9:桜の罪と罰



「姫ー、遅くなってごめ」

「ユキ!待ってたわ」


 青年ユキが部屋に入るなり、彩華がものすごい勢いで抱きついてきた。相当待っていたのだろう、そのスピード感と嬉しそうな声がいつもにも増している。

 それを見越していなかったユキは、後ろに向かって盛大にコケて後頭部を床にぶつけてしまった。きっと、これが漫画のワンシーンだったら頭の上にはヒヨコが数匹回っていただろう。ユキは、そんなことを考えるだけの余裕があった。


「ま、待たせて……ごめんよ」


 残った気力で、自身に折り重なり倒れ込んでいる彩華を抱き寄せる。すると、彼女の着ている民族衣装の胸元にある装飾の鈴が、シャンと涼しげな音を立てた。これが床の上でなければ結構ロマンチックになっていたに違いない。彼女はそんなことを気にせずユキに抱きついてくるので、相当寂しかっただろう。

 しかし、ユキにはいつもと違う様子が気になった。

 いつもなら、抱きしめただけで赤面する。しかし、今は嬉しそうな表情をしているだけ。単に、寂しかっただけだろうか?そう疑問に思うも、嬉しそうな彼女の前では聞きにくい。

 何があったのかわからないユキは、とりあえず彼女の部屋をぐるりと一周見渡す。すると、部屋の隅でシロが丸くなって寝ているのを見つけた。


「シロと遊んで待ってたのよ」

「もう、やんちゃだなあ」


 そう言われてみれば、彩華の服には灰色の猫の毛が。たくさん遊んだのだろう、床には猫じゃらしや小さなボールが散らばって落ちていた。互いに全力を出し切らないと、こうはならない。彼女たちが楽しそうに遊んでいる様子を思い浮かべると、笑ってしまう。


「いいじゃないの!最近、シロは寝てばかりだったし」

「猫は寝るのも仕事だよ」

「でも!楽しかったんだから」

「はは。姫が遊ばれてたみたいだね」

「まあ、否定はしないわ!……それより!ユキに見せたいものがあるの」


 そう言うと、やっと上から退いた彩華が手を差し伸べてくれる。ユキは、素直にその手を掴み立ち上がった。彼女は、体術の稽古をしている。その成果を発揮しているのか、力の入れ方は手馴れたもの。

 彩華は少々いつもよりはしゃぎながら、部屋の中央に置かれているティーテーブルまでユキを誘導する。皇帝の執務室と同様書類の山が目立つも、整理できているためか邪魔には感じない。整頓の上手な彼女らしい。


「これ、いただきものなんだけど」


 そう言って指差してきたところには、お菓子の箱と紅茶のセットが。ティーカップが2つあるのは、一緒にお茶をしたかったのか。彼女は、和紙で包まれているお菓子の箱を持ち上げ、嬉しそうに微笑んでいる。

 最近、そんな時間が取れなくなっていたので、ユキはその光景が懐かしく感じ、また、申し訳なさで心が痛む。


「ちょっと待って。その前に……」


 そう言って指から光を出すと、彼女に向かって優しく振りかけた。

 すると、彩華の服に付いていた大量の猫毛が消え去る。猫毛がなくなると、服の色が明るくなった気がする。それほど、たくさんついていたということか。きっと、床に転がってじゃれていたのだろう。


「ありがとう!でも、またシロと遊ぶわ」

「また綺麗にするさ」


 出会った頃から、服装に無頓着な彩華。着飾れば美しい姫なのだが、本人が服装や化粧の類にてんで興味がない。ユキが魔法で出す服は好きそうだが、他は、「いらないわ」といって受け取ろうともしないのだ。皇帝が抱える悩みの種のひとつでもあった。しかし、彼女にしてみれば、「自分の服より、国にお金をかけてほしい」という真っ当な理由があるからで、そこは互いに譲れないらしい。

 そのため、祭事などでどうしても着ないといけない時は、ユキがスタイリストとなって全身コーデする。彼女は、そうすれば着てくれるのだ。そのためか、彩華が一番輝く服装や化粧を熟知してしまった。もう、他の人には頼めない。


「ふふ、ユキは綺麗好きね」

「姫が無頓着なだけだよ」


 やれやれ、といったポーズをとるユキ。まあ、とはいえ内心楽しんではいる。目の前で笑っている彼女の存在は、ユキにとって数少ない癒しだった。

 そう思っている反面、ユキは彼女を騙し続けている。本当の性別も見た目も、伝えていない。

 けど、もう少し。もう少しだけ、この幸せに浸っていたいのが本音だった。もう少しだけこの関係性を保っていきたいと思う心に、偽りはない。

 しかし、その事実を知った時、彼女はきっと自分から離れてしまうだろう。それが、ユキにとっては辛い。


「だって、まだまだ国には貧しい人がたくさんいるの。そういう人に向けてお金は使うものよ」

「……姫は十分使ってると思うよ。お金を持っている人は、お金を使って経済を回すのも大切なんじゃないかな」


 彼女は独断で時間を作り、国の姫として傭兵を動かし貧困層の街へ出向き食材や毛布を提供し歩いている。しかし、食材はその場限りのものにしかならず、長期的に食物を提供するには不向きな方法だ。

