第二部 第三章 天津国(−1)
天津国
四月の第一金曜日
前同所、未登録附合建物(通称、飼育小屋)
それは奇妙な生き物だった。
細長い胴体の腹と思われる側には、20本程度の昆虫の脚のような形状のものが生えており、反対側の背中と推測される側からは、棘のような細い突起物が無数に生えていた。
胴の先端、一般的な生き物の場合、頭が付いている部分が胴よりも二周りほど太く、そこからは無数の触覚のようなものが、毛玉のように蠢いていた。目や鼻、口といった器官は何一つ確認できず、片桐は、この生き物を戦地から拾って帰ってきたという和泉小槙の父親の思い付きを、そして、その生き物に茶々茶丸という名を与えて、今日まで愛玩してきたという和泉小槙の感性を疑った。
率直に言って、正気の沙汰とは思えない。
道端に居たら迷うことなく銃撃している。そんな禍々しい姿だった。
(竜には数百もの種があると聞くが…)
つい先程、和泉小槙が追い払った竜も、爬虫類に似た姿をしていた。あまり充分に観察することは叶わなかったが、ここまで異様な姿はしていなかったはずだ。眼中の生物を眺めていると、魔物という言葉が脳裏に浮かぶ。
けれど、その実、その異形は、物語に登場する魔物にように暴れまわったりしているわけではなかっく、ただ、じっとりと、巨大な飼育小屋の隅からこちらを(というより、片桐の隣に立つ和泉小槙を)見つめているようだった。
眼球も確認できないが、体全体から溢れている空気、そして、和泉小槙の狼狽した様子から、その視線が、観察などという代物ではないことを悟る。
(これは非難だ)
「違うんだ、茶々」
和泉小槙が口を開く。彼女の上衣は、道中の竜退治によって、両腕の部分が破れて無くなっていた。
彼女は、剥き出しになった両腕を曲げると、両手のひらを竜の方へと向けた。近づきながら弁明する。
「決して忘れていたわけじゃない。色々あって戻れなかっただけだ。私は常にお前のことを考えていたのだぞ。あ、髪のことか?ちょっと色々あって、千切れた」
和泉小槙はそんなことを言いながら、じわりじわりと竜に近づいていくが、竜は無情にも頭を部屋の隅へとむけた。どうやら拗ねているらしい。
(…初犯ではないのだろうな)
そんなことを思いながらも、片桐は事の成り行きを見守る。
「ああー。茶々…」
和泉小槙が情けない声を上げてを足を止める。彼女がこちらを振り返る直前に、片桐は口を開いた。
「私を巻き込まないでください」
「だってあいつ、私が新たな竜を連れ帰って来たと誤解しているから」
「竜?」
発言の趣旨が分からず言葉を繰り返すと、和泉小槙は無言でこちらを指差した。
「…心外です」
「茶々は、私が片桐を愛玩するのだと誤解している」
「愛玩…」
片桐は和泉小槙の言葉を繰り返す。色々と思うところはあったが、とりあえず、一旦、最も気になっている問いを口にした。非難の類いと言っても良い。
「餌の問題ではなかったので?」
「餌は自分で何とかしたらしい。 見ろ。足元に餌の袋が転がっているだろう?」
「予備を置いていたのですか?」
「いや自分で母屋に取りに行ったんだろう」
「はぁ、それはまた…賢いことで」
では一体何のために、あのような國津軍人としての
「銀竜の亜種だからな。知能は高い。人語は語れずとも意思疎通は可能だ」
和泉小槙は両腕を組んで、満足げに頷いた。
その後ろでは、
自分の中での疑問が解消(黙殺ともいう)されたので、片桐は次の質問へと移る。
「
片桐は和泉小槙の背中に尋ねる。
「うん?まあ、定義にもよるが一般的には竜に近いだろうな。茶々もお前から溢れる對素を感じ取っているのだろう。人だとは思っていないはずだ」
「そうですか…」
あれと同じか。
片桐は、嘆息しようとして―、止める。
人間の気配が近づきつつあった。数は十。和泉小槙邸の入り口付近に集まっている。
飼育小屋に遠くから呼び鈴が響く。
「…もう来たか」
和泉小槙が片桐の後方、入口の方へと引き返す。
横切った彼女をそのまま見送ろうとしていると、和泉小槙が振り返った。言ってくる。
「連中の目当ては片桐だぞ?」
「…不法入国を咎められるのも心外なのですが…」
「そういうのではなくて。ほら、
「あれは確か…」
片桐は記憶を探る。
第三階層である國津国に降臨した神が、第一階層である天津国に戻る話だったはずだが。
和泉小槙が明るい表情で告げてくる。
「きっと歓迎される。片桐。喜ぶが良い」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます