376 第23話08:とある『エルフ』
アレスは続ける。
「ただ、この洗脳魔法は普通の人間、魔法の才を持つ人間であっても習得するのは容易ではないらしい。ボバッサによれば、使用出来るのはあいつ自身と本国にいる宰相イローウエルだけだと聞いている。一千万人に一人の才覚であると自慢げに語っていたよ。帝国人の自慢はかなり大げさになることが多いから、俺は実際にはその十分の一くらいだとも思っているが、それでも百万に一人だ。希少であることには間違いあるまい」
ボバッサとは、第一王子アレスの身辺を守っていた親衛隊の中で、明らかに中心的な役割を担っていた人物である。
帝国からアレスについてくる形で、ほとんどなし崩し的に彼の親衛隊の座に収まった帝国貴族の若者たち、そのほぼ全員がレベルが高いだけの能無し共であった中で、ボバッサだけは唯一と言っていいほどに油断ならない能力を秘めていた。他の連中が甘やかされた貴族のガキに毛が生えた程度とするならば、彼だけは訓練された軍人そのもので、アレスのこともよくコントロールしていた。
ただ、所詮は帝国の人間だったのだろう。不用意に『連座制』などというものを持ち出し、アレスの将来にトドメを刺した。
そんなボバッサだが、一年ほど前のある時期、片腕を負傷し三カ月近く吊っていたことがある。彼のレベルは不注意による転倒や、間違っても階段を踏み外したくらいで負傷するようなものではないため、城内はすわ何者かに襲撃でも受けたのではないかと一時期騒然ともなったが、結局ボバッサ自身や帝国より抗議が届けられることもなくそのまま終息を迎えている。
アルゴスはこれを持ち出した。
「そのボバッサ殿ですが、一年ほど前に腕を負傷し、しかも私が何度薦めても王宮の回復魔導師に診せることはありませんでしたね。当時は、こちら側の魔導師に何かされることを懸念してのことかとも思いまして、いくら何でも警戒が過ぎると感じたものですが、まさかあれが関係していたのですか?」
「……フッ、さすがはこの国の宰相を長く務めただけはあるな……。貴様の言う通りだ。俺は自分で魔法が使えないので詳しくはないが、洗脳魔法は既存の魔法とは全く違う。まず、同時に洗脳できる数が決まっていて、ボバッサは両腕の数のみ。つまりは二人までだ。帝国の宰相イローウエルは両手両足を
アルゴスは少しだけ考え込んでから質問を再開する。
「殿下、
「うむ。犠牲にする、という表現は近いな。とは言っても、上手くいっている時には全く問題はない。普段通りに振るえるし、魔法も洗脳魔法以外であれば普通に使用ができる。……しかし、何らかの要因で洗脳魔法が強制的に解除された場合、使用した方の腕が骨の芯の近くまで焼け焦げる。この負傷は回復薬や回復魔法では治らん。治しても、すぐに元の状態へと戻されていた。ボバッサは呪いが返ってきた、などと言っていたな。丁度、日が沈んだ頃で起こったので、
「強制的に解除? そんなことができるのですか? いえ、それよりも誰に? いいえ、それよりも誰に今かけられているかが重要か……。殿下、お願いです。今現在、ボバッサ殿が洗脳魔法にて操っている人物、そして過去に操った、操ろうとした人物をお教えください!」
「ふん、……アルゴスが俺に願い事など珍しいな。存外気分の良いものだ。いいだろう。全て語ると言ったのだからな。今現在、ボバッサの洗脳魔法がかかりっ放しなのは、王国第一軍の軍団長ルーカー将軍だけだ」
「……やはり……!」
「ただな、洗脳魔法と言っても実は全く万能ではない。その人物の心に全く存在しない考えや思いを発生させることはできないと言っていた。例えば、……そうだな、虚栄心やライバル心を増幅させるんだ。そして捻じ曲げて従わせる。ボバッサはそう説明していた」
「充分、恐ろしい魔法です」
「いや、まだあるんだ。この魔法にかかっても、かけられた方の人物の元の人格は絶対に失われない。だから、時間が経てば経つほど効きは弱まってしまうのだ。これを防止するためには数週間に一度はかけ直しを施す必要がある」
「ということは、ある程度頻繁に、実際に顔を合わせないといけない、と?」
「そういうことだ。効果の弱まり方は人によって差異がある。ボバッサによると一カ月から半年もの開きがあるらしい。この辺は研究課題だとも言っていたが、恐らく本来の人格を強く捻じ曲げた方が短い、と言っていたよ」
アルゴスは再び己の考えに沈む。
王国第一軍軍団長ルーカー=ウィル=サザーランドが、第三軍の軍団長レイルウォード=ウィル=ロンダイトに対して強いライバル心を持っていたのは周知の事実だった。彼らは歳も近いし、子供の年齢も同じなのがいるくらいだ。常に比べられてきたのである。
