第二部 第三章 天津国(−2の2)

 同日、午前十時

 天津軍本部、大会議室前廊下


 開かれた扉の向こうには、予想通り6名の人間がいた。


 肥えたものに痩せたもの、髭を生やしている男に禿頭とくとうの男…。細かな作りに違いはあったが、総じて壮年期にある年頃の男で、胸元にぶら下がっている複数の勲章とそろいの肩章から彼らが将官の位にあることは容易に推測出来た。


 彼らはどういうわけか全員、用意されている椅子には腰を下ろしておらず、片桐の方を向いて立っていた。


 奇妙な雰囲気を感じ取り、片桐は一瞬、足を止めた。


「どうぞお入りください。片桐殿」

 後方の墨河村に促され―、

(取って食われはしないだろうな)

 そんなことを思いながらも足を踏み入れる。


「…失礼します」


 これまで自分よりも階級が上の者に礼遇された経験などない。

 戸惑いながら、片桐は止めた歩みを再開し、部屋の奥へと進む。一つぽつんと置かれた椅子、男たちとは対面になる席へと腰を下ろすように指示されたので、それに従う。

 椅子は思っていたよりもずっと柔らかかった。


 天津軍人達は片桐が腰を下ろしたのを確認した後、自分達の椅子に座った。全員が着席した後に、入り口の扉が外から閉ざされる。

 閉扉の残響が消えた頃、軍人の一人が口火を切った。


「ようこそおいで下さいました、片桐殿。楢崎ならさきかむりと申します」


 軍人然とした男だった。座っていても体躯が厚く、上背があることが分かる。白髪交じりの頭髪を後ろに流し、顔面の右側に大きな火傷の跡がある。

 

「本来ならば、こちらが出迎えに行かなければなりませんところを、わざわざご足労願いまして恐悦至極にございます」


 楢崎冠と名乗った男は、そこまで言うと、片桐に向かって平伏した。他の男たちもそれに倣うように頭を下げる。

 あまりの居心地の悪さに、片桐は口を開く。


「いいえ。礼を言わなければならないのは私の方です。和泉小槙大尉のお力添えでもって、舛田の地は救われました」

「国命ではありませんでしたがね」

 憮然として楢崎冠は返す。彼は、そのまま、

「無許可の国外渡航、国有能力の解放…、決して褒められたことではありません」

「しかし、助けていただいたのは事実です」

「…結果としては、そうですね。それは、こちらとしても得るものが大きかった」

 楢崎冠はそこまで言うと、すっと目を細めた。やおら「本題に入りましょう」と告げてから、

「和泉小槙と…、約束を交わしたと報告を受けていますが、間違いありませんか」


「肯定です。自分の特性についてはほとんど理解出来ていませんが、和泉小槙大尉の恩には報いたいと思っています」

「恩とおっしゃるのは?」

「無論、淵主を鎮めてくださったことに対する礼です。義務であるとすら思っています」

「それは…、我が軍に入隊する意思があるということですか」

「それが最も合理的だと思います。ただ、私は母国において既に死亡したと扱われている身ですから、諸々もろもろの手続きが可能なのかは疑わしいと思っております」

「…なるほど」

 楢崎冠は呟くようにそう応えると、小さく息を吐いた。


 彼の後を次いで口を開いたのは、右端に座る男だった。苦笑いしながら告げてくる。


「あなた様は随分と和泉小槙のことを買っているのですね」

「どういう意味でしょうか」

 片桐が男に向けて質問する。

「彼女は大尉です。あなたとでは釣り合わないでしょう」

「…発言の御趣旨が理解出来ません」

 片桐は素直にそう応えた。

 答えたのは、楢崎冠だった。


「我々は、あなたを将官として、天津軍に迎え入れたいと思っているのですよ」


(冗談だろう?)

