422 第25話10:RAGE of DUST
「いいですか!? 5分です! それが限界ですよ!?」
「承知した、かたじけない」
第一王子の護送部隊を率いる部隊長はそう勢い込んでは言ったものの、頭まで丁寧に下げた相手の素直過ぎる態度にややバツが悪そうな表情に変わる。
「……いや、あなたがその気になれば、我らなどモノの数ではないと理解しております」
「ぬ?」
「先日のクラーケン戦にて、私もあなたに命を救われた一人でございます。我々としては、稀代の英雄であるあなたの行動を信じる他ありません」
「英雄か。……あの戦いは儂らだけでなく、モログやランバート、仲間たちやその他多くの協力あってこその結果であったのだが……。まぁ、貴殿の信頼には充分応えるとお約束しよう」
「分かりました。我々は少し離れたところで待機しております。用が済み次第、お声がけください」
「うむ」
ハークからすれば、ヤケに素直な兵士は一礼すると言葉通りに踵を返して離れていった。振り向きもしない。
別に一悶着を起こしたかった訳でもないが、少々拍子抜けしつつもハークは道端の、路傍の岩に腰掛ける手枷をはめられたままの青年の元に歩み寄り、その横に座った。
どちらも自身の正面を向いたままで、無言の時間がしばらく続く。
先に話しかけたのは、アレスの方であった。
「……どうやら、まだ生きていけるようだ……」
「そのようですな」
そしてまた双方再び無言となる。どちらも穏やかな表情で、未だ正面を向いたままである。
ここで初めてアレスが、目線だけを向けて訊ねた。
「貴殿のお陰なのだろう?」
ハークは苦笑する。
「まさか。アルティナやアルゴス殿のご温情でございましょう」
「ふむ、そういうことにしておくよ」
アレスは一人で納得し、フッ、と笑う。
本当のことなのだがなァ、とハークは心の中で思った。結局アレスの行く末を完全に決めた議会とやらにも、ハークは参加できていないのだ。参考として意見を聞かれることもなかった。
「俺の流刑先は、ソーディアンと決まった」
「聞いております。良いところですぞ」
アレスの死刑には古都ソーディアンの領主を務める先王ゼーラトゥースも反対していた。その代わりということでもないが、彼の身柄引き受けを早期に表明していたらしい。
ゼーラトゥースの実姉もそうなのだが、造反、または背信行為の末に王位継承権を永久剥奪された王族はモーデルとはいえアレス以外にも歴史上何名かいた。
そうした人物の受け入れ先としての街が、この国にも幾つか存在する。ソーディアンも元々その内の一つであった。
「そうか。ならば数年後が楽しみだな」
「数年後?」
「ああ、俺はソーディアンで、
「成程」
妥当な措置とも言えるかもしれない。未来がどうなるかなど、誰にも判らない。だがゼーラトゥースであれば、過去ではなくその時のアレスをしっかりと視て、判断してくれるだろう。
ただ、幾つか気になることもある。凋落した貴族の屋敷というのもそうだが、何より奪われる時間であった。
「2年か。少々、長すぎますな」
アレスの実年齢は確か20歳そこそこだった筈である。前世のその頃の自分に当てはめて考えてみれば、力は身の内より常に満ち満ち溢れ、世は美しく全てが輝いて見えた時代だった。
そんな時代を最低2年間も閉じ込められて過ごすなど、自分だったら我慢ならないに違いない。
「仕方ないさ。俺の増長が招いた結果だ。人を殺せなどと指示した憶えは無いが、世間はそうとは思わん。これは、俺が生きる限りついてくる問題だ」
本当にほんの一瞬だけアレスは哀しい表情となったが、すぐに元の表情を取り戻していた。
その様子にハークは彼が、享受するしかない現実を何とかして乗り越えようと、独力で懸命に足掻いていることに気がついた。
なればそれ以上、少なくとも現時点では他人がとやかく言うべきではない。そう考えてハークは無言になり、双方共に言葉の無い時間が再び訪れる。
静寂を打ち破ったのはまたもアレスであった。
