8:青簾の香りが爽やかな夏を連想させる




 サツキは、タイルの土地に足を踏み入れた。しかし、その場所にパスポートの提示を促すゲートは無い。高いフェンスを登り、不法侵入したのだ。彼女はキメラであって人ではないため、違法とバレることもない。

 その表情は、どこまでも暗いもの。自身の行動に、あまり積極的な様子ではないのが伺える。カラッと晴れた青空の下、濁った瞳には何も映されていない。


「……」


 ここは、タイルの中心地から少々離れた森林。天気が良いためか小鳥のさえずりが彼女の耳に響いてくる。しかし、サツキにとってその「音」は耳障りだった。


「いやだ、いやだ。うるさい」


 そう言って、目の前で気持ち良さそうに鳴いている小鳥に手を伸ばし、間髪入れずにグシャッと潰した。その素早さに、羽根が勢いよく飛び散る。それと当時に、サツキの手からサラッとした血が滴り落ちた。

 手のひらを開くと、原型を保っていない何かがこちらを覗いている。それを睨み返す瞳には、やはり何も見えていない。


「……気持ち悪い、気持ち悪い」



 ここに来ることが決まった時、八代がこの身体に薬を入れてくれた。どんな成分のものか定かでは無いが、それは気分をどこまでも不快にしてくるもの。自身の身体なのに、誰かに支配されている感覚を強制的に植えつけてくる気持ちになってしまう。

 得体の知れないものを抱えたサツキは、手に付いた「汚れ」を木々の方へと勢いよく放り投げ、手についた血を振ってはらう。それでも少々残ってしまった血と羽根を、腰付近の服で拭った。元々黒い服装なので、目立つことはない。


「……ふふ、あはは。あはは、はは」


 その一連の流れが、なんだか可笑しかった。壊れ切った笑いが、森林の中にこだまする。

 サツキの精神は、薬で正常を保てなくなっていた。しかし、それに彼女自身気づいていない。ただただ、体内の不快感を覚えるだけに止まり、それをどうにかして発散するため周囲に八つ当たりするしか無くなっていた。


「次こそは……リーダーに、組織に勝利を持ち帰る」


 今の願いは、それだけ。




 ***




 彩華を筆頭に、6人が案内された場所はタイル国の中心に建っている城の中。レンジュよりも広さはないものの、装飾品が洗練されていて狭さを感じさせない造りになっていた。それは置物だけではなく、建物自体の近代的デザインが視覚に響く。


「よく来たね」


 執務室に通されると、タイル国の皇帝代理が出迎えてくれた。その他に人がいないところを見ると、どうやら彼が接待をしてくれるらしいことがわかる。

 歓迎モードの彼は、ストレートの黒い前髪を中央で左右に分け、後ろ髪は美しさを感じるアシンメトリーになっている。メガネがよく合う顔立ちで、知的さを植えつけてくような容姿をしていた。


「(はー、若いね。初めて見た)」


 ユキも何度かこの国にお使いで来てはいるものの、皇帝代理に会ったのは初めてのようだ。チームメンバー同様、物珍しいものを見ているような態度で皇帝代理をはじめとした周囲を見渡す。


「こんにちは。レンジュ国皇帝のお使いで来ました」

「君はいつも硬いなあ。そんなかしこまらないで」

「……公的なものなので」

「はは。君らしいよ」


 背筋を伸ばしてそう言うと、彩華が長い髪をフワッと揺らし一礼した。それに倣って、彩華の一歩下がった位置にいた5人も一礼する。

 すると、タイルの皇帝代理は彩華の腰に手を回してソファまでエスコートした。そのさりげない気遣いに、下心はない。故に、彼女も特に拒むことなくそれに従う。しかし、


「(ベタベタしすぎ)」


 ユキは、その光景を見て少しムッとしてしまった。いつも、その役目は自分なのだ。それを、他の人に取られるのが気にくわないのだ。

 それに、タイルの皇帝代理は彩華の婿になる人の第一候補。代理の父……タイルの現皇帝がまだ生きているので、早くくっつけたいらしく猛アタックしている。その勢いは、「婿」ではなく「嫁」にというのを隠そうともしないので、ユキが威嚇してしまうのも致し方ないのかもしれない。


「お茶でもどう?」

「いいわ、今日は資料を届けにきただけなので」


 彩華もそんな関係性を理解しているようで、無下にはできないようだ。いつもの感情むき出しな感じではなく、やんわりと姫らしい断り方をしている。

 それを感じ取ったのか、タイルの皇帝代理は彩華の後ろにいたメンバーに目を向けた。


「……今日は、いつもの付き人じゃないんだね」

「ええ、アリスさんは別のお仕事で」

「よろしく伝えてね。……そちらの護衛さんたちも自己紹介してくれるかな」


 そう言いながら、ソファに案内してくれる。しかし、招待されていない護衛がそれに座るわけにはいかない。全員それを理解しているのか、一礼してソファの近くへ歩み寄るだけにとどまった。全員が並んだのを確認した彩華が、


