06:管理部vsナイトメア

1:囲い船は、次の出番を待つ①




 ピカピカに磨かれた廊下。その途中途中には、張り替えたばかりの障子が並んでいる。埃一つない……いや、許されない空間は、人が住んでいないような印象を与えてくるほど冷たいものだった。


 ここは、ゆり恵の家。

 演舞一族である彼女の住まいは、「家」と言うより「屋敷」に近い。いや、屋敷そのものだ。

 立派な佇まいなため、彼女は家に友達を呼ぶのが恥ずかしいらしい。いくら両親が勧めても、親しい人以外絶対に家へ案内しなかった。まことと早苗は何度かここを訪れ庭で魔法の練習をさせてもらっていたが、それ以外の人は数えるほどしか訪れたことがない。


 その空間は、住まいと言うよりも「伝統を引き継いでいる」という意識を極限にまで高めてくれる場所と言った方が正しい。しかし、中に住んでいる人たちは温かい心の持ち主ばかりだった。


「お母さん、お稽古終わった」


 稽古を終えてまだ少し上がっている息を整えながら、ゆり恵は台所に立っていた母親に声をかける。暖簾を押し上げて台所へと入ると、トントンと規律の良い包丁の音が心地よく耳に届いてきた。


「あら、ゆり恵。お疲れ様」


 桜田千代。それが、母親の名前だった。10代でゆり恵を産んでるとこもあり、見た目もかなり若い。いつも身だしなみに気を使っているためか、年齢よりもさらに若く見られやすい。……なんてことを言えば、本人が調子に乗るだろう。そのくらい、性格は明るい。

 千代は、我が子の姿を見ると流れる作業のように冷蔵庫から麦茶を取り出す。


「氷は?」

「1個」


 ゆり恵は、千代からコップをもらうと中身を一気飲みした。火照った身体に、麦茶が染み渡る。

 少々冷たすぎたのかキーンと頭に響いたが、これがまた良いのだ。一瞬だけ眉間にシワを寄せて目を閉じるも長く続くものではない。


「ありがとう」

「お腹壊すよ」


 その姿に笑うと、千代はまた夕飯の支度に戻っていく。割烹着姿の彼女は、家族の料理も作ってくれるのだ。それがまた絶品で、ゆり恵も、父親も「料理をしよう」という気に慣れないほどの腕前。作っている本人も好きらしく、毎回鼻歌を口ずさみながら作っているのだから邪魔はできない。むしろ、以前手伝うなんて言ったら「いいから稽古しなさい!」と返されたほど。


「……今日のご飯は?」

「今日は、副菜多めでメインは鶏そぼろ。お味噌汁にかぼちゃの煮付けよ」

「わーい!そぼろは、卵いっぱいね!」

「はいはい」


 会話が一段落すると、トントンと単調だがとても優しい包丁の音が再び聞こえ出した。

 料理上手な千代は、これで舞も一流なのだからゆり恵が憧れてしまうのは仕方ない。屋敷の掃除だって、毎回楽しそうにやっている。お手伝いさんがいるのにも関わらず、一緒にやっているのだ。しかも、小言を言わず自ら率先して動くため、その姿に憧れているのは娘だけではなかった。……本人は知らないが。


「……何か手伝うよ」


 コップを流しに入れると、ゆり恵は気合いを入れるように腕まくりをする。

 今日は、なんだか手伝いたかった。稽古を終えた後にまさか「稽古しろ!」とは言われないだろう。


「あらそう?」

「なんでもやる!」

「ふふ、じゃあねぇ」


 案の定、いつもの言葉は返ってこなかった。

 夕飯の時間は、もうすぐだ。



 ***



「あら、どなたかしら?」


 千代と2人で夕飯の後片付けしている時、玄関の方で呼び鈴が鳴った。すでに洗い物を終え、お皿を拭いていた千代は、水浸しになった手を布巾で丁寧に拭く。その後ろで乾いたお皿を戸棚にしまっていたゆり恵も、チャイムの音で作業を中断させた。すると、