「そんなことより、な。先日、貴殿の祖父ズース殿から護送前の最後の検査を受けたのだが、驚いたことに、その際に私にも魔導の才があると判明したよ。なんと、貴殿と同じ水の回復魔法だそうだ」
「ほう、そのようなことが?」
ズースとは毎日会って話しているが、初めて聞いた話題だった。祖父にとって王位継承権を逸失したヒト族の国の王子のことなどまるで興味無く、貴重な孫との時間にまで語り合いたい事柄ではないのだろう。
ただ、そんな祖父との語らいの内で、今急速に頭の中へと思い起こされたこともある。
それは、ヴィラデルがレベル上昇の末に上位スキルを取得し、その影響で上位まで習得可能な属性魔法の種類が増えたことに端を発し、何がその人物と特定の属性との親和性を高める要因であるのかを質問した時であった。
「ふむ。ヒト族を含め多くの他種族から『魔法の申し子』と呼ばれる我らエルフ族でも、未だ解明されておらぬ難しい問題じゃよ。ただ、仮説はある。二代前のアルトリーリア長老が提唱した説じゃ」
そう前置いてズースは説明してくれた。
「属性との親和性は、本人の気質、性格と大きく関係、影響を受けるというものだ。火は闘志あふれる性質を好み、水は清流と濁流のように二面性を理解する者を愛し、風は自由を知り愛する者を慈しみ、土は全ての者に対する優しさと慈愛の精神を持つ者を守護するというものだ」
「ほう。氷と雷の属性は、いかがなのでしょう?」
「その頃の氷と雷属性はまだ一般的な属性ではなく、数も少なかったので統計的に事例が足りず、結論が出ていなかったよ。じゃが、彼の息子か甥がその研究を引き継いでいて、やや不確定ながらも氷は合理的で無駄なことを嫌う気質の者が多く、雷は革新的あるいは奇抜な考えに至る者が多いとの傾向が確認されたのだそうだ」
「面白いですな。となるとヴィラデルは元々、自由で無駄なことを嫌い考え方が奇抜である、ということですか。当たっている気がしますな」
「それが長き時の旅路と経験によって変化した、いや、影響を受け変わった、とも言えるだろうね。他ならぬハーク、お前も同じだよ」
「え?」
「ハーク、お前も元々の得意属性は水と土だった筈だ。火はともかく、風は不得意属性だったんだよ」
「そ、そうなのですか?」
またも意図せずに藪蛇を踏んでしまったかとその時は内心焦ってしまったが、その後のズースの発言で取り越し苦労となる。
「うむ。とはいえ、報告された事例数こそ少ないが、稀にならば起こることでもある。人生の価値観が大きく変わるような出来事に遭遇し、考え方が変わった、などというようなことでな。お前も外の世界に出て、そういう経験と機会を得たということなのだろう」
ズースには悪いが、ハークの場合は気質などではなく、根柢の魂から入れ替わってしまっただけである。
が、アレスの場合は祖父が言うような経験をした上で、ということなのかも知れない。
二面性。世の中が聖と邪に色濃く分かれていることなどなく、清と濁が混ざり合って混在すると、今回の事で否応なく痛感させられたのかも知れなかった。
アレスは自嘲するように言う。
「俺も、この歳になってそんなことがあるのか驚いた。ただ、恥ずかしながら俺には魔法に対する知識がほとんど無くてな……。良ければご教授願いたい」
座りながらも、できるだけこちらに身体も向けて、頭も下ろしていた。
「教授などと……、そんな大それたものは儂にはできませぬが、……そうですな、相手を助けたいという気持ちさえあればよろしいかと思いますぞ」
「相手の事を、助けたい、か……」
「ええ。後は、人体の構造と機能を頭に入れておくことですな。水属性回復魔法は万能性がありますが、土属性のものと比べて消費魔法力が高く、適当に使うとすぐに魔法力が枯渇してしまいます。土魔法使いに任せられるところは極力任せ、水属性でなければ治せぬところ、または応急として必要な箇所を頭に入れておくと良いでしょう」
「なるほど、正味2年以上もあるのだ。丁度良いのかもな。……さて、そろそろ約束の時間か。俺なんかの護送のために働いてくれる者達を、あまり待たせる訳にもいかん」
