5:鞦韆は縦に揺れる①
薄暗い部屋の中。
都真紅ましず子は、暗闇でもわかるほど鮮明な赤いソファに腰掛けどこかに電話をかけていた。今時珍しい有線電話からは、静かな場所なのに相手の声が響いてこない。
「……そうやねえ。そこは、サツキはんにお任せしてもよろしいかと」
髪を肩に下ろすと、また雰囲気がガラッと変わる。真っ直ぐに切られたそれは、美しさよりも不気味さを物語る。
さらに、その話し方は、ゆり恵を妹分のように可愛がっていた時のものとは程遠い。
「レンジュの皇帝は、手負いの野獣を飼いならしていらっしゃるようで」
どこまでも低く鋭い声は、彼女の心の闇を映し出しているよう。
着物の裾を気にしながら、一言ひとこと噛み締めるかのように発言する。
「油断は禁物やけど、あの人の弱点はわかってます」
今は、その笑顔すら背筋が凍るもの。「あの人」と言った彼女の表情には、深い憎しみが見え隠れしていた。
「ええ、ええ」
それからは、相槌が続く。わかっています、わかっています、と繰り返しながら。
***
「あら!あなたたち、セントラルアカデミーの……」
次の日の朝。
No.3のメンバーが護衛任務の待合場所に行くと、そこにはぴっちりとしたスーツ姿の彩華がいた。民族衣装の格好に慣れてしまっている国民としては、少々違和感を覚えてしまう。それだけではなく、「国のお偉いさん」が急に現れたことの方にも驚きを隠せない様子。
まことたち3人は、口をパクパクとまるで金魚を連想させるかのような動作を繰り返す。
「こ、こんにちはっ!」
「初めまして」
「こんにちは……」
「元気が良いわね。こんにちは!」
それでも、挨拶をしなければいけないという意識が勝ったらしい。3人は、しっかりと頭を下げて挨拶を交わす。もちろん、他の2人も同時に頭を下げた。
ユキが顔を上げると、彩華と目が合った。すると、少しだけ嬉しそうな表情になった彼女が確認できる。姿は少々違うものの、気づかれたらしい。しかし、話しかけてはこなかった。
「タイル国に行かないと行けなくなって。道中お願いできる?」
「はい!」
「お供させてください」
今の今まで、護衛対象を聞かされていなかった彼らは、気分が上がったようで頰を紅潮させる。
もちろん、用紙を読んでいたユキは護衛対象を知っていた。他のメンバーに黙っていたわけではなく、国の姫という立場の彼女のスケジュールが前日に漏れるのは良くないと判断したためだ。
どこで誰が何を聞いているのかわからない。用心するに越したことはない。
「風音です。フォローはしますので、よろしくお願いいたします」
「はい!お願いします」
どうやら、風音も護衛対象がわかっていた様子。特に驚きもせず、手を差し出し挨拶を交わしている。
「じゃあ、早速だけど全員まとめた荷物を宿の受付に預けてきて。あとは、配達業者が家まで運んでくれるから。30分あればできそう?」
「できる!」
「やります!」
「じゃあ、それで。終わったらそのままタイル行くから貴重品とかは預けないようにね」
「はーい!」
「ユキくんも行こう」
この場所から宿までは、5分程度。30分あれば余裕で帰ってこれるだろう。
早速まことたちが、彩華に向かってお辞儀をして宿に向かおうとする。しかし、
「俺はまとめて預けてあるから、3人で行ってきて」
と、ユキだけはここに残るようだ。いつも通りの笑顔で、3人に向かって手を振っている。
「わかった!」
「行ってくるね」
「必要なものあったら、連絡して」
「ありがとう」
「走ってこけんなよー」
たっぷり休息を取って元気一杯な3人は、そのまま宿に向かって走り出す。それを制御させる風音の言葉が聞こえたかは、怪しいところ。
そんな3人の背中を見送っていると、
「ね、あなた。ユキよね?」
と、早速ユキに向かって彩華が話しかけてきた。少しだけ腰を屈ませ、近くの風音に聞こえないよう小さな声で聞いてくる。
その嬉しそうな表情ときたら。きっと、護衛してくれる下界魔法使いに大好きな彼がいることを知らなかったのだろう。
