250 第17話13:説得




「⁉ じい⁉ 生きていたのですか!」


 彼女は顔を頭巾の様なもので覆っていたが、一瞬嬉し気な表情を見せたようである。しかし、すぐにそれを険しいものへと変えた。憎悪の表情へと。


「じい! あなたが売ったのですか⁉」


 じい、と呼ばれた割には年若く見える壮年の男性は手枷を嵌められつつも、特に隣のベルサに肩や腕を抑えられるでもない。その状態でゆっくりと首を横に振った。


「売れる売れないはお頭が良くご存知の筈でしょう?」


 彼の言う通りである。彼ら侵入者達は近くをワレンシュタイン軍側の人物が通っただけでも隠れ家を移動し、更に定期的に細かく場所の転換をも行っていた。

 元々の所属であっても暫く部隊から離れさせられれば、多少の予測が立てられるのみであり、正確な現隠れ家の位置を割り出すことなどできはしない。

 だが、激昂する彼女にそんな判断が可能な訳はなかった。


「しかし! ならば、なぜ生きているのです!」


「…………」


 壮年の男は辛そうに眼を閉じた。

 彼の心の内はこの時、苦いものでいっぱいであった。頭領の言葉の意味は解っている。なぜ、敵に捕らえられ生き恥を晒しているのだ、自決することもせずに。そう言っているのである。

 一族の規範を見せねばならない重鎮として、死よりも辛い選択だった。

 が、女首領にそれが伝わる筈もなく、追求が止む訳もない。


「答えなさい‼」


 再度の質問に、彼はゆっくりと両目を開き答える。


「……それは……、お頭に新たな提案をする為です」


「提案⁉」


「はい、降伏をするべきです」


 首領の眼が限界まで押し開かれる。誰が視ても狼狽していると分かるほどだ。次いで、再び憎悪を瞳に宿らす。


「……裏切ったかァアーッ!」


「いいえ。裏切ったのではありません。一族の将来を考えての事です」


「一族の、将来だと⁉」


「ええ。このままでは、我らは一人残らず殲滅されるでしょう」


「だからこそ、ここで戦力の補充をしようと……!」


「それは不可能でした。理由は簡単な話です。レベルはおろか、練度や人数、能力の差で、この領の兵員には絶対に敵わないからです。現にただの一人も、我らは奪えていないではありませぬか!」


「まだこれからです! これからの筈なのです!」


「そう言って何人失いましたか⁉」


「任務に敗れ死ぬのは当然の事です! そう教えたのは、じい、あなたでしょう!」


 その言葉に男はまたも瞑目すると、苦し気な表情を思わず浮かべる。歯軋りすら聞こえそうなほどに奥歯に力を籠めていたが、やがて、口を開いた。


「人員の内、四分の一を失えばもう充分です……」


「今更降伏したところで、命の保障など何もないでしょう!」


「いいえ、領主ランバート殿から確約をいただきました。速やかに抵抗を止めて恭順し、帝国の内部事情など、全ての情報をワレンシュタイン軍に公開するというのなら、我らの命を助け、それどころか新たに住む場所すら与えてくれるお約束です!」


 首領は仰け反るように驚愕を見せた。


「帝国を……! 皇帝を裏切れと申すのか⁉ 皆殺しにされるぞ⁉」


「この地ならば、奴らもそう簡単に手など出せません。それに、このままでは我らは全滅確実です! 作戦を成功させること無く帝国の地を踏むことはできません! それこそ、役立たずとして今度こそ処分されるでしょう! 不要なものとして、皇帝か直属の部下たちのレベルアップの生贄に捧げられるのですぞ!」


「……だからと言って、敵にこうべを垂れろと言うのかッ⁉ 生き恥を晒し、我らの誇りも捨ててまで! 貴様、死んだ者達に申し訳ないと思わないのかッ⁉」


「死した者たちに引き摺られてはいけませぬ! 今、生きている者のことをまずお考えくだされっ! この地にて潜伏する人員が我らが技術最後の伝承人です! もはや里には戦えぬ老人、子供、そして女子おなごしかいないのですよ⁉」