「左から、主界風音さん・下界まことくん・早苗ちゃん・ゆり恵ちゃん・ユキくん。今日の私の護衛任務を受けてくれたチームよ」

「改めて、よろしくね。僕は、皇帝代理のナノ・フェルナンデという者です」


 と、一人ひとりを紹介してくれた。それを真剣に聞き入れている皇帝代理のナノ。しっかり、顔を確認して名前と一致させようとしているのを感じられる。

 そうなのだ。この人物、タイル国の横暴さが全くなく、人柄がとても良い。それは、ユキも認めざるを得ないほど。

 ただ、いつも居る彼女を取られたという嫉妬心かもしれないが、なんとも言えない感情になってしまうのは事実。ユキは、自身の性別を忘れて目の前で微笑むナノを睨みつける。


「よろしくお願いします」

「お願いします」

「お願いします」


 風音が頭を下げると、それに4人が続けた。すると、同じようにナノも頭を下げてくれる。

 彼には、洗練された雰囲気があった。近寄りがたいのだが、憧れを植え付けられるようなそんな雰囲気を醸し出してくる。皇帝代理にふさわしい人物なのは確かだろう。それを、初めて会った5人も感じ取っていた。故に、緊張感に似たものが周囲を漂う。


「かしこまらないで。僕はあまり好きじゃないんだ」


 しかし、本人はそれが嫌いな様子。少々困ったように眉を下げて、悲しそうな表情をしている。


「最近父が……皇帝がよく出かけていてね。僕が代理でこの席に座ってるんだ」


 そう言って、ナノが執務室の真ん中に置かれた立派な椅子を指差した。そこは、皇帝だけが座ることの許されている席。レンジュ城の執務室で、「こうちゃん」が座っている場所と同じところだ。ここで、国の報告を聞いたりや連絡の伝達をしたりする。

 今は、皇帝代理であるナノが座っているらしい。レンジュで彩華がその席に座る機会はないため、ユキは少々違和感を覚えてしまう。


「また出かけているのね。どこかの調査でしょうか」

「うーん、僕には何も言わないんだ。お付きの先生も……あの人は年中いなくなるけど……ここ最近はずっと見ない」

「私、あの人嫌い」

「はは、君のそう言う物言いが僕は気に入ってるよ」

「……」


 と、いつもの彩華のような表情になってその人物を批判している。人の悪口を言わない彼女にとって、その行為は珍しい。相当毛嫌いしているのだろう。

 ナノは、そんな言い方が気に入っているのか、ソファに座っている彼女の頭をゆっくりと撫で上げた。それに頬を染める彩華。


「本当はゆっくり観光がてら街を案内したいんだけど、ここを離れられなくてね。彼女と話している間、黒井と真鳥に風音くんたちをお願いしようか」

「そんな長居しませんよ。書類を渡すだけだから、3分もあれば」

「少しは、僕のお茶に付き合っても良いんじゃないかい?ここまで来てくれて、何もせずに返したなんて皇帝にバレたら僕が怒られる」

「……そこまで言うなら」

「今、サレン地方とアダナ地方は治安が悪い。行くなら、ファルルとかカンダンがおすすめだよ。今の時期は紅葉が綺麗だから」


 と、皇帝代理同士の会話が繰り広げられる中、5人は口を挟まず静かに話に耳を傾ける。どうやら、彩華とお茶をしたいから観光でもしてきてくれとのことらしい。ナノは、魔法で出した地図を風音に手渡す。


「ありがとうございます」


 それを両手で受け取る風音。すると、その様子を見たナノが


「だから、かしこまらないで。僕は、きっと君と同じ年代だよ」

「……20です」

「ほら、一緒だ」


 そう言って、爽やかに笑ってくる。どんな反応をしたら良いのかわからず、風音は困った表情をした。


「あまり困らせないで。私は、少しあなたといるわ」

「少し、情勢について話があるんだ」


 彩華は、そう言って立ち上がるとナノの方へと歩み寄り手を差し伸べる。すると、彼は優しそうな微笑みでそれを受け入れていた。彩華はどうかわからないが、ナノは彼女のことが気に入っている様子。誰がどう見ても、それは間違えようがないほどわかりやすい。


「退屈な話は嫌いよ」

「わかってるよ、君のことは」

「……」


 その様子にイラついたユキは、ナノの足元に素早く目線を落とし青く細い光の球を一瞬だけ宿らせた。彼は彩華に夢中で気づいた様子はなかったが、隣にいた風音にだけはバレてしまったようだ。驚いた表情になってそれを見ていたが、特に咎めはしなかった。

