第十章 要岩(6)

 天女のごとき女に手を引かれて空を渡る。

 そう言えば聞こえは良いのかもしれないが、現実は片桐に優しくない。


 和泉小槙が空気を蹴る度に、片桐の体はきしみ、肩が脱臼しかける。

 死なない体を持っているからと言って、痛みを感じないわけではない。むしろ致命的な傷を負いながらも死ねないというのは、死ぬよりも辛い場合が多い。


 和泉小槙が振り向いて言う。

「だからおぶってやろうと」

「それだけは拒否する‥‥!」

 片桐は必死の形相で叫ぶ。

 和泉小槙の正体の子細はよく分からないままだったが、中身はともかく姿形は完全に人間の女なのだ。國津男子としておぶさるわけにはいかない。


 和泉小槙が足を止める。とたんに弾んでいた片桐の体が落下を始め、和泉小槙にぶら下がるような形に成る。

 和泉小槙が顔をしかめる。

「重い…。貴官、どんな筋力量なんだ」

「もう下ろしてください!ずいぶん近づいたでしょう」

 片桐は大音声でそう言って、眼下を見下ろした。

 十 メートルほど下は山の斜面だ。木々は淵主の毒気に当てられて、紫色に変色して枯れている。


「しかし、ここでは足場が悪いだろう。地面に」

「大丈夫です。鍛えていますので」

 梁木通過で。

「それなら良いが」

 彼女は頷くと片桐を近くの広葉樹の幹へと近づけた。

 片桐は指先の力を抜くと、彼女もまたそれに応じた。手が離れる。


「では、御武運を」

「善処する」

 和泉小槙はそう言うと、大きく足を踏み出し、空気を蹴って凄まじい勢いで淵主の方へと跳んでいった。

 彼女の残像がそのまま光の道となり、稲妻のような轟音とともに暗い空に光の筋が走る。


 一度刻まれた淵主には、当初ほどの勢いはない。今や淵主は、触腕のような形から、紙切れのようなそれへと変化していた。相変わらず、青い炎のようなものをまとってはいるが、それも小さくなっており、鬼火のような勢いしかない。

 しかし、

(…なぜだ?)

 片桐は自問する。

 淵主の勢いは目に見えて衰えていたが、弱々しい姿をよそに、気配はそこまで衰えていない…、ように思えた。


(殺すわけにはいかないのだろう)


 どんなに危険な存在だと憎悪しても、淵主はこの星の土台なのである。死んでしまえば、星そのものがどうなるか予想もつかない。


 そもそも、淵主の姿を目視するのも、の気配を感じるのも初めてである片桐には、それが通常なのかも分からない。

 伊具栖事災の最後、天津軍がどうやって淵主を鎮めたのか、片桐は知らなかった。それは天津軍の軍事機密の一つで、國津軍の曹長ではとても権限が足りなかった。


 しかし、和泉小槙はそうではない。彼女はおそらく伊具栖事災の顛末を知っている。彼女は天津軍の尉官であるし、それに加えて被害者の親族なのである。

 事はもう彼女に任せるしかなかった。

 歯痒いが仕方がない。次回、同じような思いをしないためには少しずつ精進するしかない。


 和泉小槙が淵主に迫る。

 彼女は刀を振り抜くと、刃のような形をした巨大な光が和泉小槙から発せられた。淵主の体が細切れになる。

 止めを指すのか、と思ったとき、唐突に和泉小槙がこちらを振り返った。


(止めを)

 刺したのだろうか?

 しかし、和泉小槙は、 

 

(げろ?に、げろ?逃げろ)


「まさか…」


 徐々に膨らんでいく気配に片桐は顔をしめた。

 人間のものではない、強大な気配。

 それは淵主の気配だった。


 視界の中、切られたはずの淵主の触腕が、いたる所から和泉小槙の背に迫る。


 険しい表情でそれを防ぐ彼女の背後で、

 二柱目の要岩が爆散した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る