 片桐は胸中で驚愕した。


「不満ですか」

 楢崎冠が問うてくる。


「不満というより、理解が及びません。私の国津軍での地位は曹長でした。将官など、とても…、現実味を帯びた話ではありません」


「それでは、あなたの希望を教えて下さい。然るべき手続きを執りましょう。あなたが希望すれば、長らく空位となっている元帥の椅子に座ることも可能です」

「御冗談を…」


「片桐殿。あなたは自分で思っているよりよほど希少な存在なのです。奇跡と言っても差し支えない」

「しかし、それも和泉小槙大尉のような…、對精でしたか…、その存在があってのことなのでしょう」


「そんなことはないでしょう」

 再度、右端の男が口を挟む。彼は次いで、「あのような権能を披露しておいて―」

なか廣田ひろた殿」

 楢崎冠が男の名らしき姓を口にした。

 右端の男は申し訳ない、と謝罪を述べたきり押し黙る。


 室内に唐突な沈黙が満ちる。

 右の男が口にしたのが失言の類であることは、明らかだった。


(…一体、何のことだ)


 続かない説明に片桐が口を開く。

「何か…、私が知らない事実を把握していらっしゃるのですか」


 片桐は、舛田での事の顛末を知らない。

 気がつけば、天津軍籍の飛行戦艦の中だった。横たわっていた寝台の脇には、なぜか髪が短くなった包帯だらけの和泉小槙が座っていて、だから、彼女が何とかしてくれたと信じて疑わなかった。


 楢崎冠が発言を再開する。


「…淵主を鎮めたのは確かに和泉小槙です。けれど、正直に申し上げますとね、片桐殿。下品な言い方で申し訳ないのですが…、勿体ないのですよ。和泉小槙にあなたは」

「しかし」

「我が軍に所属している對精は、彼女だけではありません。もっとくらいが上の者がいる。数は多くありませんが、力はいずれも和泉小槙よりも強大です」


「私は何も天津に恩があるわけではありません」

 片桐の正直な告白に、座っていた男たちが一斉に息を呑む。片桐は続けて、

「和泉小槙大尉の役に立てるのであれば、肩書は何でも構いません。天津軍に所属する必要があるのかも含めて」

 楢崎冠は嘆息して、

「悪い話ではないと思いますが…。将官の位では、あなたの天秤には乗りませんか?」


「…先程仰られましたね。私が望む席を用意していただけると」

「老婆心ながら申し上げますが、あなたは和泉小槙の恐ろしさを分かっていない。あれは幼いだけではない。後悔しますよ」

「始めに楽をすると後が恐ろしいですから」

 それに、これからするであろう苦労の対価はすでに得ている。それは、和泉小槙が舛田の地を救うために尽力してくれたことだけではなかった。眼前の男たちに言って聞かせてやる義理もないが。


「そうですか」


 楢崎冠はそうとだけ呟くと、片桐から視線を逸らした。彼は、机上に肘をつき、交差させた両指で顔を隠すような仕草を作る。片桐は、意に沿わぬ回答にさぞ失望しているのだろうと推測していたが、どうしてか、彼は、肩を揺らしていた。


(嗤っている…?)


 室内に、徐々に楢崎冠の嗤い声が響いていく。満ちていく不穏な空気に、周りの男達(片桐自身も含まれる。)は、怪訝な表情で楢崎冠を見つめることしか出来ない。


 彼は、ひとしきり嗤った後、すっと覆っていた手を顔から外した。そこには、もはや先程までの笑みは無い。


(これは…、嵌められたか)


 失態を表情に出せるほど素直な性格ではない。それに、どうせ結論は変わらない。


 楢崎冠は厳しい表情で告げてくる。その時、彼は既に、片桐の上官と成っていた。


「それでは片桐補佐官、任務を口伝する。明日のイチマルマルマル、和泉小槙大尉と共に本部に出頭せよ」

「了解いたしました、閣下。御前、失礼いたします」

 片桐は起立して、敬礼すると、踵を返して出口へと向かい、再度敬礼の後、部屋から去った。

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