そう言って、アレスは立ち上がる。視れば、彼の視線の先で護送部隊の面々が、旅の再開準備を進めているところであった。
彼らの元に去ろうとするアレスの背中に向かって、ハークは声を掛ける。
「アレス殿」
「ん?」
アレスはくるりと振り向く。
「もし……、その先をとお思いになりましたらジョゼフ=オルデルステイン殿を尋ねなされ」
「ジョゼフ? どこかで聞いたことがある名だ」
「ソーディアンの冒険者ギルド長を務める人物です。貴殿のお心が伝われば、ゼーラトゥース殿がご紹介してくれるでしょう」
「そうか、了解した。助言に感謝するよ」
そう言って再びアレスは元の方向に向けて歩みを進めていく。
その背は、とても20代前半の若者の者とは思えなかった。達観したと言えば聞こえは良いが、老成したと表現しても良いように感じられて仕方がなかった。
何か、あと一つ、あと一言だけでも声を掛けてあげたい。そう思ったが、言葉が出てこなかった。悩んでいるうちにふと気づくと、護衛部隊の方向へ歩いていた筈のアレスがその途上で立ち止まり、自分に身体の正面を向けているのが眼に入った。
「エルフの剣士殿!」
アレスは離れた場所にいるハークにも聞こえやすいように声を少しだけ張り上げた。そのまま続ける。
「ありがとう! 俺の国と、俺の心を救ってくれて!」
何を言うんだ、とハークは思った。
儂は君の夢と人生を壊した張本人だ。恨み言と、思いつく限りの罵詈雑言をぶつけるべき相手なのだ。そう言ってやりたかった。だが、アレスはまだ言葉を続けていた。
「君が俺に言ってくれた言葉を胸に、俺は生きるよ! できることと、やれることを精一杯やって! そして、そんでもって、生きるだけ生きられたら————、」
ここでアレスは笑顔を見せた。意識的なものではあったが、今の彼にできる精一杯の笑顔を。
「————野垂れ死のうと思う! ……もう会える機会もないだろうからここで言うよ。さらばだ、我が心の師よ」
未来に期待など抱くべくもない、さりとて絶望に沈むでもない。これから自分に待つ、国賊としての未来を受け容れて、それでも尚、自分のできることやれることをやろうという、言葉通りの意思がその笑みに現れていた。
結果など変わりはしない。状況は悪化することはあっても、好転することは皆無に違いない。彼はその全てを理解し、その上で、いつ死ぬとも分からぬ荒野に、明けぬ夜に旅立とうとしている。
他者からの承認を受けられることもなく、伴侶を得られることも恐らく無いだろう。それは則ち家族を持つこともないままに、人としての幸福を得られる機会のないままに、言葉通り野垂れ死ぬことになるのだと。
最早振り向くこともなくアレスは去っていった。護送部隊と共に、彼らに連れられて行く。
ソーディアンへと向かって進む彼らを無言で見送りながら、手を振ることすらできずに、ハークの脳裏にはアレス最後の笑みが焼きついていた。
前世で様々な経験得て、いわゆる酸いも甘いも嚙み分けたハークからすれば、覚悟さえも超えた『良い笑顔』であると表現しても良かった。
だが、だがである。
決して、20そこそこの若者が浮かべて良い笑みではなかった。
本来、未来に希望を抱くべき青年がして良い表情ではなかった。
ハークは両拳を力の限り握る。血が滲もうとも構うことなく。
そうしなければ、あの青年の夢と命を己が目的のため利用し、何の責任も取ろうともせぬ者たちへの怒りを、この場で解放してしまいそうだった。
主が怒りを抱いている。
虎丸の立つ位置からではハークの表情を伺うことはできないが、そんな必要も無いほどに良く分かった。
そして最近の虎丸は、親しい間柄の人物に限るのだが、その怒りの質さえも匂いで判別ができるようになっていた。
この匂いは、かつてソーディアンで操られたドレイクマンモスに主が出会った時と同じ質の匂いであった。
ハークの視線はいつの間にか東へと向いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます