第十章 要岩(9)
和泉小槙はゆっくりと片桐の方を振り返ると、ふらふらと近付いてきた。そして、したり顔で片桐を見下ろすと、
「約束は果たしたぞ」
「しかと拝見いたしました」
片桐は立ち上がりながらそう応える。
視界の中、淵主なる異形の姿はもはや無い。
折れた二柱の要岩の惨状は、目を覆いたくなるほどひどい有り様だったが、それでも残りの四柱で何とか屹立している要岩の姿に、安堵の息が漏れた。
「ありがとうございました、大尉殿」
「こちらこそ礼を言う。これは貴官がいなければ成し得なかったことだ」
彼女はそう言って、要岩を仰ぎ見た。
銀髪が粉塵を含んだ風に靡く。
片桐は彼女の隣に立った。
常人の気配となった和泉小槙に尋ねる。
「…補給されますか」
「ありがとう。しかし、不要だ。もらっても、もう撃てない」
彼女はそう言って右の掌に視線を落とした。
「
「あれで…ですか?」
片桐は先ほどまでの和泉小槙の戦闘を思い出す。
「雄の
「少し頭痛がするだけです」
「そうか。初陣で無理をさせたな。すまなかった」
「それにしては遠慮がなかったように思いますが…」
「遠慮して勝てる相手ではなかったろう?」
「…それは仰る通り」
ふと、気配を感じて振り返れば、視界の中に人影が見えた。顔の作りまでは分からなかったが、着ている外套と気配でそれが遠野橘であることを知る。
和泉小槙が手を振ると、あちらも手を振って応えた。
「行こう」
和泉小槙に促され、片桐も遠野橘の方へと足を向けた。
折れた木々の間を抜けて、斜面を下る。
前を行く和泉小槙の背を見て、そして彼女を追う自分のことを想像して思う。
(…これからは、ここが俺のいるべき場所となるのか…)
和泉小槙の背を視界に収めて。主に遣える従者のように。
そう思うと、どういうわけか気分が高揚した。頭痛は未だ続いているのにおかしなことだ、と片桐は自嘲気味に口の端を上げた。
遠野橘は肩で息をしていた。
「お前は何もしとらんだろうが」
和泉小槙がじと目で言う。
「君たちみたいな化け物と一緒にしないで欲しいな…。第三階層で運動するのはしんどいんだよ」
「歩いてきただけだろう」
「こんな舗装もされてない斜面だよ?君は飛び越して行ってしまったから分からないだろうけど」
遠野橘はそう言って、和泉小槙に
「すまんな」
「大事にしなよ。特注品なんだろう?」
「気を付けよう」
和泉小槙はそう言って、太刀を鞘に収めた。
遠野橘がこちらに顔を向ける。
「片桐さんもお疲れさまでした。この子の世話は大変だと思いますけど、これからよろしくお願いしますね」
「まさか自分が鈴になるとは思いもしませんでした」
「私もです」
遠野橘が苦笑して言う。
その穏やかな表情に乗じて、片桐は疑問を口にする。
「貴族の娘を探していると言うのも虚偽だったのですね」
「いいえ。そう疑われても仕方ないとは思いますが、口実であって虚偽ではありません。私はここで菊乃を探していましたから」
「どういう意味」
唐突に言葉を区切って辺りを見回したのは、聞き慣れない音が鼓膜を揺らしたからだった。
(…まさか)
不穏な空気を察して空を見上げる。
瞬間、片桐は戦慄した。
それは弾丸を引き伸ばしたような形をしていた。
それだけだった。
片桐がそれだけしか理解できないうちに、それはもう役目を終えようとしていた。
一瞬の後、
それは、渇いた音を響かせて、要岩の一柱に激突した。
赤い光が視界に満ち、轟音に体が揺れるのが分かった。思わず目をつむり、反射的に両腕で顔を覆う。
体が爆風に吹き飛ばされる。背中を地面に強かに打ち付けるが、何とか受け身をとって、その場にうずくまる。
衝撃が過ぎ去った後、片桐は何とか顔を上げた。
そして絶望した。
視界の中に要岩は無かった。すっきりと片付いてしまった見慣れない空に片桐は困惑する。
「階層間弾道ミサイル…」
声の主は和泉小槙だった。
背後を振り返れば、銀髪を乱した和泉小槙の姿があった。
彼女もまた驚愕の表情で空を見上げていた。どういうわけか、その身体には、白っぽい岩の破片のようなものが降り積もっている。
片桐は何とか要岩を見つけようと視線をさ迷わせた。
けれど一向にそれらしきものは見当たらない。
かさりと片桐の頭から白い小石が落ちる。
片桐は恐る恐るそれを手に取った。
(まさか…)
結論から言えば、要岩は片桐のすぐそばで見つかった。
和泉小槙が死守した四柱の要岩は全て爆散し、大小無数の破片となって地面に散らばっていた。
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