 見かねた皇帝は、彩華の持っていくものに種や肥料などの畑を作るものを入れ、農業に関して専門知識を持つ者を同行させたりしている。娘が必死に考えた行動に完全にストップはできないらしい。

 はじめのうちは、このような行いを「その場限りでは解決しない」と否定していた。しかし、娘の熱意や行動力に押され結局支援している。それは、似たもの親子といったところか。

 ユキは、そんな親子が大好きだった。

 表面だけの優しさや自分勝手な行動より、国民の暮らしやすさを優先する。自分たちの暮らしよりも貧困者に目を向け、かと言って、栄えているところにも目を向ける。それは、口で言うほど簡単なことではない。そんな国のトップを守る仕事についていることが、ユキにとって誇らしい。


「まだよ。まだ、貧困に苦しんでいる人はたくさんいるの。私は皇帝の娘だもの。出来ることはまだあると思うわ」

「無茶だけはしないでね。俺も手伝うから」


 彩華が起こす行動は、止めても無駄なのだ。止めれば止めるほど、意地を張って実行してしまう。それは、彩華の母「ミツネ」の性格とそっくりだった。ユキも、幼少期お世話になった。だからこそ、その性格を知っている。


「頼りにしてるわ」


 そう笑いながら言うと、和紙を丁寧に取りお菓子の箱を開けにかかる彩華。

 蓋を開けると、そこには色とりどりのお菓子が仕切りによって綺麗に収められている。それを見たユキは、懐かしそうに目を細める。


「これ、和菓子っていうのよ」


 一口サイズのその菓子は、「練り切り」。

 白あんに自然の色を加えて形を作る生菓子である。特に、花や葉といった自然のものをモチーフにした形が多い。


「確か、ヒイズ地方のお菓子だったね」

「そう。これね、下界昇格試験の問題用紙を提出した時、八坂先生にいただいたの」


 いつも毅然とした態度で振舞っている彼女にしては珍しく、早口でそう言ってきた。

 空のティーポッドに魔法で紅茶を沸かそうとしていた、ユキの手が止まる。その様子に気づいていない彩華は、


「このお菓子ね、魔法が使えない人でも微量だけど魔力が湧き上がるんですって!」


 と、やはり早口で話しかけてくきた。

 ユキは、伸ばした手をしまいお菓子箱の蓋と和紙を持っている彩華を見る。嬉しそうな、幸せそうな、いや、何かに興奮しているような表情をしていた。


「姫……」


 彼女は、魔法が使えない。

 本人は「気にしていない」と言っているが、それが使えないからという理由で話題の外となることが多いのだ。

 それは、娘を危険にさらしたくないという皇帝の気遣いだが、彼女にはそんな事情関係ない。人一倍責任感があり、正義感を持つ彼女に与える苦痛は他人には理解できないだろう。

 そんな彩華が、魔法を使いたいと思うのは普通のこと。ユキは、彼女にかける言葉が見つからなかった。

 彩華は、八坂―――浅谷まさが起こした事件を知らないのだ。まだ、公式な発表をしていない事件。身内とて、知らなくても無理はない。


「姫……」


 嬉しそうな表情の彩華は、練り切りをお皿に取り分けるため手を出した。丁寧にひとつずつ掴み、潰さないように大きめのお皿へと移動させる。下敷きになっている真っ赤な和紙も移動させると、


「どの形にしようかしら。ユキは何が良い?」


 人差し指で、移動させた様々な形の練り切りを指差し問うてきた。ユキは、その様子を見ながらお菓子を渡した浅谷に、なんと言ったら良いのかわからない自分に対する怒りが込みあがってくる。



「姫、あのさ」

「私は、このユリの形にしようかしら。イチョウも綺麗だわ」

「姫……」

「魔法が使えたら最初に何をしようかしら。あ、でも、微量って言ってたから中途半端になっちゃうかも」

「姫!」



 ユキは、立ちあがりテーブルを両手で思い切り叩いた。菓子箱やお皿がガタンと音を立てる。

 聞いていられなかった。目を合わせず笑っている彼女の姿が痛々しくて、見ていられなかったのだ。


「……あのね。あのね、ユキ。魔法が使えたら、あなたの負担を少なくできるかしら」


 その音にビクッとした彼女は、お菓子をさしていた手を下ろし、震える声でポツリと呟く。今にでも泣きそうな、しかし、笑顔は崩さない彩華。その対照的な表情を見たユキは、立ちすくむ彼女を強く抱きしめる。


