する話は、さほど珍しいものではない。
つい先日も、ザンカンの隣国であるペキラ国とガラヅキ国が3年の期間付きで統合していた。その理由は、交易や交流などが主。国の財産が暴落すると、同じような国を見つけて交渉をし統合が決まる。なので、経済が回復すれば統合を解消することも可能というなんとも軽い掟だ。
国の名前が変わるだけで、さほど生活に影響しないため、国民も特に気にしない。
「……ナノはどうする」
「うーん、好青年なんだけどな。なんだかユキ……おっと、ななみが乗り気じゃなくてな」
そう言って、机に肘をつく。ミツネの失言に、
「ふ、ななみな」
マナが含みを持たせた顔で笑う。
「失礼。疲れてるのかな」
というミツネの顔は、そこまで失言とは思っていない。
「少し休暇を取ると良い。アリスやルナがいれば大丈夫だろう」
「うーん、彩華とこの姿で旅行したいなあ」
「……」
それが叶わないことを知っているマナは、黙ってミツネを見るだけにとどめる。
彼女の事情は、知っていた。だからこそ、ここで同情してもどうしようもないことを理解しているのだ。
「そろそろ本題に行こうか」
「ああ、そうだな。サユナが待ちきれず他のやつを誘惑しに行くかもしれない」
と、真面目くさった顔してふざけたことを言うマナ。
少しでも、この場を明るくしたいという思いからか。
「あいつはマナにゾッコンだよ、大丈夫」
「まあな」
「ははは!マナは面白いな。……とりあえず、レンジュの禁断書を一時期ザンカンに避難させたい」
「……それは、私に拒否権があるような言い方だがどうだ?」
「ああ。断っても良いよ、発動されてもザンカンに影響はない。ただ、レンジュが焼け野原になるだけだ」
手に持っているリストに書かれている名前のほとんどを、マナは知っている。発動されるとどんなことが起きるのか、どの程度の規模に影響があるのか、身を持って知っている。
「なんだ、拒否権ないじゃないか。隣が焼け野原になるのは勘弁してくれ、受け取るよ」
「さすが、ザンカンの皇帝」
と、小馬鹿にしたように拍手を送るミツネ。
わかってやっている感がすごい。
「おい、受け取らないぞ!」
「あー、嘘嘘。この通り」
両手を顔の前で合わせ、親友の怒りを鎮めようとするミツネ。
それがなんだかおかしくて、2人同時に笑った。
「……黒世が来るのか?」
ひとしきり笑うと、2人の肩の力が抜けたようで椅子の背に背中を預けた格好で世間話のような気軽さで話し始める。
「さあ、どうだろうね」
「来るなら先に教えろ。口外しなきゃ、未来は変わらないだろ」
「そう言う単純な話じゃないんだよ」
「うーん、わからん!」
「ははは、時が来たら話すよ」
頭を抱えるマナに笑いながら、そう言った。マナは、それを聞いてひと睨み。
ただ、それは彼女に効果はない。
「あと、これ。レンジュにいる信用できるメンバーをリスト化してある」
「……くれるのはありがたいが、私は自分の目で見て判断したい」
「わかってるさ。そのためのリストだ」
「……敵わないよ」
彼女の手には、2枚の紙があった。そこには、人の名前と所属場所がびっしりと書かれている。これを、1人ひとり当たらないといけないのか。
マナは、その人の多さにため息をつくも、それだけ信頼できる人が彼女の中で多くいたことが嬉しい。だからこそ、聞かないといけない質問があった。
「それよりも……」
急に真剣な表情になったマナ。
「……今、ミツネのことを知っているのは誰だ」
ミツネは、黒世で死んだ。そう、世間的にはなっている。
この手に持っているリストの中に書かれた人たちも、きっと知らない事実だろう。
「宮、アリス、千秋、ななみだな。管理部メンバーくらいにしか話してないよ」
「……娘にはいつ話すんだ」
「話す気は無い」
「……なぜ」
「聞かなくてもわかるだろう。私もそんな話をしにここに来たわけじゃ無い」
少し強い口調に、マナがたじろいだ。
その独特な雰囲気は、獰猛な獣を前にしているような緊張感を醸し出す。
「はいはい、悪かった。首は突っ込まないよ」
「そうしてくれるとありがたい。その代わり、ななみを好きに使って良いよ。あいつは何でもできる」
「ああ、ななみはちょくちょく貸してくれ。色々やってほしい仕事がある」
「伝えておくよ」
そう言うと、ミツネが立ち上がり
「マナ、魔力を持たないやつに魔力を宿らせる方法を知っているか」
と、淡々とした声で聞いてくる。
「……まさか」
「ははは。真田雫との約束をな、果たすだけじゃ勿体無いからどうせならと思って」
「……私にそれを頼むのか?」
「いや?もっと適任がいる」
「…………」
マナは、彼女の言わんとすることを理解し、顔を歪めた。
これほど、残酷なことを目の前の女がやってのけられるのか。
いや、彼女なら平気でするだろう。大国レンジュを騙し続ける、彼女なら。
「……お前はどこまでも冷酷だな」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「嫌われても知らないぞ」