それを見たユキは、嘘がつけないことを悟る。
「良く気づいたね、姫。正解だよ」
「やっぱり!可愛い!」
「……っと」
そう言ってニッコリ笑うと、間髪入れずに彩華が声を高らかに抱きしめてくる。予想していなかったユキは、そのまま後ろに倒れそうになりつつも片足をふん縛ってそれを逃れることに成功した。
「抱っこしたい!」
「ダメ!外なんだけど!」
「……あ、そっか。今度お城でやってほしい」
「気が向いたら、ね」
「ユキのケチー」
「……」
テンションの高い彩華を見慣れていない風音。いつも澄まして座っている姫も年齢相応な態度も取れることを知り、ユキと繰り広げている会話を聞いて微笑んでいる。
しかし、ユキから彼女との関係性を曖昧であるものの聞いてはいるので多少複雑な気持ちにもなるらしい。会話に入ろうとしてこない。
「姫、先生が置き去りにされてる」
「あら、私としたことが。風音先生、改めましてよろしくお願いします」
と、やっと我にかえった彼女は風音に向かってお辞儀をしてくる。その行為に驚いた風音は、慌てて深々と頭を下げた。
そりゃあ、誰だって一国の姫に頭を下げられたらそうなる。隣でその光景を笑っているユキが特別なのだ。
「風音、で良いですよ。こちらこそ、タイルまでよろしくお願いします」
「タイルまで……?お父様から何も聞いていないのかしら」
と、意味深な発言をする彩華にキョトンとする風音。それに挟まれているユキは、何だか居心地が悪そうだ。双方の表情を交互に見ながら聞いて良い話なのか考えている。
話が長くなりそうと思った3人は、そのまま道の端に移動した。その場にいたら、通行人の邪魔になってしまう。
「特に、何も。なんでしょうか」
「そうなの。……ユキは聞いてる?」
「新しい任務があるってことは聞いたけど、他は特に」
どこかで行き違いがあったらしい。
下界の報告会以来、その新任務について聞いていないため話を振られたユキも答えようがない。
「そうなの。お父様、話したって言ってたからてっきり……ごめんなさい」
「あはは、姫らしい。いいよ、そこまで言ったなら先生も聞きたいだろうし」
「この任務の後、確かに皇帝から呼ばれてますが……。今聞けるなら聞きたいですね」
「大丈夫、周囲にひと気はないから盗聴の心配はないよ」
「ありがとう、ユキ」
ユキの警戒魔法によって、うっすらと周囲にフィールドが張られていった。これは、指定した箇所の音を外部へ漏れないようにする魔法。これで、盗聴されていたとしても聞こえなくなる。
ユキが魔法を唱えると、目に見えない何かが3人を中心に広がっていった。
「あのね、風音さん。あなた、来週から管理部付だって」
「……は?」
「……は?」
「あはは、2人とも同じ顔!」
その魔法を確認した彩華が口を開くと、予想していなかったのか聞いていた2人の表情が面白いほど同じになる。警戒魔法を敷いておいて正解だった。
「え、……マジで?先生が?」
「ええ。伝令書も出来上がってるって今宮さんが言っていたから、確定事項よ」
「先生……。伝令書が発行されてるってことは逃げられないですよ……」
「いや、それはまあ国の伝令ならいいんだけど。……お前と同じ職場になるってこと?」
「待って、不満なのそこ?」
唖然としすぎた風音の口から、本音が漏れる。好き嫌いの問題ではない、彼にとって「苦労」の問題なのだ……。
それが不服なのか、ユキが頬をプクーッと膨らませる。すると、そのやりとりが面白かったのか彩華が笑い出した。秘密ごとの話をしているにしては、少々騒がしい。
「ということは、色々仕事内容が変わるってことでしょうか?」
「いえ、風音さんは元々主界でチーム組んでないでしょう?このまま下界魔法使いの引率はお願いされると思うわ」
「それはありがたいです」
「ふふ。その辺りはお父様が調整してくれるから心配しないで。ユキもたくさんワガママ言ってるし」
「否定はしない」
「ぶはっ!」
と、ユキのシレッとした言い方がツボったのか珍しく風音が笑っている。