「おい、ゆり恵。都真紅さんが来てるぞ」


 と、ゆり恵の父、倉乃が暖簾の間から台所へ顔を出す。既にお風呂へ入ったのか、就寝時の着物になっていた。


「都真紅さんってあの?……ゆり恵、いつの間にお知り合いになったの?」

「うん、ヒイズで一緒に舞った」

「へぇ、すごいじゃないの!ましず子さん、お元気?」

「確かめに行けばいいじゃないか。ご本人が来てるんだから」

「ましず子姐さんが来てるの?」

「ああ、2人で行って来なさい」

「はあい」


 どうやら、両親も彼女のことを知っているらしい。千代は、名前を聞くとはしゃぐように両手を叩いている。

 その動作に笑う倉乃は、そのまま奥へと引っ込んでしまった。きっと、明日の舞台で使う扇子を張り替えるのだろう。本番前の夜はいつもそうしているのを、ゆり恵も知っている。


「ゆり恵、行きましょう」

「うん!」


 母親の言葉に頷くと、最後に残っているお箸を引き出しの中にしまいその後に続いた。


「やっぱり、都真紅さんって有名なんだね」

「そりゃあ、演舞界ではそうよ。先日もましず子さんのお母様と同じ舞台だったわ。娘の成長が嬉しいらしくて、満面の笑みだったわ」

「うん、ましず子姐さん綺麗だった」

「そう」


 とはいえ、ゆり恵も引けを取らないほどの実力があることは、千代もよく知っている。しかし、彼女は子どもを自慢するような親ではなかった。我が子の成長は嬉しいものの、もっと上を目指して欲しいならばそれを口にしてはいけないと思っている様子。親と舞の師範をしているためか、その思いは複雑である。

 千代が何かを口にしようとしていたが、その前に玄関に着いてしまった。すると、そこには背筋を伸ばし凛としたましず子の姿が。


「……ましず子姐さん」


 見ているだけで、ゆり恵の胸が高鳴った。

 その身を包む真っ赤な着物は、ヒイズで会った時のデザインと類似したもの。そして、その身体から溢れ出すような色気も、ゆり恵の視線を離さない。


「夜分遅うに失礼します、ましず子どす」

「お久しぶりね。お母様は元気?」

「はい、おかげさまで。先日は母がお世話になりました」

「お母様、あなたのこと褒めていたわ。よく働く子だって」

「いやだわあ。お恥ずかしい限りで」

「ふふ、子どもの成長が嬉しくない親なんていないわ。よろしく伝えてね」

「はい」


 千代の言葉に、少々頬を染めるましず子。やはり、彼女も褒められると嬉しいらしい。

 それを見たゆり恵は、なんだか嬉しくなってしまう。自身も、褒められるのが好きなため。すると、


「こんばんは、ゆり恵はん」


 と言って、ましず子が視線を合わせてニッコリと笑いかけてきた。その笑みは、何もかもを許すかのような印象を与えてくる。無論、悪いことは何ひとつしていないのだが、ゆり恵はそんな風に思ってしまった。これも、きっと憧れている故だろう。