「あはは、そうなってくれればどれだけ楽か。あいつは、1度信じればどんなに裏切られてもついてくる」
そのミツネの表情に、流石のマナも吐き気を覚える。今、目の前にいるのは人の皮を被った鬼なのか。
だが、大国レンジュをひっぱっていくにはその冷酷さがないと難しいのだろう。それも理解しているから何も言えない。
「……次はゆっくりお茶でも出そう」
と、言うのが精一杯だった。
「甘いものは身体に良くない。できれば、アルコールで乾杯しよう」
「飲みたいだけだろう。そっちの方が身体に悪いよ」
「はは、酒豪のマナが言うんだから間違いないな」
そう言うと、パチパチと音を立ててミツネが皇帝に身体変化した。
彼女は、この姿でレンジュを守っている。国民の誰もが、ミツネだと思わないだろう。
その現実は、後々ミツネの首を絞める。もちろん、それを知っている管理部メンバーも……。
「帰りは大丈夫か?サキを貸すぞ?」
「大丈夫。ユウトくんとそこまで来たんだ。帰りもお願いしている」
と言って、外を指差すミツネ……いや、レンジュ皇帝。
マナが窓を覗くと、そこにはガスマスクをした青年が背筋を伸ばして立っていた。
「ユウト……?ああ、時雨の息子か」
「ますますマナに似てきたよ」
「じゃあかなり偏差値の高い顔だな。今度連れてきてくれ」
「やだよ。大事な国民をこんな猛獣の前に差し出すわけないさ」
「大丈夫、全身可愛がってやるさ」
「ははは、お手柔らかにな。じゃあ、サユナとサキによろしく」
ひとしきり笑うと、返事を待たずに皇帝は、瞬間移動魔法によって消えた。
「……」
少し風の立った場所を見つめ、マナは机の上に置かれた用紙に目を移す。そこには、黒世で盗まれた真田の禁断書もキメラの禁断書も書かれていた。今は、レンジュに帰ってきていると聞いてはいたが、その文字を見て再度安堵する。
もともと、ミツネがレンジュ皇帝の姿をしている理由の半分はマナにある。
ちょうどその時期に皇帝の座に腰を下ろしたので、色々荒れていたのだ。「女皇帝」がいかに舐められるのか、それをミツネは嫌という程わかっていた。それなら、自分が皇帝の姿になって執務を全うしようと思っても不思議ではない。
本人が語らないので、本当のところはわからない。が、そのこともありマナは少し責任を感じてこうやってミツネに付き合っている。
逆らうことなんてできない。
「……時が来たら話す、か」
その時が来ないことは、知っていた。決して長くはないが、ミツネとは深い付き合いだ。小さな表情も見逃せるわけがない。
マナは、ため息をつきながら用紙をたたんでポケットに入れると、そのまま執務室を後にした。
***
***
中庭にある桜の木に背中を預けて、ユキは夜空を見ていた。
ここからでも、はっきりとわかるくらい眩い星が点々と輝いている。冬の寒さによって空気が澄んでいるからなのかもしれない。
「……早いね」
向こうから来たマナに、声をかける。彼女は、一歩一歩ゆっくり踏み込みながらユキに近づいてきた。
「アリスとルナがよくやってくれるからな」
「……ありがとう」
「お前は子どもらしくいればいいさ」
そう言って、マナは腕を広げてユキを誘った。
「お願いします」
ユキは、その広げた腕の中へと身体を預ける。
「まだ慣れてないから正確じゃないぞ」
「初回だから大丈夫。こっちでコントロールするつもり」
「それは頼もしい」
「次からは付き合ってもらわないでもできるようになるよ」
「そんなもんなのか……」
マナは、ユキを抱きしめながら木の下に座り込んだ。そして……。
「……時間軸移動、展開」
と、小さな、だがはっきりとした声で呪文を唱えた。
「過去へ……」
マナの腕に、力が入る。
それと同時に、ユキの身体が光り出した。こてん、とユキの身体の力が全て抜け、全体重がマナの方へと移る。
「……行ってらっしゃい」
眠っているような彼女を見ながら、そう呟く。
そして、ユキの頭を自分の膝に乗せるよう体制を変えると、桜の木を見上げた。
そこには、幻術でできている花びらが舞っていた。風もないのに、そよそよとそれは左右に揺れる。そして、地面につくと跡形もなく消えていく……。
ここまで正確な幻術も珍しい。この術をかけたユキがどこに移動しようがこの桜だけは形を変えない、ということをレンジュの皇帝……ミツネから聞かされていた。
「……っ」
桜を見ていると、マナの頭に痛みが走る。
「……やはり、相性は良くないな」
元々、時間軸を止める魔法を受け継いでいる。それにプラスしてレンジュ皇帝に引き継がれるはずの時間軸の移動も預かっているのだ。
彼女の身体の負担は、想像に容易い。穏やかな顔をして眠っているユキを見ながら、ひたすら頭痛と戦う。
マナの膝上で眠っているユキは、今までと変わらず過去に囚われている……。
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