 いつもの気だるい表情に戻し、


「では、3時間で帰ってきます。良いでしょうか」


 そう声を張り上げる。すると、


「ああ。そのくらいあれば、話は終わると思うよ」

「……」


 と、机に置いてあった書類に目を落とす。その瞬間、彩華がユキを見て少し寂しそうな顔をした。1人では心細いらしい。


「(大丈夫だよ)」


 ユキがテレパシーでそう伝えると、ホッとしたような柔らかい表情になる。

 彼女は、わかりやすい。一緒にいた時間が長いせいもあるだろうが、わかりやすい。だからこそ、ユキは目が離せないのかもしれない。


「では、失礼します」

「失礼します」

「失礼します」


 風音を筆頭に、5人は執務室を退出した。

 すると、扉の向こうには黒井と真鳥が待機している。


「案内しますね」

「こちらへどうぞ」


 どうやら、話を聞いていたらしい。にっこりと笑い、5人を外へと連れ出す。





 ***





「……来てくれてありがとう」

「あなたの頼みですから」


 5人が執務室からいなくなると、2人は向かい合ってソファへと腰掛けた。すると、ナノが先ほどよりも声のトーンを下げて話しかけてくる。

 本来であれば、パソコンでのデータのやりとりで事足りる今回の訪問。彩華が断れなかったのには理由があった。


「父さんのやっていることが理解できなくて。どうしたら良いのかお手上げだよ」

「……お父様は、どこに行ってしまったのかしら」

「さあ。各地区の調査とは言ってるけど、僕にはそう思えない」

「言ってくれれば、何か対処法がありそうなんだけどね」

「信頼されてないのかもしれない。追跡魔法を使っても良いんだけど、バレない自信がないんだ」

「そんな姑息な真似、あなたが嫌いじゃないの。私も嫌だわ。正面から聞かないと」

「うん……」


 ナノと彩華は、同じ立場だった。

 親が皇帝で、自分が皇帝代理。苦労が多く、周囲からのやっかみが多いのも類似していた。故に、彼が定期的にこうやって息抜きで話したいと言うのもわかってしまう。だから、こうやって足を運んだり、レンジュに来てもらったら対応したりと関わりを持つ。……少々、ユキに後ろめたい気持ちを持ちながら。


 ナノは、昔から父親の後ろ姿が尊敬できていない。こんな物騒な国にしてしまった父を恨んでさえいるらしい。

 それに加え、執務もせずどこからの資金なのかお金でなんでも解決させようとしているのも気に食わないようだ。毎回それで皇帝と衝突しているが、いつも「親子ゲンカ」「反抗期」で終わってしまう。それが、彼にとって悩みのタネなのだ。この物騒になってしまった国を立ち直らせたいと、奮闘する彼にとって。


「先生もお父様と一緒なのかしら?」

「うーん、違うと思う。先生の白衣から、薬の匂いがするんだ。父さんからはその匂いはしない」

「……最悪の事態にならないと良いですけど」


 その言葉は重く、少し震えていた。タイルの治安の悪さは、十分承知しているため。

 彩華も、目の前の彼に会うまでは敵国としてタイルを認識していた。しかし、事情を知った今は違う。ナノの誠実さ、真剣さを見抜き協力したいとすら思い始めている。

 しかし、いくら頑張っても隣国のこと。しかも、未成年の皇帝代理である。できることは限られてくるし、皇帝がそれを否定したら何もできない。


「これ以上、国の治安を悪くしたくないんだ。一昨日も、強盗殺人で大量に国民が巻き込まれたよ」

「ニュース見たわ。やはり、銀行は狙われやすいわね」

「デジタル化だって、なんだってすれば良いって僕は思えない。人の手で管理していかないといけないことって結構あると思うんだ」

「そうよね。なんでもデジタルじゃ、魔法を使わなくてもハッキングできちゃう」

「してくださいって言ってるもんだよ。先週、君に添削してもらったデジタルにしちゃいけないものをリスト化して渡したけど、却下されたし」

「そうだったの。難しいわね……」


 ナノの表情は、どこまでも暗い。それを支えたいと思って、何が悪いのだろうか。たとえ、敵国だろうが対立してようが、こうやって頑張っている人を見捨てられない彩華は、一緒に問題を解決しようとする。


 とはいえ、結婚なんかの話は別だ。

 彩華には、ユキがいる。辛い時も支え合える、彼が。


「情けないところばかり見せて悪いね」

「いいえ、それがあなたですから」

「それはなんだか嫌だなあ」

「ふふ。あなたがタイル皇帝のような態度だったら、私は協力しないわ」

「……彩華」


 ナノが移動し彩華のいるソファに腰掛けると、間髪入れずに抱きしめてきた。その力強さは、拒めるものではない。彩華は抵抗せず、それを受け入れるように彼の首元に腕を絡める。

 今にでも泣きそうな彼。皇帝に嫌悪され、政治家にもバカにされる。そんな環境で1人で頑張っているのだ。皇帝が味方にいる彩華との違いはそこである。そんな彼を、突き放すことができるのだろうか。彼女には、やはりできない。


「もっと良い国にする。だから、その時は……」

「……」


 その言葉の先は、ない。

 しかし、何が言いたいのかわかってしまう彩華は、目の前で震えている彼の気持ちを思い胸を痛めた。





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