「姫……」


 ユキは、怖くなった。

 今、目の前にいる彼女が壊れてしまうのではないかと思い。そして、離したらどこか遠くに消えてしまうと思い。

 抱きしめられた彼女は、瞬きせず無表情になってユキに身をゆだねる。


「姫……。ごめん」


 ユキには、今の彩華の気持ちが痛いほどわかった。なんで、今まで気づいてあげられなかったのだろうと思うほどに。

 どれだけ、彼女は蚊帳の外で……ひとりで戦ってきたのだろう。何か自分にできることはないかと、何度葛藤を繰り返したのだろう。


「姫……。姫にはわかっているでしょう」


 抱きしめる力を緩めずに、彼女の耳元へ静かな声で真実を口にする。


「わかっているから、食べずに俺を待っていたんでしょう」

「……ユキ。ユキ、ユキ」


 その言葉に、彩華は泣き出した。

 それは、聞いていて心が張り裂けそうなほどの泣き声だった。

 ポトリと、彼女の手に収まっていた蓋と和紙が地面に落ちる。しかし、双方それを気にしている余裕はない。


「背負いすぎだよ。俺のことはいいんだ。俺は、……大丈夫だから」

「ユキ、ユキ……ごめんなさい。ごめんなさい」

「姫。姫」


 力強い腕の中で、彩華はしばらくの間声を上げて泣き続けた。ユキは、彼女が泣き止むまで腕の力を緩めず、ずっと、ずっと抱きしめていた。



 ***



 皇帝と今宮は、その光景を薄暗くなった廊下で見ていた。

 そのまま、皇帝は無言でその場を後にする。涙を浮かべていた今宮が、慌ててその後を追った。


「……」


 しばらく無言でゆっくりと歩き、何かを考えている様子。中庭まで来ると立ち止まり、後ろを歩いていた今宮の方を向く。月明りがそんな皇帝の横顔を照らした。しかし、見ていた今宮にはその表情が意味するものがわかっていない。


「……宮よ。おぬしは、彩華にユキのことを伝えるべきと言っていたな」

「はい」


 皇帝の問いに、すぐ返答する今宮。

 伝えてあげないと、彼女はどんどん誤解していく。彼は、後で知ったときの痛みを考えるとやりきれない気持ちになるのだ。


「……彩華はな、ユキの正体についての記憶は保持しているのじゃ」


 衝撃的な言葉に、言葉を失う今宮。先ほどよりも、その眉間に刻まれているシワは深い。

 皇帝と今宮の間に、中庭から流れてくる風が優しく吹く。それは、少しだけ肌寒い感覚を2人に与えてきた。


「……まさか」

「とある人の魔法によって、その記憶は封印されてしまっているがな。しかし、人の記憶はいくら隠してもいつか露見する。じゃから、あやつは忘れてるだけで実際は事実を知っているのだよ」

「……そんなことって。記憶なんて、フッと思い出すものじゃないですか」

「彩華は、あの関係性を崩したくないんじゃ。だから、その記憶を見て見ぬ振りしておる。あやつは、何も知らない小娘ではない」

「……姫」

「まあ、わしにも本当のことはわからぬがな。なるようになる、さ。黒世の時だってなんとかなったんだ」


 皇帝は、そう言うと軽快に笑う。自身の娘のことなのに、それは他人事のような印象を聞いている人に与えてくるもの。今宮は、その言い方に混乱を覚えてしまう。しかし、


「……見守りますよ」


 何か他にも事情があるのだろう。

 父親である皇帝の言葉だ。その下につく彼にできることは、彩華が悲しまないようにすることしかできない。か弱い彼女を守るのも、今宮の仕事である。

 そんな今宮の優しい言葉に、微笑む皇帝。その笑みには、先ほどまではなかった「親」としての表情が垣間見える。

「綺麗じゃのう」

「ええ」

「ナイトメア、まさかあやつがいたとは」

「……まさに悪夢そのものですね」

「……ユキには辛い思いをさせてしまうの」

「……?」

「綺麗じゃ。まことに綺麗じゃ。ずっとここに居たいのう」


 中庭には心地よい風が舞い降り、中央にそびえ立つ桜の木を揺らしていく。散った花びらは、そのまま地面に落ち消滅した。そして、また花びらを散らしていく。

 これは、ユキの魔法だ。

 彩華が寂しくならないようにと、ユキが桜の木に魔法をかけていた。

 桜の景色を見ている皇帝は、どこか懐かしそうな、それでいて悲しそうな顔をする。ナイトメアについて、公式発表するもの以外にも情報を掴んだのだろう。


「……あやつは、人を殺めるとき決して魔法は使わぬ」

「それはどういう…」

「宮。ユキのこと、よろしく頼むぞ」


 皇帝は、急に真剣な顔をしてそう言ってきた。鋭い眼光が、今宮を貫く。しかし、言い終わると、いつもの優し気な表情に戻った。

 今宮は、彼の言ったことを理解できなかった。その意味を聞こうとしたが、彼はそのまま中庭を抜けて自室の方へと行ってしまう。

 今は、追ってはいけない気がした。


 今宮は、しばらく幻術でできた桜吹雪の風に体を任せその場に立ちすくむ。


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