第三章 帰営(2)

 中隊長事務室は、中隊本部、三階の角部屋に位置する。


 到着を告げる一連の作業を行った後、部屋の中から入室を許可する遠藤の声が届く。

 苛立ちを含んだその声に、なけなしの気力が萎えそうになるのを何とか堪えて、片桐は扉を開いた。


 中隊長事務室の扉を開いて、一番始めに目がつくのは、壁に貼り付けられた大きな地図だ。


 國津国を中心としたその地図には、第三階層の国々が描かれているのだが、様々な書き込みと陽光に当たり変色してしまったせいで、手垢にまみれた印象を受ける。


 地図の真ん中、青柳あおやぎ色で彩色さいしきされた広葉樹のような形の島国が國津国である。

 国の面積は三千八百R《アール》。周辺の国々と比較して大きくも小さくもない。戦争が終わらないわけだ、と片桐は思う。

 世界を諦めるには大きすぎ、世界を手中にするには小さすぎる。そんなあきらめの悪い大きさをしている。


 その大樹から一枚ひらりと落ちた葉のごとき形の島が、國津のかたわららにある。その島もまた青柳色で彩色されていた。


 島の名前は葛太南島かずらたなじまという。 天津国に献上された島で、今では國津国の法が及ばない。國津国と同じ深い色で彩色されているのは、この地図がまだ國津国の領土であるときに作られた古いものだからだ。


 地図中には、赤いばつ印も数十ヶ所記入されていた。國津国にはヶ所ある。

 それは聖地を示す印だった。

 書き込んだのは、遠藤の前任者だ。

 片桐の目前で書き込んだので間違いない。


 思い出に目が眩みそうになるのを我慢して、片桐は、今の部屋の主たる遠藤に敬礼をした。


「失礼いたします」

 遠藤は部屋の奥に置かれた自身の執務椅子に腰を下ろしていた。


 遠藤は、片桐が部屋に入るのと同時に立ち上がった。尋ねてくる。

「見つかったか」

「いいえ、何の手がかりも見つかりませんでした」

「…そうか」

 片桐の答えに、遠藤は大きく息を吐き、脱力して椅子に腰を下ろした。


「本日は旅館を二ヶ所、それに汽船の停泊所を回りましたが、天津人を見たという人物は誰一人見つかりませんでした」


 三原屋を後に、馬車を使って汽船の停泊所まで足を伸ばしたが、結果は惨憺さんたんたるものだった。


 手がかりを得られないだけでなく、和泉小槙いずみこまきに怯える馬が暴走し、馬車に酔った遠野橘とおのたちばなが昏倒する…。

 思い出しただけでも疲れが倍増する気がした。


 ちなみに、彼らを島屋に送り届けた後、店の番頭に無理を言って、予約帳を見せてもらったが、そこでもそれらしき人物は見つからなかった。


「明日の予定はどうなっている」

 遠藤が尋ねる。

「駅前の商店街を中心に聞いて回るようです」

「駅か…。要岩かなめいわからは遠いが…。一体、いつまで居座る気なんだ」

「本部から連絡はないのですか」

「ない。天津人は何か言ってなかったか」

「滞在期間については何も聞いておりませ

 ん」

「要岩と言い、天津人といい、俺が赴任ふにんした途端に何なのだ一体…」

 片桐は口を開く。

「弾薬庫を解錠かいじょうしたとか」

「念のためだ。高階少尉からは、終息間近だと聞いている」

「…それは本当に信頼に値する報告なのでしょうか」

「…何が言いたい」

伊具栖いぐすの二の舞は避けていただきたい、と申しております」

「また伊具栖そのの話か」

 遠藤が苦々しく顔を歪める。


 今でこそ、國津であるが、十五年前まで、聖地は九箇所あった。


 國津聖地の一つ、伊具栖いぐす。それは現在はもう存在しない聖地の名であり、そして、片桐の郷里だった町の名だ。


 十五年前、片桐が陸軍に入隊した二週間後に、淵主の封印が解け、伊具栖の町は消滅した。


「大嵐や雷と同じで、防げなかったからと言って、何も恥ずべきことではないはずです」

「お前に命じたのは、天津人の案内だろう」

「そうであるならば今すぐに本部に報告すべきです。天津人の客を二人、死なせでもしたら、それこそあなたは責任を問われる」

「天津人が死ぬことはない」

「しかし」

上官担じょうかんかつぎの片桐曹長」

「……」

 片桐は、押し黙る。

 それは、片桐の戦場での忌み名だった。

 誰かが(おそらく高階少尉だろう。)おもしろ半分で教えたのだろう。


「聞いているぞ。片桐。いつも前線で、不自然に一人だけ生き残ると」

 遠藤は、意地悪げに口の端を吊り上げ、続ける。

「本部の目が届かないことを良しとして、前線で気に入らない上官を殺してるんじゃないか?」


(ついに儀式をする余裕もなくなったか…)

 憤怒の遠藤を前にして、片桐は一人静かに絶望する。


 どういうわけか、ふと脳裏に和泉小槙の姿が浮かぶ。

(同じ大尉でもあの娘ならどうするか)

 確かに年齢は若いが、だからこそ出来る選択というものがある。

 皆、年を取れば取った分だけすぐれた人物に成るというのであれば、戦争などとっくに終息しているだろう。


「何がおかしい」

「…いいえ、失言、申し訳ありませんでした」

「二度とこの話はするな。次は営倉へ送る」

 営倉というのは、兵営内で出た犯罪者を入れておく牢のことである。


「了解いたしました」

 片桐はそう返すと、足早に部屋を後にした。








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