しかし、アルゴスからすれば、ルーカーのライバル心は強いとはいえ健全な範囲に収まっており、問題視したことはなかった。それが最近、ここ一年ほどでは、眼に余る行為が多くなってきている。
ただ、彼は王都の治安が悪化した責任を自ら言い出し、現在蟄居と称して自邸に引き籠っていた。
「もしや、彼が自ら王都の治安問題に言及して蟄居したのは……?」
「本当にさすがは我が国の元宰相だな。ルーカーには既に一年近くも洗脳魔法を施している。正確なことは分からなくとも、何かがおかしい、それは自分が王城に行った時に強くなる、などと勘づき始めているのかも知れん。それでも、この王城の防御が解かれないのは、まだ洗脳が効いている証拠とも言えるのだろうがな」
「それで第一軍は、この城の防御のみで、第三軍や地方領主軍相手に打って出るような素振りは微塵も見せていないのですね。ありがとうございます、謎が一つ解けましたよ。次は過去に洗脳魔法を施そうとした人物、そして実際に一度は成功した人物についてお教えください」
「計画だけなら結構な数にのぼる。まずは父上、次にお前だ」
「私ですか?」
「何故意外そうな顔をしている? 当然だろう。この国の頭脳筆頭だ。しかし貴様は、大した抵抗を見せることもなく宰相の座から退いてしまったからな」
アルゴスは黙って肯く。しかし表情は相変わらずであろうとも、内心は戦慄していた。あの時の己の選択が、その後の自分の人生だけでなく国の行く末にも関わりかねなかったと、今更ながらに判明したからである。
「他に第三軍の長レイルウォード、第二軍の軍団長、議長に王都の衛兵長、さらには冒険者ギルド支部の支部長というのもあったが、アレはこの国では珍しいくらいに俺に媚びてきたからなぁ。洗脳なぞ必要無かった。そう言えば最初期にズースにも仕掛けようとした」
「ズース様? 王国筆頭魔術師のズース様ですか!?」
この時ばかりはアルゴスをわずかながら鉄面皮を崩した。アレスはそれに気づかず続ける。
「ああ。しかし、ボバッサのやつが嫌がったんだ。亜人の考えることなど分からん、と言ってな。貴様も良く知っているように、帝国人だけでなく多くの東大陸人は亜人を嫌う。だが、個としての戦力は将軍より上、と聞いていたからな。俺が説得して、やらせることにした。しかし、いざボバッサが実行しようとしたら、避けられたらしい」
「避けられた? いや、避けることが可能なのですか?」
「普通なら無理だろう。洗脳で
ここでアルゴスはまたも自分の考えの中に沈む。この状態となっても周囲の状況を正しく認識、記憶できるのがアルゴスの長所だった。
たった今、アレスが語ったのは間違いなく重要な話である。彼は伝え聞いただけだが、もし事実だとすれば、あのエルフの御仁は洗脳魔法について、何らかの知識を持っているのかも知れない。アレス自身も語ったように、偶然でなければ、だが。
「次に、実際に洗脳魔法を施した人物だが、そんなワケでズースのいる場所では仕掛けられなくなった。王国第三軍の軍団長将軍レイルウォードは、これが理由で断念せざるを得なくてな。そこでやつの息子に使用することにした。第三軍軍団長の将軍家では、近く次期将軍職を受け継ぐ人物をレイルウォードの三人の息子の中から決定するとは、俺も聞いていたからな。
「ではまさか、ロウシェン=ロンダイトを!?」
「そうだ。しかしな、あいつが冒険者ギルドの寄宿学校に入学してしばらくのことだ。当時、古都ソーディアンは発見された『魔物の領域』戦が大詰めを迎えていて、それに一部の成績優秀な生徒たちを参加させ、さらにレベルアップを図らせようと王都のギルド寄宿学校が遠征隊を企画したんだそうだ。もちろん、ロウシェンもその遠征隊に参加したんだが、あいつが王都を離れてしばらく、確か二、三週間ほど経ったくらいだったか。急にボバッサが苦しみだした」
「先程の、強制解除の反動、のようなもので、ですか?」
「そうだ。遠征前に重ね掛けはしっかりと行っていたから、時間切れ、ということはまずあり得ん。しかも、あいつにはルーカーに比べて洗脳魔法がよく効いてもいたからな。何者かの仕業以外考えられなかった。俺たちは原因、というか可能性を探ったよ。使える限りの伝手を使ってな。そしたら王都のギルド支部長から興味深い情報を貰った。古都三強と呼ばれるソーディアンの実力者の中にエルフが一人含まれている、と。改めてそのエルフに絞って調査をしてみれば、そいつは一時期、ソーディアンのギルド寄宿学校の講師にも就任しておるではないか!」
アルゴスは腹の中で確信していた。
間違いなく、ヴィラデルディーチェ=ヴィラル=トルファン=ヴェアトリクスのことであると。
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