「こ、こんばんは!」


 急に目が合うと、顔が火照ってしまう。ゆり恵は、そんな自分に気づき更に顔を赤くした。これでは、なんだか格好がつかない。


「遅くにかんにんなあ。ゆり恵はんに聞きたいことがあって」

「何でしょうか……」

「ここで一番おっきな病院知りまへん?」

「え、怪我!?したんですか!」


 この辺りで大きな病院というと、紹介状が必須の総合病院のみ。ゆり恵は、目の前の憧れの人の体調を気遣い、慌ててしまった。

 そんな態度の彼女を見たましず子は、


「いえ、そんなことあらしまへん。知り合いが入院していてなあ。どうしても地図が読めんくて困っているときに、ゆり恵はんのお家が近いことに気づいてな」


 と、持っていた古風な革細工のバッグの中から、地図を取り出して涼しそうに笑っている。どうやら、彼女にも苦手なものがあるらしい。


「……よかった。お母さん、案内してきて良い?」


 彼女の言葉に安心したゆり恵は、千代に確認を入れながら靴をはく。ダメとは、言われたくないようだ。その素早さに呆れた千代は、ため息をつきながら、


「はいはい、気をつけて行ってきなさいね」

「うん!ましず子さん、行きましょう」

「お母様、ありがとうございます。ゆり恵はんは、責任を持って送り届けますわ」

「そう言っていただけると安心だわ。ちゃんと案内するのよ」


 と、快く快諾する。その言葉に、2人は玄関を出た。

 風が冷たく、少し肌寒い。が、上着までは必要ないだろう。


「こっちです、一番大きな病院。セントラル総合病院って名前で」

「そんな名前だったわあ」

「ましず子姐さん、方向音痴なんですか?」

「お恥ずかしいけど、そうなんどす……」

「あはは、なんだから親近感湧きました」

「ふふ。ゆり恵はん、私はただの人間どす」


 その言葉に笑いながら、2人は手を繋いで病院への道を歩いていった。

 夜道だが、街灯の光は眩しいほど。特に、フラッシュ魔法は必要なさそうだ。



 ***



「結構広いんどすなあ」


 ゆり恵の家から、歩いて10分程度。2人は、大きな建物の前に到着する。

 その間に、次の舞台の話や今まで出たコンテストの話などで大いに盛り上がった。演舞一族らしい会話だ。


「ここが一番大きいですよ。紹介状がないと受診できないですけど……」


 ここは、レンジュセントラルにある中央病院。この辺では一番大きく、最先端医療が集約している場所だ。24時間開いているので、いつも人が絶えない。

 ゆり恵の案内に従って病院の入り口をくぐると、アルコール消毒の容器が置かれていた。感染症対策だろうか。2人で交代して手に付け、奥へと入っていく。


「……病棟はどちらに?」

「こっちです」


 玄関付近は、受付と清算所になっていた。そこを通り抜け左に向かって歩くと、大きなエレベーターが見えてくる。


「ここ、3Fから上が病棟です」

「ゆり恵はん、お詳しいんどすな」

「以前、肺炎こじらせて入院したので……」

「おやまあ。練習のしすぎどすか?」

「まあ……。暑い日に飲み物なしで練習していたら、熱中症になってそのまま肺炎に」

「体調管理も舞妓はんの大事な修行の一貫どすよ」

「はい……」

「まあ、私もしょっちゅう倒れますがなあ」

「あはは」


 そんな会話をしながらエレベーターのボタンを押すと、数秒で扉が開く。ましず子を先に乗せ、ゆり恵もそれに続いた。このカゴ内には、ゆり恵とましず子の2人だけ。


「……ご友人はどうされたんですか?」

「精神を少し。回復してくれはるとええなあ」

「そうですね……」


 精神となると、舞の仲間だろうか。演舞界隈では、一生懸命になりすぎて精神を病んでしまう人が後を絶たない。真面目な性格の人が多いらしく、少々界隈で問題になっていた。ゆり恵も、その話を母親から耳が痛くなるほど聞いている。自身がそうならないためにはどうすれば良いのか、まだ答えがでなさそうだ。

 ボーッとそんなことを考えていると、意外に早く3階へ到着した。扉が開くと、ナースステーションが視界に飛び込んでくる。


「どの科かわからないなら、病棟受付で聞いてみます?」

「私が聞きます。ゆり恵はん、ちょっと待っててくださる?」

「はい、こっちで待ってますね」


 ゆり恵が指差した受付へ、優雅な足取りで向かうましず子。彼女のおおらかな性格は、どんな言葉を口にしても棘がない。だからこそ、先ほどのように注意されても嫌な気持ちにならないのだろう。直球で話してしまうゆり恵にはないものなので、やはり憧れてしまうのは仕方のないこと。


「……~~~、~~。~~~~」

「……〜〜、〜〜〜」


 何かを話しているのはわかったが、ゆり恵までは聞こえない。その話している姿も、艶めかしく美しい。

 外の景色を見ようと思っていたが、それよりも真っ赤な着物を着た彼女に視線が向いてしまう。


「……私も、演舞の稽古頑張らないと」


 その姿を見て、自分へファイトを送った。ライバル意識はなかったが、彼女のように輝かしい人物になりたいと心から願ってしまう。ゆり恵は、言葉にしてそれを誓った。すると、後ろから見知った声が。


「あれ、桜田じゃん」

「え、先生!?」


 驚いて振り向くと、そこにはいつもの黒い戦闘服ではなく半袖のパーカーにスキニーという少々ラフな格好をした風音の姿が。いつものようにガスマスクをし、財布片手に立ち止まっていた。

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