彼は、元々教師になりたくて今の職に就いている。それを考慮してくれるのであれば、彼に不満はないらしい。これからの不安はあるだろうが、そこは伝令をもらってから悩んだ方が良さそうだ。風音がそう気持ちを切り替えていると、
「それより風音さん!」
「は、はい!」
と、彩華が急に呼んでくる。少々ボーッとしていたこともあり、素っ頓狂な声をあげながら背筋を伸ばすものだから、今度はユキが腹を抱えて笑い出す。
「マスク、取りましょう。それでタイルは行けませんよ」
「だよね。俺も気になってた」
と、彩華に同調しつつ、ユキはフィールドを切った。
タイル国は、詠唱の必要な呪術が盛んな国として知られている。それ故、口を覆っていると唱えているのが見えず犯罪に発展する可能性が懸念され、顔だけは隠してはいけないというルールが設けられていた。
顔半分以上を隠してしまっている風音にとって、ありがたくない国なのだ。
「……国境のところまでの護衛じゃダメですか」
「だーめ!任務失敗で報酬支払いませんよ」
「……天野が引率してとかは」
「無理ー、めんどく……チームメンバーに正体バレちゃう」
今、めんどくさいって言おうとしませんでしたか?
2人からのNGを食らってしまった風音は、どうしたものかと考えている。頑なに、マスクを取りたくないらしい。それを見たユキは、
「……先生、印が隠れれば良いってこと?」
「ん?あ、あぁ……」
「んー、じゃあイケる」
「どういうこと?」
何か考えがあるのか、1人で納得するように頷いている。
話についていけていない風音がそう問うも、答えてくれない。その代わり、
「神谷」
と、どこかで聞いた名前がその口から飛び出てきた。
風音が「誰だっけ?」と思考を巡らせていると、答えを出す前にその人物が現れる。
「お呼びでしょうか」
「!?」
「!?」
その人は、風音の真後ろにいた。「ずっといました」みたいな表情で佇んでいるものだから、風音も彩華も驚いてしまったのは致し方ない。
以前は屋敷内だったが、改めてこうやって日の当たっているところで見るとそのオッドアイは異様に輝きを見せつけてくる。
平然と現れた天野家の執事……神谷は、何食わぬ顔してユキの命令を待つ。
「先生の顔、出したい。1日で良い」
「御意」
と、事前情報も何も与えずやってほしいことだけを口にするユキ。その視線は、風音の顔をまっすぐに捉えている。
神谷はそれに従い風音の正面に立つと、真っ白なフィンガーグローブのはめられた手を伸ばしてきた。それは、すぐに彼の頭を捉える。そして、
「血族技、消化」
と、落ち着いた声で血族技を唱えてきた。それは、呪いの類を一層させる効果のある魔法。
「……」
たったこれだけで、風音の顔の刺青が消えてしまった。今まで、どんな手を使おうが消えなかったそれが、跡形もなく。
それを感じ取った彼は、複雑すぎる感情をぶつけられる場所を探すかのように神谷を睨みつけた。
一方神谷は、そんな視線に気づかないフリをして、
「ユキ様、いつでもお呼びください」
と、自身の主人に丁重な挨拶をするとどこかに瞬間移動してしまった……。
「……あれ、神谷さんよね」
彩華も知っているらしい。神谷が消えた方向に目を向けながら少々唖然としながら呟いてきた。
が、元々神谷は彩華に興味がない。彼女も、それを感じ取っているのか特に接点を作ろうとしないという関係が出来上がっていた。そこには、ユキも何も言わない。
「うん。昨日会ったの」
「よかったわね、仲直りしたの?」
「……別に、喧嘩してたわけじゃないよ」
「ふふ。ユキ、嬉しそう」
どうやら、神谷は以前もユキに従えていたらしい。そのあたりの事情を知らない風音が置いてけぼりになっている。
とはいえ、その会話はさほどしたいものではないらしい。笑っている彩華の手を握り牽制させると、
「先生、どう?」
と、少しだけ頬を赤らめて話題を振ってくる。
その言葉に、風音は恐る恐るガスマスクを外した。
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