「その里はどうする⁉ 見捨てろと言うのかッツ⁉」


「……今は致し方ありませぬ」


「……な……⁉ ふざけるな!」


「今はこれ以外、成す術がないのです! 作戦の成否は絶望的! 帝国に帰ることすらできませぬ! ならばこの地にて敗者の汚濁に塗れても生き延び、いつか里の家族を救出することを考えるべきなのです! 幸い、この任務は期限を設けられてもいませぬ! この地にて留まるだけであるならば、帝国の皇帝とて裏切りと即座に断じることはできぬでしょう! そうすることでしか、我らが生き延びる道は、ありはしませぬ!」


「先祖伝来の土地を捨てろというのか⁉」


「土地がっ! 何だと言うのですっ!」


「⁉」


 男の腹の底から出た言葉の圧力に、頭領は明らかに気圧されていた。


「土地などどこであっても、我らは立派に生き延びてきたではありませぬか! そのしぶとさ、はしこさこそ我らが信条! そりゃあ、最初は苦労があるでしょう! ですが、我らが全滅し、受け継いできた技の数々が失われてしまえばそれこそが最後なのです! 土地などよりも、今を生きる彼らの事をお考えくだされ! もし先代が生きておられるなら……、御父上様もそうお考えになる筈です!」


「ち、父上が⁉」


 彼女は、見るからに動揺の極みに達していた。それを視て宥めるような口調に男は変わる。


「どうか、落ち着いてもう一度考えてくだされ。既に計画は破綻していたのです。亜人の兵たちは視覚だけでなく、嗅覚、聴覚を使って我らを包囲しました。今だって、たった一時間少々で、この場所を発見せしめたのです」


 発見できたのはハークの従魔であり、魔獣の進化体たる精霊獣、虎丸の力なのだが、敢えてハークは話の腰を折ることなく無言のままでいた。


 これがランバート、並びにその長男ロッシュフォードの考えた策であった。

 虎丸の索敵範囲、そして探知能力は予想以上である。戦力的にも大きく有利を維持している。

 もはや侵入者達を全滅させることも、決して難しいことではない。

 しかし、ランバートら親子二人は侵入者に対しての殲滅ではなく、こちら側に引き入れる手段を選択したのだ。これにより、帝国に対抗するための情報戦を、一歩有利に進めることができるために。

 憎悪に囚われるでもなく、未来のために実のある選択を行ったのだ。



 だが、混沌の極みに達し、首領は思わず視線を彷徨わせていた。何かを探したり、探っていた訳でもない。単なる転移行動だった。

 悪いことに、それがハークの姿を偶然に捉えてしまう。

 先代である亡き父のことを思い出した次の瞬間に、その仇であると定めていた者の姿を見咎めた彼女の精神が暴発するのは必然だった。


「キ、貴様ァアアアアーーー! 父上の仇ィイイイイイーーーー!」


 突然の激発と突進に反応できた者は数少なかった。これは既に大勢が決し、作戦の、特に戦闘部分が既に終了したものと気を抜いていた者が大半だったからだ。

 実際に、彼女がこの時この瞬間にハークの姿を見咎めていなければ、全てを捨て去るかのような特攻はしなかったし、できなかったであろう。そのような精神状態に至ることすらなかったに違いない。

 この戦闘行動には、実力者たるフーゲインやエヴァンジェリンでさえ想定していないものであった。


 腰の直剣を抜き、刺突の構えで殺到する首領。意外な速度でハークに迫る。

 とはいえ、常住坐臥戦いに備えるハークが気を抜くことなどない。彼と彼の周りは状況の大方に入らぬ者ばかりであった。

 充分な余裕をもって迎撃しようとしたハークと虎丸であったが、二者とも途中でその動きを止める。


 横合いからもう一人、全く気を抜かなかった人物がハーク師匠の前に割って入ったからである。


 火花と共に、刃を刃が受け止めた音が周囲に響く。


「貴様……! 邪魔をするなアッ‼」


 首領は尚も激昂し吠える。その拍子に被っていた頭巾がはらりと落ちて、顔面と長い黒髪を後ろで束ねた姿が顕わとなったが、構う事なく押し切ろうとする。

 しかし、自力の差と武器の違いにより、簡単に撥ね返されていた。


「そんなに暴れたいのなら、私がお相手しよう!」


 『長巻』を流れるような動作で構え直しつつ、リィズが高らかに宣言した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る